第3話 混乱の都市

リュミエール王国 城塞都市ブルス――



「ふわぁぁ……ねむ………」


城塞都市ブルスに配備された守衛である兵士シモンは、落ちようとしてくる瞼を擦って強引に開かせ、睡魔と戦いながら、定められたルートに沿って城壁を歩いていた。


城塞都市ブルスは、周囲を4つの国々に囲まれた場所だ。

都市を領有するリュミエール王国をはじめに、七曜神の教会の本部が集まったフェイス教国、多民族国家であるコミンテルン共和国と、そしてこの都市の領有について王国と係争しているダンケルハイト帝国。

それぞれの首都よりちょうど等しい距離に存在するこの都市は、兼ねてより各国が領有権を主張しあい争いが絶えない場所であった。その後、穏健派が指導者の多数を占めた教国と内政を優先した共和国が静観する姿勢を決めた今でも、王国と帝国の2国間で帰属について争われ、何度も戦争が発生している。

今戦争が起きていないのは先の戦争では決着がつかず王国が領有を続けた上での停戦が調和されただけなのだ。


しかし、何故それほどまでにこの都市を巡って争うのか?

その理由は立地にあった。


先の説明の通り、すべての国にアクセスするのに都合の良い場所であるこの都市は、歴史を紐解けばどの国にも属さぬ独立都市であった。

人が多く行き交う交通の要であり交易が盛んであり、また周囲は平野が広がり起伏も森林も少なく、穏やかな川が流れているが故に大規模な畑がいくつもある。


金と食料が備わる都市。

「金貨袋とパン籠」と評されるこの都市は、開拓王と呼ばれる一人の人間により興された。

当時はまだ鬱蒼とした森であったこの場所を少数の手勢で切り拓き、まるで見たこともないを用いて農業革命を起こし、それを羨んだ時の土豪らが徒党をなして襲撃するも鎧袖一触に打ち負かし、大王国を築き上げたのだ。

が、開拓王が亡くなった後に、王の子孫たち……王は大変好色で多くの女性を侍らせていた……の間で後継者争いが発生し、国が4つに別れたという経緯を辿っている。



単なる兵士であるシモンには、関係のない話だ。無論帝国が、我らが王国の領地である都市ブルスを奪い取らんとする所業には断固として抵抗する。とはいえ、自分の仕事に熱意と誇りを持ちつつも今夜の食事をどうするか悩む模範的かつ善良な一市民にとっては、都市の領有の正当性や歴史的な見解よりも今晩は肉揚ピカタを食べるか、肉煮込フリカッセを食べるかの問題の方が遥かに重要である。


シモンは城壁の上から内側へ目を向ける。ちょうど住宅が多く建ち並んでいる区域であるこの場所には、ちょっとした公園が作られており、そこでは母親に連れられた小さな子供らが遊んでいるのが見える。


「あー平和だねぇ……ふわぁ」


シモンは、思わず微笑んで……そして再びやってきた眠気に大きな欠伸を一つ零した。


夕飯も重要な課題であるが……シモンを始め、兵士たちは今、それ以上に懸念している事がある。



昨晩のことだ。

突然、今まで聞いたこともないようなが鳴り響いたのである。

雷が落ちたわけではない。それに雷とは違い、まるで地の底からやってきたような……あるいは天から落ちてきたかのような重低音は、都市の住人たちを恐怖と不安を与えるには十分だった。

一時は帝国の奇襲ではないかと疑われ、非番の兵士らも収集されたものの敵の姿はなく。


夜明けになってようやく、警戒レベルが最大から下げられたものの、当番であるシモンは仮眠する暇もなくこうして巡回をしているわけである。



「しっかし、何だったんだろうなあ……」


目をこすりながら、シモンは考えていた。結局音が何だったのかは解らずじまいであり、調査はするらしいがその結果がでるのはもっと先になるだろう。

今夜も、そして今後も轟音が続くようではたまったものではない。早く原因がわかって欲しいものだと思いながら、シモンは顔を両手でゴシゴシと擦り、そしてうーん、と大きく伸びをする。


「愚痴言っても仕方ないか……とりあえず時間いっぱい巡回して、昼休憩になったら昼寝しよ……」


そう考えながらシモンは、空を見上げ――










ぽとり、と公園で遊んでいた子供が手にしていた玩具を取り落とす。


市場で今朝方採れた野菜を売っていた商人と、それを買い取ろうとした主婦の女性が、硬貨を渡そうとした姿勢のまま固まる。


人でごった返している大通り、旅人らしい一行と、彼らの一人から巾着を失敬しようとしていたスリの男が、しかしスリの男を引っ立てることもなく、スリも巾着を切り落とすわけでも逃げるわけでもなく、動きを止めている。


