第四章-4 死者は三日目に甦る

約束を破っちゃいけないのよ。お母さんはいつもそう言ったわ。だからわたしはカーテンも、その向こうにある窓も開かないで音だけを聴いていたの。


「おぎゃあ」

「おぎゃあ」


外からまだ産まれていない赤ちゃんの泣き声が聴こえたわ。




外から。




外から。




違うわ。

赤ちゃんは、わたしのおなかの中で鳴いていた。

声が聴こえるの。

出して、って。

ここから出してって。

わたしの、わたしのおなかの中から。わたしの、おへその辺りから声が。


わたしのおなかの中に、赤ちゃんはいちゃいけないの。真っ白な絵本の中に誰もいちゃいけないのと同じように、マリアのおなかの中には誰もいちゃいけない。

それでも赤ちゃんはおなかの中からわたしを呼ぶの。


「ハヤク、ダシテェ」


わたしは赤ちゃんをどうやってお外に出したらいいのかわかんなかった。だから、わたし、おなかを叩いたの。


「はやくここから出ていって」


とんとんとんとん。何度も叩いて、わたし、赤ちゃんたちに出ていってもらったわ。でもその赤ちゃんたちがどこから来たのか、どこへ行ったのかは知らないの。

今、白いシーツを被せたベッドの中で眠っているお母さんなら知ってるかもしれない。でも起こしちゃダメよ。ダメだってナターシャがそう言ってるんだから。


「おぎゃあ」

「おぎゃあ」


泣き声は遠くに離れていく。赤ちゃんはどこから来てどこへ帰るんだろう。

赤ちゃんが泣き止むと、今度は足音が近づいてきた。ゆっくり、ゆっくり、それはゆっくりと、わたしたちの窓を目指して歩みよってきた。


わたしは窓を見たわ。ナターシャが座るイスから手が届きそうなところにある窓。カーテンが引かれていて外が見えないはずの窓。

ナターシャは、わたしをじっと見ていた。その空色の目で、窓から離れて座るわたしを見ていた。


後ろにいたブランが吠えた。

足音が止まった。

ドアの開く音がした。

わたしは後ろのドアを見た。

ブランはもういなかった。


窓の向こうからブランの声が聞こえた。出ていってしまったのね。わたしはドアから目を戻して窓を見た。

カーテンが揺れていた。

ドアも窓もしっかりカギをかけたはずだわ。誰が開けたのかしら。

ナターシャが。

わたしを見ていた、と思っていたナターシャが、外を見ているの。わたしに背中を向けて、長い髪を流して、窓の向こうを見ているの。

人形は動くはずないわ。でも彼女の手は、窓に伸ばされていた。

ナターシャがカギを開けたのよ。だって、他に開ける人はこの家の中にいないわ。わたしもお母さんも、もうお外になんて出たくない。ブランはそんなわたしたちと一緒にいてくれる。

じゃあ誰が? ナターシャしかいないじゃない。家の中にはわたしたちとナターシャしかいないのよ。カギを持つのはあの人形しかいないわ。

外からも、廊下からも冷たい空気が吹いてきた。真っ白な世界から吹いてきた風だわ。わたしが見ちゃいけない違う世界の風。

小さく赤ちゃんの声がした。

小さく誰かの足音がした。

小さく、たくさんの足音がした。

誰かが壁を叩いてる。

誰かが家に入って来ようとしてる。


ダメよ。

どれも知らない人の音だわ。


遠くでブランの声が聴こえてる。

ああ、だんだん近くにやって来る。

お母さんは起きない。起きちゃダメよ。起きたらきっと外に連れていかれちゃうわ。

ここから出たら、戻って来られない。

わたしは窓の外をにらんだわ。誰も入っちゃダメなんだよって、目だけで伝えたわ。


後ろから、冷たい冷たい空気がわたしの肩に手を置いたの。びっくりしなかったわ。それはわたしのよく知ってる人だったから。







「ただいま、マリア」







お父さんがかえってきたわ。








それは、お父さんがいなくなって三日目のことだった。

足音はなかった。お父さんは他の人と違ったの。もう、違ったの。




でもね、お父さんはわたしたちのいるお家にかえってきてくれたわ。わたしはそれだけですごく嬉しかった。だって、ここにいればお父さんに会えるもの。













神様。あなたは三日目に死から復活なさいましたね。その身をもってこの世に復活なさいましたね。

わたしのお父さんであるヨセフさんにも同じ奇跡を起こそうとしたのでしょうか。いいえ、お父さんはただの人です。だからあなたと同じように復活などできないのです。

でもそれでいいのです。わたしのお父さんはあなたの起こした奇跡によってこのお家に、マリアとエヴァのところへ帰ってくることができました。

たとえ体がなくても、あの人はわたしのお父さんです。神様、ありがとうございます。わたしはまだお父さんにさよならを言いたくありません。




神様、あなたに感謝してお祈りいたします。













お母さんはまだベッドの中で目を閉じていた。

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