第24話 がらくた山の宝⑥

 午後七時を過ぎた頃、エイミー・ベールの個展の会場となる商業施設のホールは閑散としていた。

 エイミー・ベールはホールの中で一人佇んでいた。まだ何も展示されていない空間をただ見つめており、唇は閉じられている。

 彼女の背後から足音が鳴る。振り返るとジェラルド・ホフマンが立っていた。


「エイミーさん、サイラスくんの行方について何か連絡はありましたか?」


 彼は眉尻を下げて訊ねた。


「いいえ、何も」


 エイミーは冷たく返すが、ホフマンは気にした様子を見せなかった。


「そうですか……確認しておきますが、貴女は本当に彼の居場所について何も知らないのですね?」

「知らないのかって……それは当然じゃないですか。だから調査を依頼したんですよ」


 ホフマンが念を押すように訊いてきたのに対して、エイミーは訝しみながら答えた。

 ホフマンは彼女の心を見抜こうとするように鋭い目で見つめたが、すぐに目元を和らげた。


「まあ、そうでしょうね」


 エイミーは彼の態度に違和感を覚えた。今度は彼女が鋭く質問を投げる。


「……ホフマンさん、貴方ひょっとしてサイラスのことで何か知ってるんですか?」

「そういうわけではありませんよ。ただ、気になっただけです」


 ホフマンは肩を揺らしながら微笑みを湛えた。エイミーはその薄っぺらい表情を見て本能的に危機感を抱いた。


「ねえ、貴方まさか弟にも何か――」


 その時、新たな足音が二人の耳に届いた。二人は同時に音の鳴る方へ目を向けた。


 レイキシリス・ブラウエルがそこにいた。


「ああ、よかった。お二人ともまだ残っていてくれて助かりました。お店の方に連絡したらまだここにいるはずだと聞いたので急いで来たんです」


 レイクは安心したようにほっと息を吐いた。


「これはブラウエルさん。私たちに用でも?」


 ホフマンは微笑みを保ちつつ、かつ警戒心を僅かに強めた。

 レイクは勿体ぶって咳払いをするとエイミーを見る。


「実は朗報をお伝えしたくて参りました。サイラスさんが見つかりましたよ」


 彼の口から出た言葉を受けて、エイミーは先程まで表情に秘めていた不穏さを一瞬で霧散させた。


「本当ですか! 弟はどこで見つかったんですか?」


 期待を前面に押し出してエイミーは訊ねる。

 レイクは一度頷くと言った。


「それをお話する前に、まずは一つ別の話を聴いていただけませんか?」


 エイミーとホフマンは揃ってレイクを見つめる。レイクの表情と言葉に何かただならぬ気配が漂っていることに、二人は同時に気づいた。


 レイクはまだ何もないホールを見回した。そして、物語を読み聞かせる語り手のような調子で言った。


「サイラス・ベールさんは芸術家を目指して大変努力されていました。魔術の適性が芸術家向きではなくとも必死に研鑽を重ね、意欲的に作品制作に取り組んでこられた。しかし、残念ながら彼の作品が日の目を見ることはありませんでした。そんな最中、敬愛する姉であるエイミーさんの作品がホフマンさんにより見出され、貴族から高い評価を受けるようになった。それは彼にとって嬉しくもあり、ひどく屈辱でもあったのです。サイラスさんはエイミーさんへの嫉妬心を抱えながら悶々とした日々を過ごすことになった」


 彼はそこで一旦話を止めると、エイミーの顔を真っ直ぐ見据えた。


「一方、貴女の道程は順風満帆だった。ホフマンさんは貴女の作品を積極的に宣伝し、個展を何度も開催してその名を知らしめることに成功した。さらに多額の支援をして新しいアトリエまで用意した。ええ、不自然に思えるほどの熱意です。一体何がホフマンさんをそこまで動かしたのでしょう?」


 ホフマンは肩をすくめて答えた。


「彼女の作品が世に出るべきだと考えたからに過ぎませんよ」


 レイクは皮肉めいた笑みを浮かべた。


「ああ、確かにその通りです! エイミーさんの作品集を見せてもらいましたが、審美眼には然程自信のない私でも良いと思える作品ものばかりでした。本当に貴女は芸術家としての才能がある。だが、これ・・だけはいただけない」


