第16話 ガキ大将②

 翌日も天気は快晴だった。

 マルタ区のカフェ《甘美荘》では、店長のホタル・ミスミが来店する客を捌くため、従業員に指示を出していた。


 従業員のミリアムが店内を見回して言った。


「最近アイスが人気になってきましたね」

「アイスが売れるようになると本格的に夏が来たって実感するわね」


 ここ最近甘美荘ではアイスクリームの注文が多くなっていた。開店時にキッチンの冷凍庫にぎっちりと詰まっていたアイスクリームは、昼頃になると一部のスペースが空になるほどの勢いで売れていた。


 入口の扉に備えつけられたベルが鳴り、新たな客の来店を告げた。

 ホタルは入口の方を見た。やって来たのは一組の男女だ。男の方は銀髪のがっしりした身体つきの男で、女は左の目元にあるほくろが印象的だった。


(あれは……)


 男の顔を見たホタルの目が鋭くなった。彼女はミリアムに小声で言った。


「……ミリアム、貴女の影に潜るわ。今入ってきた二人組の客の応対をお願い」

「あの二人ですね。分かりました」


 ホタルは客から見えない位置に移動してから、全身に紫色の魔力を纏うと、次の瞬間身体が溶けるように崩れた。そして、ホタルの肉体を構成していた要素は、床に差していたミリアムの影の中へと消えていく。


 ミリアムはそれを確認すると、何食わぬ顔で来店した男女の元へ向かい、空いている席へ案内した。


「こちらメニュー表になります。御注文がお決まりになりましたらベルを鳴らしてください」


 ミリアムはメニュー表をテーブルの上に置くと、一瞬床の影に目を落としてから戻っていった。

 ミリアムの影からテーブルの影へと移動したホタルは、影の中でじっと息を潜めた。


(“三叉のカーマイン”――帝都へ来ていたのね)


 男は“三叉のカーマイン”の名で知られる盗賊だった。ホタルは現役だった頃、数回彼と顔を合わせたことがあった。当時は南部を中心に活動しており、帝都に姿を現したことは過去に一度もなかったはずだった。


「なかなか小洒落た店だな。なかなか良い店見つけたなレリア」


 カーマインは店内の雰囲気を好んだ様子だ。相方のレリアはメニュー表を開いて、期待に満ちた目をする。


「ここは菓子が美味しい店って話よ。なんでもここのアイスクリームが凄く評判で、夏場にお薦めの品らしいの。私たちも頼んでみましょう」


 レリアは甘い物が好物で、アイスの他にも何か頼もうとメニュー表を隅から隅まで見始めた。


(一緒にいるレリアという女は初めて見るわね)


 ホタルにはレリアに見覚えは無かった。年は二十代後半か、三十代前半といったところだ。ぱっとしない地味な印象で、人ごみに紛れると見失いそうな雰囲気があった。だが、ホタルは彼女が堅気の人間でないことを見抜いた。


 それからしばらくして注文の品が届くと。二人は味覚を満足させることに集中した。味について感想を語り合う二人の会話を、ホタルは静かに聴いていた。


 十分ほど経った頃、カーマインが周囲に気を配り、誰もいないことを確認してからレリアに話しかけた。


「いよいよあと三日だ。帝都に来て初めての仕事だな。腕が鳴る」

「準備に時間がかかったけど、ようやく取り掛かれそうね」

「ああ。金庫の鍵の複製を作らせたし、結界の解除方法も見つけ出した。後はあの家に乗り込んで全部奪うだけだ」

「いつも通り家にいるのは皆殺しで?」

「ああ、それが一番後腐れがない」


 カーマインは残忍な笑みを浮かべた。ホタルは影の中でそれを聴いて不愉快そうに顔を歪めた。


(相変わらずの外道ね……)


 ホタルが現役だった頃から、カーマインは血を見るのを好む外道として知られていた。その悪辣な在り方はホタルにとって到底受け入れ難く、彼女はカーマインと顔を合わせた時も必要以上に関わらないように心掛けていた。


