第23話 最低最悪な男

「そうこうしているうちに終戦し、オレは主治医となって面倒を見た。でもある日突然、フロレンツは退役たいえきして実家へ帰ってしまった」

「ごめん、アロイス。あの時は、何も知らせなくて」

「ヘルマンもびっくりしてたよねぇ。オレたちはすっかり振り回されたわけだけど、再会したら魔法雑貨屋を開いてるから、これまたびっくりだ」

 はっとしてオレはすぐにたずねた。

「どうして魔法雑貨屋だったんですか?」

 答えたのは先生本人だった。

「リーゼルの夢だったんだ。いつか戦争が終わったら、魔法雑貨屋を開きたいって」

「彼女はアクセサリーを作るのが趣味でね。フロレンツは彼女の叶えられなかった夢を代わりに叶えたんだよ」

 ああ、そういうことだったのか。彼女の話をしなくちゃならないから、魔法雑貨屋を開いた理由を話せなかったのか。

 腑に落ちたオレだったが、ベルナルトさんがため息をついてから言った。

「いずれにしても最低最悪な男ですね」

 腕組みをし、怒気どきを含んだ声で責め立てる。

「あなたのしてきたことはすべて自己満足だ。周りのことなど考えず、好き勝手なことばかりして傷つけて。軍医少将だけじゃない、僕やハインツのこともです」

 たしかにそうだよな、とリーゼルの頭を撫でながら思う。

「婚約者を亡くしたことは同情しますが、いつまで未練たらしく思っているつもりですか? そもそも彼女の夢を叶えたって何です?」

 怒りが抑えきれなくなったのか、ベルナルトさんはがたっと立ち上がって先生を見下ろした。

「猫に彼女の名前をつけるなんて言語道断だ。あなたはただ悲しみを引きずって、ぐずぐずしてるだけじゃないですか!」

「いいぞ、若者。もっと言ってやれー」

 と、アロイスさんが敵か味方か分からないことを言う。

 ベルナルトさんはかまうことなく続けた。

つぐないたい気持ちまでは否定しない。でも、ハインツをあなたの元にいさせるのはやはり不安です。健康的な親子関係が築かれているかどうかも怪しい。その証拠に、彼はあなたのことを何と呼んでいますか?」

 ああ、そうだよな。やっぱりそう見えちゃうよな。どうしようか、口を挟もうか。

 先生がまた涙をこぼし、ベルナルトさんは少し気まずそうに再び座る。そしてため息をついてから言った。

「ハインツのためを思うなら、あなたが引き取るべきではなかった」

 痛い、痛い、痛い。

「まだ血縁関係のある僕といた方が、ハインツにとっていいはずです」

 そうなのかな、分からない。オレはまだ子どもだから、最善が何か見極められない。

 先生は何も言い返せず、オレもただリーゼルを撫でるばかりだ。するとアロイスさんが話を進めた。

「衛生曹長くんの言うことはもっともだ。でも、この場は一旦終わりにして、みんな頭を冷やすべきじゃないかい?」

 冷めたアールグレイを飲んでみると苦かった。ミルクを入れても、もう美味しくはならないだろう。

「というわけだから、ハインツはオレのところへおいで」

「え?」

「外でジークが待ってるから、しばらくうちで過ごしな。衛生曹長くんも今日のところは帰って」

「……はい、分かりました」

 ベルナルトさんがうなずき、オレは席を立ちつつリーゼルへ問う。

「リーゼルはどうする? 先生といるか?」

 魔猫は怖い顔をして先生へ向かって威嚇いかくした。オレたちの話を彼女なりに理解したのだろう、怒っている様子だ。

「じゃあ、しばらくはオレと一緒ということで」

「かまわないよ。猫は可愛いしね」

 と、アロイスさんが言ってくれてほっとした。

「それじゃあ、えっと、失礼します」

 先にオレはリーゼルを連れてカフェを出た。外では本当にジークさんが待っており、その隣にはヘルマンさんもいた。

「どうだった?」

 と、ジークさんがたずねてきてオレは素直に返答する。

「アロイスさんから、しばらくうちで過ごすといいと」

「やっぱりそうなったのね。じゃあ、さっそく帰りましょう。ハインツの部屋を用意しなくっちゃ」

 直後に不安そうな顔をしたヘルマンさんが問う。

「フロレンツはどうしてるんだ?」

「泣いてます。アロイスさんがそばにいるので、どうにかしてくれるんだと思いますが……」

「そうか、分かった」

 と、ヘルマンさんはため息まじりにうなずいて、すぐさま店内へ入っていった。彼も先生のことを心配してくれていたらしい。

「それじゃあ、行きましょうか」

「はい」


 ブリッツェ夫妻の家へお邪魔することになり、メイドが綺麗に掃除してくれた二階の客室を借りることになった。ベッドと書き物机があるだけのシンプルな部屋だったが、不思議と気分の落ち着く場所だ。

 夕暮れが近づいた頃、アロイスさんが帰ってきてオレの荷物を届けてくれた。

 中にはテディベアも入っており、恥ずかしさで困惑したが、内心ではありがたくもあった。

 夕食の頃にはリーゼルの機嫌も直り、キッチンでメイドからもらったご飯を「みゃうみゃう!」と、嬉しそうに鳴きながら食べていた。

 就寝前、部屋で窓を開け放して吹き込んでくる夜風にあたった。夏が近くても夜は冷える。その冷たさが心地よく、オレは今日のことを一人思い返していた。

 先生の過去が分かってほっとしたのが半分、許せないほどじゃないけど嫌気が差したのが半分。

 ベルナルトさんの言うことは正しいと思うのが半分で、先生とオレの七年間までなかったことにしないでほしいのが半分。

「……なぁ、リーゼル」

 床でくつろぐ白猫を振り返り、オレは言った。

「本当に現実って難しいな。全然思い通りにいかない」

 リーゼルはきょとんとしたような顔をして、くわぁとあくびをした。

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