ささくれの街

於田縫紀

ささくれの街

『ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの』  


 室生犀星の有名な詩の一節だ。しかし、僕にとってのふるさとは、そんな甘美な場所ではない。


 僕にとってのふるさととは、首都圏の外れにある某市だ。二十世紀終盤のバブルが弾ける寸前頃に開発された、限界ニュータウンが市域のかなりの部分を占める辺り。そう書けば、大体どんな場所かはわかるだろう。


 なお僕の家があるのはニュータウン側では無く、旧市街側の造成地。家がニュータウン側だったら、少しはましだったかもしれない。あくまでこれは仮定だけれども。


 幼稚園の年長の頃に引っ越してきて、中学校まで市内の学校に通った。正直無茶苦茶苦労した。

 学校は怪獣が暴れる場所で、勉強する場所では無かった。なお怪獣は生徒だけでなく教師側にもいた。いじめもあるし、そもそもの価値観が違いすぎて毎日が苦痛だった。


 いいことが全く無かった訳ではない。ただ悪いことの方が多すぎて、思い出すのさえ苦痛というだけだ。


 あまりにも嫌すぎて、高校は遠い場所へ通った。高校でいかにあの街が、そして僕がいた中学校がおかしな場所だったのかを感じた。

 大学は更に離れた場所に行った。就職もまるで違う場所に行った。そして一応首都圏だけれど、東京を挟んで反対側に家を建てた。

 以来ほとんどその街には行っていない。高校の同窓会がある時、実家に少しだけ立ち寄る位だ。


 この街の知人に会ったのは、二十歳の時の成人式が多分最後。参加してみたのは少しばかりの期待があったからかもしれない。中学校を卒業して五年間、これだけあれば少しは変わっただろうという。


 参加してみて、やはり変わらないなと感じた。勿論悪い意味でだ。

『新成人が企画した新成人の集い』とやらで、中学の時と代わり映えしない顔が壇上に揃っていた。中でも強きを助け弱きをくじく調子良さだけは人一倍という奴が、人一倍大きい顔をしていた。


 この新成人の集いとやらの内容も、大した事が無かった。近くの有名人を呼んで講演をして貰っただけ。それだけのものを『私達が企画しました』で二十数人が出て発表するあたり、センスがないと感じる。無かったのはセンスなのか、予算なのか、それとも想像力なのか、僕にはわからないけれど。


 以来この街の知人とは会った事はない。現実でも、それ以外でも。


 それでもネット等のニュースで載っていると、つい見てしまうのだ。いいニュースはほとんど無い。事件があったなんてのがほとんどだ。そのたびに民度がアレだからななんて思う。


 町おこしなんてのもある程度はやっているようだ。地元のひとしかやっている事を知らない程度の町おこしという感じだけれど。


 あとは僕が出てしばらくした後、ニュータウン側に体育館とか何とか施設なんて箱物を作りまくった時の事も覚えている。ただでさえ財政が厳しいのにそんな余裕あるのかと思ったのだ。


 他にも何でこんな場所に大金を使うのだなんて事案があったのだけれど、此処では書かない。何処の話か具体的にわかってしまいそうなレアケースだから。


 街は順調に寂れていっているようだ。スーパーは何件か潰れた。本屋は学校図書を扱っている古いところとエロ本屋以外無くなった。栄えていたニュータウン側でさえ店舗が撤退した場所が幾つもある。


 せめて母の寿命くらいまで街が持ってくれとは思っている。ただその頃には土地はまともな値段では売れないだろう。物を整理して古家を解体する費用を出して……今更ながらに考えるだけで面倒だし嫌になる。


 そんな、気になるけれど、気にすると間違いなく駄目駄目な気分になる、ささくれみたいな街。

 それが僕のまごうことなきふるさと像だ。

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