「そうそう、例の表はちゃんと持ってるわよね? あれに魔力波のパターンと結界の解除手順が書いてあるからなくさないようにね」

「分かってるよレリア。鍵と一緒にちゃんと入れてる」


 カーマインはズボンのポケットを上から叩く。ホタルはその中に布のような物で包まれた厚みのある何かが入っているのを見た。


「あいつには感謝しないとね。土地勘のあるあいつがいなかったら、もっと準備に時間がかかってたわ」

「拾った甲斐があったってもんだ。あいつにはまだまだ役に立ってもらわないとな」


 二人は下卑た笑いを浮かべた。

 数分後、二人は支払いを済ませると、機嫌良く店の外へ出ていった。


 ミリアムは二人が去った後のテーブルへ近づく。テーブルの下からホタルがミリアムの影へと移った。ミリアムがキッチンへ戻ると、ホタルはようやく影の外へ肉体を戻した。


「ミリアム、レイクさんに連絡して。私はあの二人の後を追うから」

「はい」


 詳細な説明を必要とせずともミリアムは意図を理解し、与えられた仕事を全うすることにした。ホタルは店の裏手にある従業員用の出入口から外へ出ると、カーマインとレリアの後を追った。

 二人は大通りを並んで歩いていた。周囲を警戒している様子は見られない。ホタルは再び影に潜ると、通行人たちにも気づかれぬように、それでいて機敏かつ大胆に影から影へと渡っていく。


 これが“影踏みのホタル”と呼ばれた盗賊の真骨頂である。


 ホタルは生命属性に適性を持つ魔術師だ。生命属性は生物の肉体に作用する魔術が分類される属性であり、肉体の強化や改変などを主とする。

 生命属性の魔術で最も有名なものは、言わずと知れた身体強化だ。魔力を纏い、一時的に身体能力を向上させる魔術であり、魔力を纏うという単純な魔力操作によって効果を発揮できるため、適性の有無に関わらず魔術師であれば誰でも習得している基本中の基本だ。

 他に、生命属性の特徴として、水属性との親和性が高いことでが挙げられる。そのため水属性に適性のある魔術師であれば、生命属性の魔術を習得することは容易だ。現在、医療魔術師の内、およそ八割が水属性、残り二割が生命属性に適性を持つと云われている。


 ホタルの異名の由来となった“影踏み”は、術者の肉体を影と同化させる魔術だ。魔力で肉体を分解して影に溶け込ませる。そして、影の主が移動すれば潜っているホタル自身もそれに合わせて移動できる。また、ホタル自身が影から影へ飛び移ることも可能だ。影に潜っている間、継続的に魔力を消耗するという欠点はあるが、隠密行動や逃走に向いていて非常に有用である。ホタルはこの魔術を以って、数々の盗みを成功させてきた。


 ホタルは二人の尾行を続ける。二人は大通りから裏通りへと入っていき、そのまま真っ直ぐ歩いた。日陰が多く、大通りと比べると涼しい場所だった。二人は道を真っ直ぐ進んでいく。やがて、二人はある建物の中へ入っていった。

 ホタルは建物の前で影から出ると、二人が消えた建物を見上げた。古い三階建ての商業ビルだった。


(このオフィスがねぐらか……中に入るのは止めておきましょう。後のことはレイクさんの判断を仰いでからです)


 ホタルはそう考えると一度店へ戻ることにした。去り際にもう一度建物を見上げると、二階の窓に人影が見えた。




 ミリアムから電話で連絡を受けたレイクは、その日外出せず家で待機することにした。

 昼の三時を過ぎた頃、ホタルから電話がかかってきた。彼女はカーマインが来店してからの流れを、簡潔に説明した。


 話を聴き終えてからレイクは訊ねた。


「“三叉のカーマイン”ね、どんな奴なの?」

「南部にあった漁師の家の出身で、昔は“墓守のヴィルク”という盗賊の頭の下で活動していた男です。人を殺すも女を犯すも好む根っからの悪党で、盗賊の世界でも忌避されるような奴でした。ですが、似たような気質だったヴィルクには随分可愛がられていたみたいです。ヴィルクが病死して一味が解散したという話は耳にしていましたが、あの様子だと新しく自分の一味を結成したようですね」

