ある王国の与太話・3

那由羅

挟まりたい男の末路

 とある日の、ラッフレナンド城2階執務室。

 ラッフレナンド王アランは、執務机の椅子にもたれ深い溜息を吐いていた。


 アランの眼前の執務机には、大量の書類が山積みとなっている。その多くが、アランの承認待ちの書類だ。

 別に書類を貯蓄する趣味などないのだが、日々の忙しさ───もっぱら側女とのいちゃつき───にかまけて、気付けばこの有様となっていた。


(女は気楽なものだ…)


 指は動かずとも、目は勝手に疲労を訴えてきた。山積みの紙を見るのも飽きて、ベランダ側にあるソファへ顎を向ける。

 そちらでは、側女とメイド長がテーブルに並べられた化粧品の数々に嬉々と騒いでいたのだ。


「この口紅は今年の新作なの。基本色はピンクだけど、見る人の好みで赤みが増したり黄色みが増したり、発色がちょっとだけ変化するんだ。グロスの具合も変わるから、とりあえず一本持っとくって子、結構いるよ」


 商品の説明をしているのは、行商人のリャナだ。ウェーブのかかった金髪を頭頂でまとめた紅目の少女は、その幼さに似合わない溌剌さで二人に真鍮色の口紅を薦めている。


 メイド長シェリーは、側女のリーファにテスターの口紅を塗っていた。ブラシでスティックタイプの口紅から紅を取り、目を伏せ半開きにしたリーファの唇に丁寧に撫でつけて行く。


(…いかがわしい)


 自分の中でフッとわいた感想に、アランは困惑した。ただ化粧を施しているだけだというのに、その雰囲気に淫靡なものを感じてしまう。


 やがて塗りが終わると、リーファは閉じた唇をもごもごと揺らし馴染ませていた。やおら手鏡を向け、唇を観察する。


 アランの目には、しっとりと濡れた白みの強いピンク色に見えるが。


「シェリーさん、どう見えます?」

「わたしにはオレンジがかって見えますわね」

「私には濃いめのピンクに見えます。

 …リャナ。コレって、みんなこの口紅を使ったら、みんな同じ色に見えるんですか?」

「ううん。『この子ならこの色の口紅が似合うな』って気持ちが反映されるんだってさ。だから、塗る人によっても見る人によってもバラバラだよ」

「へえ………こんなに見え方が変わるんですね…」


 目をキラキラさせて、リーファが口紅を手に取っている。普段はあまり化粧っけがないが、良い物に巡り会えたと感じているようだ。


「リーファ様はこれから公的なお務めが増える事でしょうから、おひとつ購入して備えておきましょう」

「え、いいんですか?ありがとうございます…!」

「まいどー!」


 同じ事はシェリーも考えていたらしい。シェリーに蕩けるような微笑みを向けられ、リーファとリャナが同時に嬉しい悲鳴を上げた。


(………うむ………)


 肩を並べ仲睦まじく化粧品を吟味しているリーファ達の姿に、アランのささくれだった心が癒されていく。


 リーファは、容姿は特段優れている訳ではないが、その愛想の良さは城内外問わず好評だ。

 シェリーは、多少言動にトゲはあるものの、誰もが振り向く程の掛け値なしの美女と言える。


 互いの身分だけを知る者からすれば、この和気あいあいとした雰囲気は奇異に見られるだろう。

 だが普段の仲の良さを知っているアランにとっては、思わずにやけてしまう光景だった。


(間に挟まりたい)


 アランがちょっとだけ不純な事を考えていたら、リーファがテーブルに置かれた手のひら大の器を手に取っていた。


「ハンドクリームのテスター、使ってみてもいいですか?」

「どうぞどうぞ」


 リャナから快く勧められ、リーファは器のフタを開けて右手の人差し指と中指で白いクリームをひとすくいした。左手の甲に乗せ、丹念にもみこんでいく。


 しばらく両手や手首まですり込んでいたリーファだったが、思ったよりもクリームを取り過ぎてしまったらしい。両手をクリームまみれにした彼女は、戸惑い顔をシェリーに向けていた。