昼食に向けて下拵えを進めていた飯屋の店主が、吹き始めた鍋や煙を出し始めたフライパンを置いたまま、手を止める。


シモンは、そして他の巡回していたり訓練していたり、あるいは門に立っている兵士らは、手にした槍を、本人たちも意識しないまま、ギリっと握り込んでいた。




その時。

城塞都市ブルスに居た、意識のある人間たちは。

全員が空を見上げていた。


何故か。



視線の先。

都市の上。

上空より。



ドラゴン。


ドラゴンがただただ、空と雲の間よりこちらを見ていたのだ。





ドラゴンが、動く。

ゆっくりと、ゆっくりと。

その姿がだんだんと、鮮明に、大きく見えるようになる。


ああ、見よ、その姿を。


赤銅色の鱗が全身を覆い、太陽の光を受け焔のように揺らめき輝く

いている。

黄金色の目を湛える頭部には、全身を覆う金属甲冑ですら食い破ることが容易く想像できる牙。

四肢は太く、その先には城壁すら斬り刻めてもおかしくはない、名剣もかくやと鋭く光る爪。

そして、その雄大かつ尊大な巨躯に相応しい、今も都市の一角へ影に落とすほどに巨大な一対の翼。


翼は、まるで雄弁を語るようにゆっくりと、せせこましさとは対義の存在であると証明をするようにしっかりとはためかされる。

ドラゴンの姿が、身体強化により視力を高めている兵士や、種族的に視力が優れる獣人らのみならず、ごくごく一般の人間たちにもそれが視認できるほどになってから、兵士は、そして市民たちはようやく理解が出来た。




ドラゴンが、降りてきているのだ。

上空から、この都市に向かって。



「う、あ」



じり、とゆっくりと後退を始めた者が出始める。

ジリジリと無意識のうちに行われた行為は、徐々に意識を覚醒させ、一歩一歩、数歩、そして数瞬後には皆、弾かれたように駆け出した。




「―――――――――――!!!」



怒号と悲鳴が花火のように立ち昇り、都市の者たちは一斉に逃げ出した。






「落ち着け!!落ち着くんだ!!」


シモンは城壁の上から必死に声を張り上げ恐慌している市民らに叫ぶが、突然に現れた怪物に民衆は完全にパニックになっている。シモン以外の兵士たちの何人かも避難誘導にあたっているのだが、平素なら兵士の言うことであれば言うことを聞く善良な市民たちでさえ、この時はまるで効果がなかった。


「くそっ!!」


皆が無我夢中で全力で逃げようとしており、転んだり何かにぶつかったりして倒れる人間も一人や二人ではない。そうして倒れた人間の上を、別の逃げ出した人間が構わず踏みつけていく。今も人が倒れ踏みつけられそうになっていたが、城壁から飛び降りたシモンが寸でのところで制し、倒れた人を助け起こした。


「大丈夫か?」

「へ、兵士さん、すみません」


助け起こされた獣人……猫獣人の女性は、尻尾を丸め酷く怯えていた。転ばないように注意するように呼びかけて女性を送り出す。シモンは険しい顔をして槍を握りしめる。



ズズン・・・・・・


大岩が地面に落ちるような音が響き渡る。

振り返れば、ドラゴンが公園に降り立っていた。

距離は離れているにも関わらず、しかしシモンは全く安心することができない。

突き出した槍の先はぶるぶると震えており、必死に息を整えようとしても歯が鳴り、ふーふーと口から浅く早い呼吸が漏れ、心臓は早鐘を打ち、本能が必死に逃げろと叫び続けている。

なるほど、確かにシモンは城塞都市ブルスを守る兵士の一人だ。街を襲う魔物がいるのであれば戦わなければならない。しかし、瞬く間に自分を殺し得るであろう相手を前に平静を保つことは容易ではなかった。このドラゴンを前にするくらいなら、帝国軍の前に一人で放り出された方がまだ、気が落ち着くだろう。



ドヒャァ―――……ッ!


城壁の上にいる兵士が勇気を振り絞り……あるいは、恐怖に耐えかねて……弓矢が放たれ、ドラゴンへと向かう。その矢はドラゴンの身体に当たるが、しかし突き刺さることがないばかりか、鱗に傷を一つつけることもなく弾かれ地面へと転がる。



ドドドドドド―――……ッ!!


それが合図になったのか、その場にいる兵士らが次々と弓を構え矢を放つ。

ドラゴンに殺到し、例え英雄であろうと討ち取れるであろう圧倒的な矢の雨を受けて、しかしドラゴンは無傷のまま、黄金色の眼を瞬かせていた。



「ば、ばけもの……」


シモンが思わずつぶやく。

ドラゴンはその言葉を聞いたのか、長い首をぐるりを捻り、シモンの目を視た。

思わずその場から逃げだしそうになった、その時。



「“まずは微かな火花、つぎに揺らめく火炎、そして焦がれる業火――【爆炎ショック】”!!」


高らかに紡がれる詠唱、そして炎が虚空に描く赤色の筋。

シモンは声が聞こえたほうを見る。城壁の上にいるのは、身を布鎧で覆い杖を持つ初老の男性の姿。

魔術師だ。城塞都市ブルスに配備された守衛の一人。

確かに、矢では効果が無かったが、火の魔術ならばドラゴンに打撃が与えられるかもしれない。

巨大な炎の塊が一直線に、ドラゴンへと

そう思い、結果を確認するためにシモンが足を止め……そして、



グ  ウ  ォ  ッ


降り立った後、とくに何をするでもなく周囲を見回していたドラゴンが、火の魔術が迫ると初めて動きを見せた。

魔術の火炎を迎撃する様に、巨大な尾をぐるんと振るう。



瞬間。


その場にいる誰もが視認できないほどの速度と、その場にいる誰もの力を全て合わせてもまだ足りぬほどの力で尻尾が振るわれた結果。


その場にいた兵士や魔術師。

城塞都市の家屋、城壁。




それらすべてが、火炎の魔術ごと一息に薙ぎ倒された。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る