「今度は帝都で一仕事するつもりか……結界の解除手順を調べたと言っていたんだね?」


 レイクは話の中で一番気にかかった点を確かめた。


「はい。それに金庫の鍵の複製も作らせたと」

「結界の魔導器具を設置している家が狙いか……あれ結構魔力を食うから高価なんだよね」

「だからこそ結界発生装置を設置している家なら、かなり金を貯め込んでいると分かりますからね。結界を突破する手段さえあれば狙い目でしょう」

「うん、実行に移されたら大きな被害が出る。ましてや外道なら多くの血が流れるかもしれない」


 レイクはホタルに同意した。


「一先ずブランに話してみるよ。対応はそれから決めよう」




 ニックは朝の七時に目を覚ました。蒸すような空気の中、汗ばんだ背中に不快感を覚えながら身体を起こす。ベッドの上で身体を動かすたびに、木製のベッドが軋んだ。

 彼は外に出て桶に溜めた水で顔を洗うと、朝食の準備を始めた。小さなダイニングルームに置かれたテーブルの上に置かれた金属製の箱から、紙に包まれたパンをいくつか取り出した。スラムから離れた地域の商店で購入した物だ。掏摸グループの子供は、顔を知る者がいる恐れのある近隣の商店はできる限り利用しないようにしていた。


 九時半にニックは家を出た。薄汚れた路地を足早に歩いていく。彼は一昨日の失敗が原因で焦燥感に襲われていた。もしかすると自分たちは致命的な過ちを犯したのではないかという思考が、頭にこびりついて離れなかった。貴族の関係者と思わしき人物に手出ししないように仲間に言い含めなかったのは、リーダーである彼の責任だ。後悔したが今は成り行きを警戒するしかなかった。

 今のところ誰かがニックたちを捜してスラムを訪れたという話は聞いていない。それが唯一彼を安心させる要素だった。


(今は考えていても仕方ない。まずは目の前のことからだ。しばらくはあの地域で掏るのは止めた方がいい。ケイたちを捜してる連中がいるかもしれない。今日はイスメラ区に近い方に出張るか)


 ライボルト区のスラムは、オーリン区、マルタ区、リヴェストア区との境目に近い位置にある。彼らが主に活動するのはマルタ区とリヴェストア区だ。オーリン区は貴族や実業家の邸宅が並ぶ高級住宅街があるため、治安維持には力を入れていることで知られている。そんな場所で掏摸を働くのは危険すぎた。


 この日、ニックはイスメラ区との境に近いマルタ区の東側で活動することに決めた。深い理由はなく、ただエレニカと遭遇した場所から離れたいという漠然とした感情があるだけだった。

 外は変わらず日差しが照りつけている。帝都はここしばらく雨の降らない日が続いていた。ニックは目的地であるマルタ区東部の商業区に到着すると、目に入った食料品店で瓶入りの果実水を購入した。彼は店の外に出ると、近くの路地の日陰に入り座り込んだ。スラムから移動する間に汗をかいており、シャツが湿っていた。ニックは水分補給を済ませると、そこから道行く人々を観察し始めた。


(あの男でいいか)


 やがて、ニックは一人の男に目をつけた。背の高い銀髪の男だ。

 “三叉のカーマイン”だった。


 ニックは掌に緑色に輝く風属性の魔力を渦巻かせる。視線はこちらへ向かってくるカーマインに固定し、機を見計らった。

 カーマインは鼻歌を歌いながら、自分を見つめるニックの存在に気づくことなく歩いていた。そして、彼の後方に一定の距離を空けて尾行するミリアムの姿があった。彼女は今朝からカーマインが塒にしているビルの監視に当たっていた。そして、建物から一人出てきたカーマインをずっと尾行してきたのだ。ホタルには敵わないものの、彼女もまた尾行に長けている優れた盗賊だった。