 そう言ってレイクは懐からジュエリーボックスを取り出した。蓋を開けて中身を見せると、エイミーは息を呑んだ。

 ローマン伯爵夫人のお気に入りの宝石に似せた紛い物が、小さな箱の中に鎮座していた。


「それは――」


 かすれた声を必死に絞り出そうとするエイミーを、レイクは手を前に出して制した。


「土属性の適性を持つ魔術師は芸術家向きと云われている。それは鉱物の扱いに長けているからだ。貴女も素材の扱いが巧みだとネッドが言っていましたね。ホフマンさんは貴女の魔術師としての才能に目をつけた。即ち、模造宝石の職人・・・・・・・としてだ」


 レイクは横目でジェラルド・ホフマンを睨んだ。彼は無表情のままレイクを見返した。


「そのための支援だった。作品を売ったのも、アトリエを用意したのも、宝石詐欺と窃盗の共犯者としての報酬だ。四年前から貴女はジェラルド・ホフマンの犯罪に加担していた」


 レイクは蓋を閉めた小箱を再び懐に収めた。彼は哀れむように言った。


「これをどこで手に入れたか分かりますか? 貴女の弟さん――サイラスさんが持っていたものです」


 エイミーは目を見張った。


「何ですって――?」

「貴女はご自分の裏の顔をサイラスさんには隠していた。同じ芸術家を目指す者として、彼は嫉妬しながらも貴女を心から尊敬していた。そんな彼の信頼を裏切る真似をしているとはとても明かせなかった。だが、貴女は何もご存じなかった。サイラスさんもまたホフマンの共犯者に仕立て上げられていたなんて夢にも思わなかったでしょう」


 エイミーがホフマンへ凍りついた視線を注いだ。

 レイクは淡々と続ける。


「サイラスさんは日々の生活に困窮し、悪魔の囁きに耳を貸してしまった。断れば姉への支援を止めるとも脅されていた。彼は家庭教師という身分を利用して獲物を見定め、狙えそうな宝石を探し当てた。その写真を密かに撮りホフマンに渡すと、彼が偽物の宝石を用意してくれるので、後はそれをすり替えるだけでよかった。勤め先から信用を得ていた彼にとっては楽な仕事だったでしょう。しかし、まさかその偽物を造っていたのが他でもない姉であるとは流石に知らなかったのです」


 エイミーは怒りを込めて叫ぶ。


「ジェラルド! これはどういうことなの! 弟には何も言わないって約束だったでしょう!」


 ホフマンは何も言わず、ただじっとしていた。レイクは彼の様子を観察していた。それから少し視線を下げ、目を細めた。

 レイクは再びエイミーをの顔を見つめた。


「あなた方ご姉弟は互いに秘密を抱え、罪悪感をひた隠しにしながら生きてきた。それは相手を自分の罪に巻き込みたくないというせめてもの思いだった。だが、実際には双方ともにジェラルド・ホフマンに利用されていた。ところで、サイラスさんが何故このからくりに気づいたのかというと、その秘密を彼に教えた人がいたからだ」


 レイクはホールの入口がある方角へと顔を向けた。展示用仕切りの陰から四人の人間が待ち構えていたようにぞれぞれと現れる。先頭に立つのはアマリ・デイビアス、その後ろにサイラス・ベールとディアナ・アッシャー、そして一番後ろにレイクを尾行していた男がいた。


「サイラス!」


 エイミーは弟の名を叫び、一目散に飛んでいった。サイラスは姉に勢いよく抱き着かれて身じろぎしたが、振りほどくことができなかった。

 それを間近で見つめていた男が鼻を鳴らして言った。


「馬鹿なことをしたな、エイミー・ベール。三年前にホフマンが逮捕された時に全部話していれば、弟は罪を犯さずに済んだだろうに」


 エイミーは彼の顔を見て、瞳に罪の意識を滲ませた。

 レイクはホフマンへと向き直った。


「彼は二年前まで帝都警察に勤めていたグレイヴス元二等捜査官だ。あんたは勿論知っているだろう。三年前にあんたを一度逮捕した張本人だからね。彼がエイミーさんとホフマンの裏の繋がりを、サイラスさんに教えたんだ。グレイヴス氏は退職後に西部にある故郷へ帰って暮らしていたけど、最近になってもう一度あんたを調べてみようと帝都へ帰ってきたんだよ」


