箱の中の出来事

うろこ道

「あ、お着替え終わりました? お荷物こちらでお預かりしますんで。スマホも」

 簡単な面接のあとに入院着のようなものに着替えさせられた俺は、更衣室から出るなり、廊下で待ちかまえていた作業着を着た係員の男に声を掛けられた。

 言われるがままに、両手に抱えた私物――デイパック、もともと着ていた衣服、靴、スマートフォン――を預ける。係員の男はそれらを片手で器用に抱えると、もう片方の手でパイプ椅子の上に置かれたモバイルノートパソコンを操作しながら言った。

「あなたは四十七号室になりますねー。あーそこ。そこの廊下をまっすぐ行ってですねぇ、突き当たりを左に曲がると番号の部屋がありますんで。そこでいったんお待ちくださいねぇ」

 係員の男は廊下の先を指で示すと、作業着と同じ鼠色の帽子を目深にかぶりなおしてぺこりと頭を下げた。

「じゃ、よろしくお願いしまーす」

 くえないタイプの男だな――愛想のよい声で見送る係員を一瞥し、踵を返す。

 わりのいい単発アルバイトだった。しかも給料は現金手渡しで、俺はちょっとした小遣い稼ぎの感覚で参加したのだった。

 深緑のリノリウムの床を、ホテルのアメニティのような薄いスリッパでぺたぺたと歩く。

 古く、薄暗い廊下だった。なんだか病院じみて見えるのは、施設を入った時から始終感じている消毒液の臭いのせいだろうか。

 そこで、腕時計を外し忘れていたことに気づいた。身につけているものは全て預けるように言われていたのに。引きかえすのも面倒で、俺はそのまま長い廊下を進んだ。注意されたらその時に外せばいい。

 指示されたとおりに突きあたりを左に曲がり――そこで思わず足がとまった。

 先が見えないほどに長い通路がまっすぐに伸びていたのだ。呆然とした。数百メートル、いや、何キロも続いているのではないかと思うほどだ。

 通路の左右にはドアが等間隔にずらりと並んでいた。しかも、部屋は番号順に並んでいるわけではないようだ。この無数のドアから四十七号室を探さなければならないのか? 気が遠くなりかけたが、これも仕事だと割り切り、両壁に連なるドアの部屋番号を順に見ながら通路を進んでゆく。

 五分ほど経ったところで目的の部屋番号を見つけた。それほど時間を食わなかったことに安堵しながら、昔ながらの円筒錠のドアノブを回した。

 ドアを開けた瞬間、眩しさに思わず目をすがめた。真っ白な空間が広がっていたのだ。

 そこは約五メートル四方の四角い部屋だった。壁も天井も床も均質に白い。眩しく感じたのは、その明度が異様に高いためだった。

 家具もなければ窓さえもなかった。まるで箱だ。

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