 一人の盗賊と、それを別々の目的から注視する二人。盗賊は自分を見る二人には気づかず、盗賊を見る二人も互いの存在を認識していない。


 そんな喜劇の一場面のような状況の中、ニックが動いた。

 ニックの掌に収束した魔力が一気に解き放たれる。次の瞬間、通りに一陣の風が吹いた。通りに面した店のガラスが振動し、看板ががたがた鳴る。路上に落ちたチラシがくるくる回りながら飛んでいく。通りを歩いていた人々は突如わが身に襲いかかった不意の強風に、体勢を崩しそうになった。

 それはカーマインとミリアムも同様だった。カーマインは顔に風を受け、思わず目を瞑り腕を顔の前に翳した。ミリアムも顔を背けて、すぐ隣に立っていた街灯を掴んで姿勢を固定した。


「おっと……」


 カーマインの口から言葉が漏れると同時に、ニックは路地から飛び出した。通りにいる全員の視線が風によって遮られた瞬間だった。少年はカーマインの脇を素早くすり抜けると、そのポケットからはみ出ていた包みを手の内に収めた。


(いただき!)


 成功を確信するとともに、会心の笑みが伴った。彼は急いで路地に駆け込む。その姿が消えた直後、夏の暑さをほんの僅かな時間和らげた風はぴたりと止んだ。


 通りの人々は突然の風に困惑を隠しきれていなかったが、すぐに思考を切り替えて数秒後には元の行動に戻っていた。カーマインもまた歩き出し、ミリアムはその後を追った。通りは何事もなかったかのような状態だった。


 路地に逃げ込んだニックは一息吐くと、袖の中に放り込んだ包みを取り出した。掏り取った瞬間はよく見ていなかったそれは、財布ではなく布の包みだった。


(財布じゃない? なんだよそれ……金目の物は入ってんのか?)


 ニックはがっかりしながらも、まだ望みはあると包みを広げた。何か高価な品が包まれているのではないかという期待とともに。


 だが、彼の目の前に現れたのは一枚の紙と銀色の鍵だった。


(何だこれ。鍵と……紙? “解除手順”って?)


 ニックは紙に書かれた言葉を呼んで、首を傾げた。




 夜、“三叉のカーマイン”の塒となっているビルの二階にレリアの金切り声が響いた。


「なくしたってどういうことよ!」

「言葉通りの意味だ。鍵と表を入れた包みが消えてやがった」


 レリアの声に耳が痺れるような感覚に見舞われたカーマインは、事実だけを簡潔に答えた。


「ちょっと、まさか落としたんじゃないでしょうね?」

「そんなわけあるか! しっかりポケットの中に収まっていたのに落とすかよ」


 カーマインは昨日レリアの前でしたようにポケットを叩いた。レリアは解れ一つないポケットを見つめ納得した。

 カーマインとレリアの遣り取りを、一味の者たちが眺めていた。頭からもたらされた思わぬトラブルに全員不安そうにしている。


 そんな一味の中で、一人だけ冷静にしている男がいた。

 名はアーロイ。

 かつてライボルト区のスラムを掌中に収めていた男、そして今は“三叉のカーマイン”一味の参謀役を務めている男だった。


「お頭、一先ず今日あったことを思い出してみてはどうですかい? なくした理由に何か心当たりはないんですかい?」


 カーマインは腕を組んで、出かけてから包みをなくしたことに気づくまでの出来事を思い返した。

 そして、一つの記憶が焦点を合わせたかのように鮮明に浮かんだ。


「……ある。通りを歩いていて突風が吹いた時だ。あの時、ガキが一人俺の脇を通り過ぎていった」


 風を防ごうと腕を前に翳したことで、カーマインには目を開ける余裕があった。彼はその時若干顔を逸らし、自分の脇を通り抜ける少年の姿を目に留めていた。


「まさか掏られたんですか?」


 話を聴いていた一味の男が声を上げた。それに応じるように他の者もざわざわと騒ぎ始めた。

 すると、別の男が思い出したように「あっ」と言った。


「そういや俺ちょっと小耳に挟みましたぜ。一昨日くらいにオーリン区の方でガキどもが道端で煙幕使って騒ぎを起こしたって。近くのスラムのガキが掏摸に失敗して逃げるためにやったそうで。しかもそいつ風の魔術が使えるとか」

