ガールフレンド

諏訪野 滋

ガールフレンド

 ささくれのように偶然に触れて思い出す痛みは、誰の過去の中にもある。


 お前は内気な奴だった、と周りから言われてはいたが、もちろん自分のことはわからない。だが、小学生に社交的になれというのは、大方の子供にとっては無理な相談なのではないだろうか。とにかく僕は、目立つことを何よりも恐れていた。


 そして特に恐れていたのは、女の子と話すことだ。小学生というのは心の機微きびなど何もわかっていないくせに好奇心だけは一人前で、少し女の子と話をしただけで、やれラブレターのやり取りをしただの、あいつらは付き合っているだの、校舎の陰でキスをしていただの、尾ひれをつけて攻撃してくる。


 僕は一度だけ、休み時間に自分が席を外しているときに、女の子が僕の机の引き出しに手紙をこっそり忍ばせていた場面を廊下から目撃したことがある。僕がその後どうしたかというと、何食わぬ顔をしてその子に気付かれないように引き出しの中から手紙を取り出すと、中身も見ずにわざわざ教室から離れた焼却場の中に放り込んでしまったのだ。

 今考えると、ひどく残酷な話だと思う。相手の女の子は僕が下校するときになって、あれ?という顔をして自分の手紙が引き出しの中に無いことを不思議がっている様子だった。しかも僕はと言えば、その子のことを決して嫌っていたわけではなく、むしろある程度心の隅で意識していたほどには淡い好意があったというのだから、救いようのない馬鹿である。彼女の勇気を台無しにしてしまうほど周囲の視線におびえていた自分が情けなく愚かしくて、子供心にも自己嫌悪の念しか湧いてこなかったのは言うまでもない。


 そんな僕は小学二年生だったか三年生だったか、男友達の家に呼ばれたことがあった。彼とは特段仲の良い親友などではなかったのだが、アニメの話か何かになったときに、よし、帰りがけに僕の家でテレビを見ていかないか、と誘われたのがきっかけだったように思う。彼の自宅は酒問屋で、自宅と商店が一緒になった大きな建物だった。部屋を片づけておくから後からゆっくり来いよ、と言われた僕はわざと歩みを遅くして、彼が帰りついたのを十分に見計らってから酒屋の前に立った。

 カウンターの上に備え付けられていたブザーを押すと、中から若い青年が出てきた。店の名前の入った前掛けをつけていることから、接客を担当している店員だろうと思われた。僕が友人の名を告げて遊びに来たというと、その青年は店の奥へ向けてこう呼ばわった。


「坊ちゃん、ガールフレンドが来てますよ!」


 僕は石のように身体をこわばらせると、その男がこちらを振り向かないうちに、回れ右をして一心不乱に駆け去った。僕は自宅へと帰る坂道を上りながら、確かに侮辱されたのだ、と独り憤っていた。だが今の時代ならば、滑稽な話だと一笑に付されるかもしれない。店員には全く悪気はなかったのだから。僕が女の子に見えたこともそうだし、女の子が男の子の家に一人で遊びに来たのならば、たとえ小学生であってもそれはガールフレンドと呼ばれてもおかしくない間柄に思われても仕方のないことだった。

 念のために申し添えておくが、僕は決して美少年などではない。ただ頭髪をおかっぱにしていたことと、長い前髪が目線を隠すことで、大人に比べるとやや分かりにくい子供の性の判別をさらに困難にしていただけに過ぎない。だから実際、女の子に間違えられたこともそれまでに幾度となく経験済みではあったのだ。

 しかしそうであるならば、なぜあの時に限って僕は怒ったのか。それはきっと「ガール」ではなく「ガールフレンド」に僕の持ち前の臆病さが反応した結果なのだと、今にして思う。女の子に間違われたことが嫌だったのではなく、友達と恋仲だと思われたことが衝撃だったのだ。そこには男同士だとかそういう事情は一切関係なく、ラブレターをくれた女の子の時と同じように、ただただ恋愛沙汰になることを恐れた結果であった。

 結局その男の子とは僕の方から疎遠になり、きちんとした友人関係に戻ることはなかった。自分だけにしか分からない、つまらない我がままだと言ってしまえばそれまでだが、ささいなささくれでもその痛みが完全に消えることはないのだ、と思い知らされた出来事だった。


 要領の良さと狡猾こうかつさを覚えた今では、きわどい恋バナもジョークとして飛ばせるまでになった。そしてそんな時、ああ自分は大人になってしまったんだなあ、と寂しさに身をよじって空を見上げる。ガールフレンドにはなれなかったけれど、ガールなら許容できた自分に、もう一度会いたくなる。

 ふとした時に、長白衣のすそをつまみ、深く膝を曲げ身体を沈めてお辞儀をしたくなる時がある。カーテシー、ヨーロッパの淑女の挨拶。誰かの心に近づくことは今でも苦手だけれど、自分に素直になることができればそれでいいのかもしれない。白い廊下を振り向けば、僕を呼び止めるあの日の友達の声が聞こえるような気がする。


「僕、他に好きな人がいるから。ごめんなさあい」


 大きく手を振り、笑いながら。

 いてもいなくても、僕はまたそうやって逃げるような気がする。

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