縁側で二人

うみべひろた

縁側で二人

 今日は雨が強く降っている。

 ざあざあと物凄い音を立てていて、外の音なんて全然聞こえないくらい。

 庭の紫陽花は色とりどり。紫だったり青かったり。水滴に彩られてきらきらと輝いている。


 私たちは隣どうし座りながら、縁側でそれをじっと眺めている。

 二人のあいだに言葉はほとんど無い。別に言葉なんて交わさなくたって、伝わるものは伝わるじゃん、ねぇ。

 私が左側、あなたは右側。これは昔からずっと変わらない位置関係。右手で手を繋ぐほうがやりやすいんだもん。

「飲みなよこれ、冷める前に」

 あなたが私に差し出してくるアールグレイ。わざわざ私に内緒にして、一人で横浜まで出て買ってきた高級品だって私は知ってる。だから冷めてもおいしいんだ。

 ちょっと前までは、お茶の準備なんて私に任せきりだったのに。成長したねぇあなたも。そう思って笑う。あなたに聞こえないように、一人でこっそりと。


 梅雨が来るたびに、縁側で紫陽花を眺めながらぼーっと過ごす。結婚してこの家に引っ越してきてからずっと変わらない習慣。

 でもそろそろ辞めてもいいんじゃないかな、って私は思う。

 だって年寄りくさいじゃん。前から友達には散々言われてたけど。

 まだ30そこそこの夫婦の趣味には見えないよ。

 だからさ、ねぇ。


「今年は紫陽花の色がいつもより青っぽいよね。いつもとどこか違うのかな」

 あなたは言う。

 雨が多いからかな?

 って私は答えるけど、

「あぁ、そう言えば今年ってつくしを全然摘んでなかったよね。山のように生えてたけど、気づいたら硬くなってたから。つくしを摘んでないと紫陽花が青くなる、そういうのあるのかな」

 って何だかよく分からない自己解決。だったら別にそれでいいよ。どうせあなたは勝手に納得したら私の言うことなんて聞いてくれない。いつものことだ。


 私たちはこの縁側で、同じ方向を見ている。

 だから。だからだ。その視線は決して交わらない。


 「それにしても今日は寒いね、梅雨はたまにこういう日があるから嫌だ」

 あなたはこちらに左手を差し出してきて、私は当然のようにそれを握りしめる。冷え性のあなたの手は、こういう日にはいつもひんやりとした感触。もうすぐ夏なのにね。

 それを少しでも暖めたくて。撫でたり揉んでみたりと色々やってみたけれど、いっこうに暖まる気配はない。私の手まで冷えていきそう。

 そうこうしている間に、ふうとあなたはため息をつく。

「重いね、とっても」


 何それ。また太ったって言いたいの?

 文句の一つでも言いたいけれど、何でだろう、うまく言葉が出てこない。


「もうすぐ一年だよ」

 というあなたの言葉。

 早いね、本当に。

「君は何が食べたい?」

 そうだなー、ビーフシチューかな。

 今日は寒いし、昨日から三日間、牛バラが特売だってスーパーに貼ってあったね。

 あなたの料理の手際は悪いけれど、異常な凝り性だからシチューだけはおいしいんだ。30分も玉ねぎを炒め続けるなんて、私には出来ないしやりたくない。


「君はまたカルボナーラが食べたいって言うんだろう、さすがにカルボナーラはどうかって僕は思うんだけど」

 いや、ビーフシチューがいいんですが……。飴色玉ねぎが面倒になったな絶対。

「いいよ、カルボナーラは今日作ろう。こんなに良い天気だし」

 こんな雨の中で何を言うんだあなたは。

「おいしいのを食べさせてあげるよ、最近、僕もカルボナーラ上達したと思わない? 何故か凄く美味しいんだ、ここ数回は」


 カルボナーラを上手に作るコツ。いつかあなたに教えたでしょう。

 それは一人分だけを作ること。二人分を作ると、絡む前にソースが固まるから。

 最近上達したように見えるのは、それが理由だよ。

 別にあなたの腕が上がったわけじゃないよ。残念でした。


 あなたは喋り終わると、大きく息をつく。まるで全ての力を出しきったかのように。

「もらうよ、これ」

 そして私の手元からアールグレイを攫っていく。

 まだ一口も飲んでいなかったのに冷めきったアールグレイ。

 だいぶ弱まってしまったオレンジの香り。


「君はまだ、ここにいる」

 いや、いるじゃん。何言ってんの。


 だから、こっちを向いてよ。ねぇ。


 あなたはもう紫陽花を見てはいない。

 横目で部屋の中を見ている。

 その部屋見たって、何も楽しくないよ。仏壇しか無いじゃん。


 それは私のために買ってくれた一番高い買い物。

 ねぇ、今更だけど。やっぱり冗談にしてもつまらないよ。


 そこに飾られた私の写真。周りを紫陽花に囲まれている。確かに、何故だか今よりもずっと赤い紫陽花。


 あなたは未だに、月命日のたびにその写真を換えてくれる。

 『写真の顔がずっと同じだと、まるで君がいなくなったみたいに思ってしまうから』っていつかあなたは言ってた。


 でもさ。私はまだここにいるんだよ?

 確かにあの日、私の身体はあなたの前から消えた。

 だけどさ。

 あなたに会いたい一心で私はここに残ったのに。まだ隣に居るのに。それなのにどうしてあなたは悲しそうな顔をするの。

 そんな顔が見たいからここに居るんじゃないのに。

 あなたはこちらを向く。私に差し出されたままの左手。

「こんな日に、今も君の手は暖かいんだろうね」

 暖かいよ。あの日と変わらず、いくらでも暖めてあげるから。だから、その手を私に向けたままでいて。寒いからって引っ込めたりしないで。


 ――それが出来たらどんなに暖かいだろう。

 私にはもう、あなたの手を包んで風から守ることさえ出来ない。

 今、あなたは私の方を見ている。だって二人はいつもここに座っていたから。

 だけど二人の視線が交わることは二度と無いのだ。私からはこんなによく見えているのに。

 視線は未来永劫、ずっとすれ違ったまま。


 だからさ。もう辞めてよ。こんな習慣。

 こんなことしたって、もうあなたの手は冷える一方。

 月命日の写真だって新しいの残ってないんだよ。

 だからせめて、あなただけは未来を向いてほしい。そしたら私も同じ未来を見てあげるから。

 私は嫉妬深くて、まだあなたばかり見てるけど。せめて最後に一緒の方向を見させてよ。もう、すれ違いは嫌なんだ。


 だからさ、ほら、まずは紫陽花に目を向けなさい。あんなに綺麗なんだから。今しか見れないんだから。見ないと損だよ。

 私の方を見たって、暗い廊下が続いているだけ。


 だからお願い。もう、

 私のことなんて、

 未だにあなたのそばを離れられない私のことなんて、

 嫉妬深い私のことなんて、



 永遠に忘れないで。

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