第22話 偽善

 ベルナルトさんがオレへ顔を向けた。

「私たちには水の精霊様がついている。必ずウェンベルンを取り返すからね、って」

「……まさか、焼けた街を水で?」

「そこまでは分かりません。でも、両親は占領下から逃れる機会をうかがっていた気がします」

 外に怖い人たちがいるから家の中にいるしかなかった。でも、敵兵はオレたちを捕まえることはなかった。

「これはあくまでもオレの推測です。ウェンベルンを占領したのは、先生をおびき出すための罠だったのでは?」

「根拠は?」

 と、ベルナルトさんがたずね、オレは冷静に答える。

「オレたち住民が捕虜ほりょにされなかったからです。大人しくしていれば、あちらは何もしてこなかった。そうでなければ、オレが生き残ることもなかったはずです」

 はっとして先生が顔を上げる。

「そうだ。民間人はみんな街にいた。避難してすらいなかった」

「……そう気づきながら、戦闘を?」

 と、ベルナルトさんが軽蔑けいべつするような視線を彼へ向ける。

「っ……街へついた途端、囲まれてしまったんだ。民間人がいると気づいても、場所を移せるような余裕はなかった」

 ああ、なんて悲劇だろう。激しい戦闘の末燃えていく街を、きっとオレの両親は必死で消火しようとしたに違いない。

 胸は痛いし苦しいけれど、気持ちは不思議と冷めていた。

「なるほど。だいたい分かりました」

 ベルナルトさんは納得がいった様子でうなずき、残りのアイスコーヒーを半分ほど飲んだ。

「ついでにお聞きしますが、ハインツを引き取ったのは何故ですか?」

 先生は再びうつむき、声を震わせながら返す。

つぐないのためだよ」

 そうだろうなと思った。視線を窓の方へ向けながらオレは言う。

「オレがウェンベルンの生き残りだから、だったんですね」

「ああ、そうだ」

 肯定されると辛いものがある。長年の疑問は解けたけれど、個人的な償いを兼ねていたと思うと……。

「あなたはいいことをしているつもりでしょうけど、つまり自己満足ってことですよね? それって偽善なんじゃないですか?」

 冷めた目をしてベルナルトさんが言い、先生が押し黙る。

「ハインツの気持ちを考えたことがありますか? 故郷を奪った人間に育てられるなんて、そんな屈辱的なことがありますか?」

 胸がちくちくと痛む。彼と過ごした七年間がオレの両足をかせみたいに重くする。

「申し訳ないけど、あなたにハインツを任せるのは危険だ。ハインツ、僕と一緒に――」

「違うんだっ」

 先生が大きな声を出し、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら言う。

「彼女がいたら、きっと引き取って育てるだろうって……優しい彼女なら、分かってくれるはずだって」

「誰ですか?」

「っ……リーゼル。婚約者だよ」

 先生に婚約者が?

「衛生部の看護師だった。移動中に敵の襲撃を受けて、戦死したんだ……」

 ベルナルトさんが彼から視線を外し、オレもティーカップを見つめてしまった。

 リーゼル。その名前は今、彼の肩に乗っている白猫のものだ。彼は亡き婚約者の名前を魔猫につけた。――最悪だ。

 ふと紅茶が冷めてしまうと思って、そっとティーカップを手に取った。アールグレイをすすってみると、早くもぬるくなっていた。

「ごめん、リーゼル。ごめん、ハインツ」

 謝られても、オレは返すべき適切な言葉を見つけられない。

 どうしようもなく重苦しい空気を破ったのはリーゼルだった。急に彼の肩から飛び降り、個室を出ていってしまったのだ。

「どこ行くんだよ、リーゼル!」

 慌ててオレが追いかけると、彼女が何者かに抱き上げられる。視線を上げればアロイスさんだ!

「どうしたんだい、子猫ちゃん。嫌なことでもあった?」

 と、無理やり胸に抱いてこちらへやってくる。

「やあ、ハインツ」

「あ、えと、こんにちは」

 思いがけない人物の登場に戸惑うオレだが、アロイスさんはかまわずに個室へ向かう。

「泣いてるねぇ、フロレンツ。どこまでゲロった?」

 ちらりと視線をやった先生は、どこかむすっとして返す。

「半分くらい」

 まだあるのかと内心で呆れたような気になりつつ、アロイスさんからリーゼルを返してもらった。魔猫はどうやら逃げ出したかったようだが、阻止されたことですねている。

「じゃあ、全部話しちゃえよ。オレがあとでなぐさめるから、安心して白状しな」

 と、アロイスさん。

 オレはあとでリーゼルにおやつでも買って機嫌をとろうかと考えながら席へ戻った。

「……リーゼルが亡くなった後のことだ」

 先生が再び語り始め、全員の視線を集める。

「現実を受け入れられなくて、僕は荒れた」

「荒れたっていうか異常だったね。精神が不安定になったせいで魔法が使えなくなって、見かねて本部に戻された。かと思えば、蘇生魔法を求めだしたんだから」

 アロイスさんの説明にオレとベルナルトさんは目を丸くする。

「蘇生魔法はないって……」

「ああ、ないよ。それでも求めずにはいられないほど、当時のフロレンツは追いつめられていたのさ」

 少しは気分が落ち着いたのだろう、先生はハンカチで顔を拭ってから静かに紅茶をすすった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る