第6話 フロレンツの焦り

 首都イシュドルフは戦禍せんかに巻き込まれることなく、昔から変わらず穏やかであるという。その証拠というわけではないが、街のあちこちで野良猫を見かけた。

「お、また来てる」

 キッチンで昼食を作っていると、裏手の庭に茶色い野良猫が入ってきていることに気づいた。少し前から度々見かける大人の猫だ。

 特に迷惑なこともないから気にはせず、好き勝手に出入りさせていた。うちの庭は入りやすいのか、昔からさまざまな野良猫がよく来ていたからだ。

 リーゼルは野良猫が気に食わない様子だが、直接喧嘩する気もないらしい。窓越しにじっとにらんでいるだけで、いつも野良猫の方が無視をして行ってしまう。

「ほら、リーゼル。ご飯だぞ」

 と、エサの入った皿を床へ置いてやる。

 すぐにリーゼルは下りてきて、いつもみたいにがつがつと食べ始めた。

「先生、お昼ご飯出来ましたよー!」

 大きめの声で作業場に向かって言えば、扉越しに彼の立ち上がる音がする。

 先生が来るまでにオレは二人分の昼食をテーブルへ運んだ。先に席に座って食事を始めると、先生が疲れた様子でやってくる。

「はあ、今日も全然お客さん来ないねぇ」

「そうですね」

 オレが素直に肯定すれば先生は苦笑し、かけていた眼鏡を胸ポケットにしまいながら席へ着いた。

「昨日の話だけど」

 ホットサンドを手にしつつ彼が言う。

「魔法学校へ通わせるとみんなが驚いちゃうし、君の存在がおおやけになってしまうよね」

「ダメなんですか?」

「ダメというか、ハインツは注目されるのが苦手でしょう?」

 オレはホットサンドを一口かじって咀嚼そしゃくしながらうなずいた。

「ええ、まあ、好きではないですね」

 先生ももぐもぐと口を動かし、飲み込んでから続けた。

「家庭教師を雇ってもいいけれど、君のことが噂にならないようにしたいから、口止め料が必要になる」

「口止め料って、そんな大げさな」

 と、オレが思わず笑うと、先生は何故かこちらをじっと見つめた。

「魔法について、少しでも教えておけばよかったと後悔してる。だから今教えるけれど、水属性は治癒が主な使い方なんだ」

「え?」

 オレはきょとんとして瞬きを何回か繰り返す。

「アロイスも水属性の魔法を使って怪我を治療してる。それが魔法医師というものなんだけど、それ以外に水属性が出来ることはないというのが一般常識なんだ」

「常識……?」

 背筋がひやりと冷たくなった。

「火属性は主に攻撃するのにけていて、土と風も攻撃はできるけれど、弱体化や強化が主になる。そして水属性は治癒……ここまで言えば、もう分かるよね」

 脳裏に浮かぶのはあの日のこと。薄暗い中、オレがしたこと。

 手にしたホットサンドを皿へ戻して、オレはまだ湯気を立てている紅茶に目を落とす。

「ハインツ、君がどうして水属性による攻撃ができたのか、僕も知りたいと思う。もしかしたら、君にはもっと他にも出来ることがあるかもしれない。いいや、君にしかできないことがあるのかもしれないと思うんだ」

「で、でも……でも、オレは……」

 何も特別じゃないと思っていた。

「オレはただの、ウェンベルンの生き残りで……ただの生き残りで」

 先生とは違う。天才魔法使いである彼とは違う。アロイスさんやヘルマンさんとも違う。オレはただの一般人で、何も特別なことなんてなくて――本当に?

「本当にそう思うかい?」

 先生の声がにわかに低く聞こえた。真剣に彼は問うているのだ。

 うつむいたまま、オレは両手を膝の上へ置いてぎゅっと握った。

「正直に言うと、僕はもったいないと思っているよ。ハインツの持つ力について解明したいし、役に立てる方法があるなら見つけたい。でも、君が望まないなら、見なかったことにしてもいい」

 そんな風に言われるとますます困惑する。混乱して頭がおかしくなりそうになる。

「だけど、君が特別な人間であることは変わらない。才能とも言えるそれを活かすか殺すかは、ハインツが選ぶべきだ」

 急激なプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、オレは先生を見た。

「何で、急にそんな話をするんですか? あの日のことは忘れてって、先生言ってたじゃないですか」

 泣きたいのに泣けなくて、笑いたいのに笑えない。ぎこちない表情なのが自分でも分かる。

 困ったような顔をして先生は言った。

「あの時は忘れるべきだと思ったんだ。でも、アロイスに見つかってしまった。隠し通そうと思っていたのに、そうも行かなくなってしまったんだよ」

 彼の言うことは理解できる。でもオレは我慢できなかった。

「急にそんな事言われて、決められるわけないでしょう!? 分かんないです、オレ……どうしたらいいかなんて、全然っ」

 がたっと席を立ってリビングへ駆け出す。ダイニングキッチンにいる彼へ背を向けるように、階段横の壁へ背を預けて座り込んだ。

 両膝を抱えるようにして顔を埋め、嗚咽おえつを必死にこらえる。

「……ごめん。僕は少し、焦ってしまっていたようだ」

 そう言って先生が黙々と昼食を再開するのを、オレは耳で聞いていた。

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