「け、結構伸びますね………シェリーさん、すみません。クリーム、少し貰ってもらえますか?」

「ええ、いいですよ」


 嫌な顔一つせず、シェリーはリーファの手に指を絡めていた。

 まんべんなくついたクリームを撫でとるだけかと思いきや、しばし互いに互いの手を揉み込んでいる。


「シェリーさんの手、すごい滑らかで綺麗ですね………メイドさんって色んな仕事をしてるから、もっと手が荒れてるのかと思ってました」

「わたしは脂性あぶらしょうなのです。若い頃は、ニキビ跡を隠すのに悩まされましたわ。

 リーファ様は目立つニキビ跡がなくて羨ましいです」

「乾燥肌だもので、冬場はささくれが出来やすいんですよね。おかげ様で、お城に来てからはかなり良くなりましたけど───ふふ、くすぐったい」


 シェリーに爪の周囲、指の間、手の甲を念入りにすり込まれ、リーファがクスクス笑っている。リーファも負けじとシェリーの指先をマッサージし返しているが、力では勝てないのだろう。結局されるがままだ。


(───


 百合でも背負っているかのような華やかな光景は、アランの心によこしまな感情をよぎらせた。なんかもう色んなものを挟んで、あのキャッキャウフフとした清らかな空気を濁らせてやりたい。


