震災と心の病

月神 奏空

第1話

もう13年も経つらしいですね。


などと他人事のように言っては被災者の方から反感を買うかもしれませんが。


わたしも被災した一人であることを綴っておきます。



2011年3月11日 14時46分


わたしは当時高校生。正直、家でも学校でも嫌なことが続き荒れていました。


当時のことはよく覚えていない部分もあります。思い出そうとすると頭痛と吐き気に襲われてそれは叶いません。


覚えているのは。

避難先で会えなかった当時小学生だった妹。

人一倍怖がりで、お姉ちゃん大好きな妹のこと。

探しても探してもどこにもいない彼女のことが気がかりで、大人しく避難なんてしていられなかった。

冷静ではいられなかったんです。避難先にいたお年寄りの方が「津波がくる。あなたの家はダメだ。帰っちゃいけない」と、そう引き止めてくれたのに。

わたしは妹がいないと言って振り切って家へと帰ろうとしました。

途中で母と合流しました。

ややあって妹とも合流しました。

そこでようやく安心して3人で車に乗って避難しようとした時、妙な静寂を不気味に思ったわたしは外を見ていました。

「きた」

わたしが口に出せたのは、たったそれだけでした。

あっという間に濁流に飲み込まれ、車は制御不能。

ただ、そのまま流された訳ではありませんでした。

たまたま水が溜まるような地形に救われたのです。

窓から近くの小屋の屋根に乗り移り、少しでも高い所へと避難したように思えます。

わたしは小屋の屋根に飛び乗る際に足を滑らせて水に浸かってしまい、寒さで意識が朦朧としていたのでその後のことはよく覚えていません。

ただ何度も、可愛い妹が私を呼んで泣くので、初めて「死にたくない」と思えたのです。


わたしが住んでいたのは比較的被害のない地域でした。きちんとお年寄りの方の話を聞いていれば、わたしは今のように悩むことはなくて済んだと思います。


家族みんな無事に助かりました。不幸中の幸いでした。

だけど、妹の心に深い傷を負わせてしまいました。

彼女は今でも精神科に通い、サイレンが鳴る度にパニックを起こして呼吸すらままならない状態になります。


わたしがこの話をする度に、辛い思いをしたね、と周りの人は言います。

でも、今本当に辛いのは「あの時死ねなかった自分」なんです。


あの時からか、その前からか。

私も心を病んでいます。

今も病院のベッドの上でこれを書いています。


不謹慎だと思われるでしょう。最低な人間だと思われるでしょう。

もちろん被災して亡くなった方たちを冒涜するような意図はありません。

ただ、助かったからこそ。経験して助かったからこそ。

苦痛が未だに続いている人間がいるのだということを、少しでもご理解頂けたらと思います。


死んだら楽になる、なんてことはないのでしょう。

それでも。

生きていることが苦痛で仕方ないと。

震災の影響は大きく爪痕を残しています。


どうか、忘れないでください。

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