 グレイヴスはかつて取り逃がした男を睨みつけながら言った。


「切っ掛けはほんの偶然だった。地元で美術品の市が開催されていたから興味本位で足を運んでみたら、ある店でエイミー・ベールの作品を見つけたんだ。今帝都の貴族の間で評判の芸術家の初期の作品って触れ込みでな。店主に話を聞いてみると、彼女の支援者がジェラルド・ホフマンだと言うものだからより一層興味が湧いた。その作品は鉱物の結晶を削った小さな像だったんだが、よくよく調べてみるとその細工に見覚えがあった。三年前の事件で押収された偽宝石の細工と似通っていたんだ」

「それでエイミーが偽宝石を造ったんじゃないかと疑いを抱いたわけだ。あんたはエイミーを調べ、サイラスを調べ、そしてマロイ子爵の偽物騒動に行き当たった。そうして事件の全貌を掴んだんだ」


 アマリは元捜査官の観察眼に感心したように言った。


「ただ、グレイヴス氏にとって誤算が一つあった。それは姉弟が互いにホフマンの犯罪に関与していることを知らなかったことだ。サイラスさんはローマン伯爵の邸から出たところを待ち伏せされて、グレイヴス氏に問い詰められた。宝石をすり替えたことは分かっている。ホフマンと姉と三人で共謀したんだろうとね」

「サイラスはそこで初めてあんたの秘密を知ったんだね。突然突きつけられた真実に混乱して、悩んで、考え抜いて――そして、姉に対する愛情やら嫉妬やら罪悪感といった諸々の感情が爆発した末に、全部ほっぽり出してディアナの元へ駆け込んだ」


 レイクとアマリが語る内容に誰も異論を唱えることはなかった。

 サイラスとエイミーは互いの顔を見て、明かされた真実に動揺を隠せない。ディアナは恋人へ涙に満ちた目を向けた。グレイヴスは静かに探偵の言葉の続きを待った。ホフマンはレイクを見ていたが、時折あらぬ方向へ視線が泳いでいた。


「何も知らないエイミーさんはサイラスさんの捜索を私に依頼した。帝都警察に捜索願を出さなかったのは、ホフマンの名が挙がると再び疑いを抱かれる恐れがあったからです。貴女はサイラスさんが姿を消した原因の一端が自分にあるとは思わなかった。一方でサイラスさんはディアナさんの下で隠れ暮らしていたが、今後どうすべきか結論が出なかった。そんな時にすり替える予定の偽宝石を持ったままだったことを思い出し、ディアナさんに累が及ぶことも懸念して処分することを決めた。ちなみに彼は偽宝石をディアナさんの家から離れたアラド区の不法投棄場に捨てましたが、わざわざそこまで行ったのはエイミーさんの家の様子を密かに窺うために出掛けたついでだったからだそうです」

「そして、その宝石を捨てる現場を偶然通りかかった私が目撃して回収に至ったというわけさ」


 事件の一部始終の説明はアマリの言葉によって締めくくられた。

 レイクは若き女性芸術家の元へ歩み寄った。


「これがこの事件のすべてです。さてエイミーさん、貴女はサイラスさんを犯罪に巻き込まないと約束を交わした上でホフマンに協力しました。しかし、その約束は反故にされてしまった。貴女はこれからどうされますか? もしホフマンを見限り、告発するというのであれば、あなた方の罪が可能な限り軽くなるよう帝都警察に話をつけましょう」


 エイミーは僅かに逡巡したが、すぐに決意を秘めた表情を見せた。


「その提案に乗らせていただきます。ジェラルド・ホフマンが三年前の詐欺事件と、他の事件に関与していることを証言します」


 レイクは満足げに頷いた。彼はホフマンに対して挑戦的な笑みを浮かべた。


「次はあんただ。一体どうする?」


 ジェラルド・ホフマンは大きく息を吐いた。


「正直に言うとこの結果には驚いていません。サイラスくんが消えた時点で秘密が漏れる覚悟はしておりました。したがってこれも想定内です」

「ほう、ではあんたはどういった対処をとるつもりだと?」


 レイクが面白そうに先を促す。

 ホフマンは瞳を輝かせた。


「それは――こうですよ!」


 ホフマンが言い終えた瞬間、彼の身体が歪んだかと思うと最初から存在しなかったかのように消失した。




 ホールから消えたホフマンの姿は、施設一階の裏口近くの通路に突如として現れた。


(馬鹿どもが! 私が何の準備もしていないと思ったか!)