「…どうしたんですか?アラン様」


 何を挟んでやろうか───などと考えていたら、リーファがアランの方へ顔を向けている事に気が付いた。両手を繋いだシェリーも怪訝にこちらを見ている。


 劣情は一旦横へ置き、アランは不機嫌に溜息を一つ零した。


「…かしましいな、と思っただけだ」

「あ、うるさかったですか?すみません」

「いやいや違うよ、リーファさん。あれは多分、『自分の事もスリスリヌチャヌチャしてほしい』とか考えてたんだよ」

「まあ、いやらしい」


 多分と前置きつつも的確に言い当てたリャナに、シェリーが鼻白んでいる。


「いやらしいのはそちらだろうが。女同士でイチャイチャと指を絡めるなど…。

 そんな生産性がない事をする暇があるのなら、私の”やる気が出ない病”を治して欲しいものだ」


 言ったアランすら聞いた事のない病名に、リーファが苦い顔をシェリーに向けている。


「…シェリーさん、あれって病気なんですか?」

「頭の病気でしょう。叩けば治りますわ」

「治るか馬鹿め。ほらリーファ考えろ。私のやる気が爆上がりするような癒しを思いつけ」

「無茶振りが過ぎる…」


 有意義な買い物で上がっていた気持ちは、アランの横暴であっという間に沈んでしまったようだ。リーファもシェリーも、いつもの癇癪が始まったと言わんばかりに呆れていた。


「おお、つまり王様は癒しを欲してるのね。じゃあ、こんなんはどうでしょ?」


 そんな中、リャナが颯爽とリュックサックから一枚の紙を取り出した。

 目を凝らすと、両足の裏と思われる絵が描かれている。足裏は細かく区分けされ、何か文字が書いてあるようだ。


「それは?」

「足つぼマッサージの早見表だよー」

「あし、つぼ?」

「足の裏にはがたくさんあって、体のどこかの調子がおかしくなると、この足裏のつぼが固くなったり痛くなったりするんだって。

 そこをマッサージしてあげると、体調も良くなるし、気持ちいいし、気分も上がるし、とにかくいいことずくめになるのです」


 得意気に説明したリャナが、不思議に目を丸くしているリーファに紙を渡す。すると惹かれるものがあったのか、シェリーが覗き込んでいた。


 リャナは続けて、テーブルに置かれた器を手に取った。先程リーファが使っていた、ハンドクリームのテスターとやらだ。


「マッサージはオイルを使ったりするんだけど、ハンドクリームでも代用出来るよ。足出してくれれば、すぐ出来るお手軽さ。………どう、やってみる?」


 にや、と笑い細められた少女の目は、執務机にいたアランに向けられる。

『どうします?』と言わんばかりに、リーファとシェリーもこちらを向いた。


 アランは一度、執務机を見た。

 先程からペンは全く動かしていないから、積み上げられた書類は相変わらず見事な山脈を築いている。このままぐだぐだしていても、この稜線がなだらかになる事はない。


「…いいだろう」


 一度気分転換は必要かもしれないと思え、アランは嫌々と体を起こした。

 ───あの小悪魔リャナの笑顔には裏があると、分かっていたはずなのに。


 ◇◇◇


「ほわーーーーーーっ?!」


 執務室に入ろうとしたヘルムートは、中から聞こえてきた絶叫にドアノブを回す手を止めてしまった。

 一応、中の会話は耳に入っていた。いたが、こんな反応になるとは思ってもおらず、顔をしかめてしまう。


 出来るだけ音を立てないよう、邪魔にならないよう、ヘルムートはそっとドアノブを回した。


「かかとの少し手前………生殖器ですわね」


 まず視界に入ってきたのは、執務机に積み上げられた書類の山だった。『僕が帰ってくるまでにちょっとでも減らしておいてよ』と言っておいたのだが、さほども───というか全く───減っていないようだ。


「ここはどうでしょう?」

「ぬぐ、うっ………ぐ、ぐぐっ!」

「ここも辛そうですねえ…ええと、親指の先は、頭部。つまり頭が悪───いえ、お疲れ、って事でしょうか」

「リーファお前、今私の事を馬鹿にしなかったか?!」

「え、いえ。そんなつもりは全然。そう見えます?」

「ぐううぅぅう」


 会話はベランダ側のソファで行われているようだ。そっと、そちらを見やる。


 アランはソファに横たわり、素足をこちらに向けて投げ出していた。

 その足の先にはシェリーとリーファが床に腰を下ろしており、アランの足を持っているように見える。

 側の床には紙が一枚置かれ、女性達は何度かその紙を見下ろしていた。


「くっそ、何が気持ちいいだ!どこもかしこも痛いではな───にゃあぁっ!」


 シェリーが親指側のかかと寄りを親指で押し込むと、アランの罵倒が悲鳴に変わった。

 アランが暴れる事も出来ずに全身を震わせ苦痛を訴えていると、シェリーの溜息が零れていく。


「こちらは膀胱………はあ、結局良い所など一つもないではありませんか。日がな一日暴飲暴食自堕落生活を送っていれば、こうなるのも当然ですわ」

「それが王の仕事だろうが!だいたいシェリー!お前は指の力が強過ぎる!リーファのようにもっと優し───ぎゃーっ!?」

「あ、すみませんアラン様。そんなに力入れたつもりはなかったんですけど。…えっと、ここは痔ですね………………痔なんだぁ」


 遠慮がちな物言いのリーファだが、かかとを押し込む力を緩める気はないようだ。試すようにぐりぐりと親指を動かし、アランの反応を楽しんでいる。


「…何、やってんの?」


 音を立てずにどうにか反対側のソファまでやってきたヘルムートは、そちらでニヤニヤしながら静観しているリャナに訊ねた。


「王様がお疲れだったから、癒してあげてんの」

「拷問の間違いじゃ?」

「普通はここまで痛くならないんだ。それだけ、王様疲れてるって事」

「………庶民に比べたら全然良い生活をしてるはずなんだけど…一体何に疲れてるんだろうねえ…?」

「ねー?」

「おああぁああぁああぁぁ…!」

 

 ヘルムート達が首を傾げる中、アランの悲鳴はしばらく執務室に響き渡ったのだった。


 ───その後、『今日中に書類を全て片付けなければ足つぼマッサージを続行します』というシェリーの脅しによって、アランは見事自分の仕事を勤め上げたのだった。

 ただ、これが足つぼマッサージの効果だったのかは不明である。



 ~挟まりたい男の末路~ おわり

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