 ホフマンは身に着けている指輪に目を落とす。指輪に填めこまれた宝石が薄暗い仲で僅かな光を浴びて鈍く輝いている。指輪型の魔導器具は仕様通りの役目を果たした。


(日没後に来たのも愚かだったな。闇に紛れれば逃げるのは容易い。このまま隠れ家へ行って金と偽の身分証を持って帝都を出ればこちらの勝ちだ)


 ホフマンはほくそ笑む。サイラス・ベールが失踪した時から彼は逃げる算段を立てていた。エイミーがブラウエル侯爵家出身の探偵を雇ったと知ってから、その警戒はより高まった。

 現在の地位を捨てるのは惜しいが、やり直す機会は十分にあった。金があれば変成魔術に長けた医者に整形してもらえる。それからまた何か商売を始めればいいだろう。彼の思考は既に未来へ向けられていた。


 ホフマンは裏口から飛び出した。彼はもう一度指輪に目を落とし、再び魔力を込めようとした。

 その時、彼の死角から二つの人影が飛び出してきた。

 ホフマンが声を上げると同時に、彼の身体が押し倒された。突然の出来事に混乱しつつももがいて抵抗したが敵わなかった。

 彼を取り押さえるアーネスト・パイン二等捜査官が指輪型の魔導器具を取り外す。その間、リーヤ・マリガン三等捜査官が細身の体で抑え込み続けた。


 ホフマンが諦め悪く怒声を放つ中、レイクたちが悠々と現れた。同じくしてブラン・アルケイン刑事部長も歩いてやって来た。


「レイクの言ったとおりね。まんまとかかってくれたわ」


 ブランはパインから受け取ったホフマンの指輪を街灯の灯りに照らして観察する。

 レイクはホフマンを見下ろした。


「お前がつけている指輪が魔導器具なのは分かっていた。職業柄犯罪者が好む魔導器具には詳しくてね。その手の魔導器具は装飾品の形をしていることが多く、その効果は大体が姿消しだ。だから事前にそれを予想できていれば、こうして警官を待機させて捕まえることは難しくない」

「姿消しの効果は魔力の消費が激しく、魔導器具自体に負荷がかかって連続使用に制限がかかるのが難点よ。再使用までに時間がかかるから、そこを攻めればいいだけ」


 レイクとブランは勝利の笑みをホフマンに晒した。彼は抑え込まれた状態で二人を見上げ、紳士の仮面を脱ぎ捨て聞くに堪えない罵詈雑言を次から次へ吐いた。

 パインとマリガンが気を利かせて、ホフマンに手錠をかけ連行していく。彼らの後ろ姿を一同は静かに眺めていた。


 エイミー・ベールがレイクに言った。


「レイクさん、本当にありがとうございます。そしてご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「貴女の才能は正しく芸術のためにあるべきですよ。罪を償った時はまた創作を再開してください。その時は弟さんも一緒に」


 レイクは姉弟へ優しい眼差しを向けた。


「ええ、そうします」


 エイミーは最後に憑き物が落ちたように微笑んだ。

 それからエイミーとサイラスは、新たにやって来た制服警官に両脇を挟まれて連れていかれた。ディアナ・アッシャーはレイクとアマリに頭を下げると、二人についていった。ブランも後に続いて去っていった。


 最後に残ったグレイヴスが笑う。


「レイキシリスくん、俺からも礼を言うよ。君のお陰で心残りがなくなった」

「今回の事件が解決に導かれたのは貴方の警察官としての執念によるものですよ。貴方がサイラスを追及しなければ、ホフマンの罪は闇に消えたでしょう」

「そう言ってもらえるなら帝都へ戻ってきた甲斐があった」


 グレイヴスはそう言って夜の街並みへと消えていった。


 アマリは肩が凝ったと言わんばかりに腕を回す。


「やれやれ、まさかこんな手の込んだ事件だったとはね。がらくた山から拾った偽宝石ごみが思いもよらない真実を秘めてたってわけだ」

「ごみの不法投棄は犯罪だけど、そのごみの下にはもっと大きな犯罪が隠れていた。大きな犯罪は堂々と目立っているとは限らず、存外小さな犯罪に埋もれているものだよ」


 レイクが含蓄のありそうな言葉を述べると、アマリは身体を震わせた。


「ひょっとするとあのがらくた山には、他にも隠れた犯罪が眠っているかもね。だとしたら恐ろしいもんだよ! 誰にも知られていない犯罪は誰が解決してくれるっていうんだい?」

「そういう犯罪を解決するために俺は探偵をやってるんだよ」


 レイキシリス・ブラウエルは心からの誇りを持って言った。

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