「スラムのガキ……?」


 カーマインはアーロイの方を向いた。


「アーロイ、確かお前の昔の縄張りもその近くにあったんだよな?」

「そうです。オーリン区、マルタ区、ライボルト区の境目の辺りに」

「そこのガキどもが掏った可能性はあると思うか?」

「……あります」


 アーロイはカーマインの表情を窺い、彼の機嫌を損ねないよう慎重に答えた。


「ガキどもを捜す当てはあるか?」

「まだ昔の知り合いが住んでいるなら何とかなると思います」

「分かった、明日にでも探ってみてくれ。皆、悪いが包みが見つかるまで仕事は延期だ」


 了解の言葉が飛び交い、その場は解散することになった。後に残されたのはカーマイン、レリア、アーロイの三人だけだった。


 レリアは訊ねた。


「ねえお頭、もし本当にガキどもが盗んだと分かったらどうするの?」


 その問いに、カーマインは怒りに満ちた顔で答えた。


「決まってるだろ。ガキであろうと舐めた真似しやがった落とし前はつけねえとな」




「小父さん、ちょっと見てほしい物があるんだけど」


 《ライリー医院》奥の作業部屋で魔導器具の作成を行っていたショウの元に、どたどたと足音を立てながらニックがやって来た。

 ショウは作業する手を止め、振り向いた。


「何だ?」

「これなんだけど何かの手順書みたいなんだ。何が書いてあるか判る?」


 ニックが手渡した紙を無造作に受け取ったショウは、その紙を机の上に広げ目を落とす。最初は何の気なしに読んでいたショウの目が、徐々に鋭さを増していった。

 ショウはニックに険しい表情で問いかけた。


「……これどこで手に入れた」

「ゴミを漁ってたら一緒に混ざってたんだ。何が書いてあるのか気になってさ。書いてある言葉が魔術に関係してそうだから、小父さんなら判ると思って」


 詰問される可能性を事前に予期していたニックは、平然とした顔で嘘を伝えた。ショウはじっとその顔を見つめていたが、やがて口を開いた。


「こいつは結界を発動する魔導器具の解除手段だな」

「結界?」

「結界発生装置は聞いたことあるか? 装置同士を繋げた線上に結界を発生させるんだ。金持ちが警備に使ってる」


 ニックは魔導器具には詳しくなかったが、結界という単語からその効果を推測することはできた。


「へえ、じゃあこれがあれば泥棒に入られずに済むわけ?」


 ニックが訊ねると、ショウは否定した。


「そうだが言うほど簡単な話じゃない。こいつは結界を維持するには魔力を食うから、燃料となる魔導結晶が大量に要るんだ。だから魔導結晶を継続的に購入できるくらい金が余った奴じゃないとまともに使えない。勿論運用できるならこれほど頼もしい道具はないけどな。こいつの結界は予め登録した魔力の属性の組み合わせや流れ方のパターンで、多種多様な構造に変化する。この構造の違いが堅牢性を生み、突破し辛くしているんだ」

「ええと、魔力によって結界を突破する方法が違うってこと?」

「そうだ。しかも魔力は時間とともに流れていくから、時間帯でも方法が変わってくる。昼には有効な方法だったのに、夜には役に立たなくなるって具合にな」


 ショウはそう言って机の上に広げた手順書を指でなぞった。


「だが――この手順書はその結界の構造を記したもので、時間帯毎の魔力の流れについて表にして纏めている。ここに書かれた手順に従えばいつでも結界を容易に解除できるんだ。とんでもない機密情報だぞ。こんなのが本当にゴミ捨て場にあったのか?」

「そうだよ」


 ニックはもう一度嘘をついた。

 ショウは先程と同じように見つめていたが、溜息を吐くと紙を折り畳んで懐に入れた。


「……お前は何も見なかったことにした方がいい。こいつは俺が預かっておく。いいな?」


 ニックは無言で頷いた。




 《ライリー医院》を出た後、ニックは仲間たちが待つ自宅へと戻った。

 彼は戻るなり、ショウに手順書を没収されたことを話した。


 ケイは予想通りの展開になったことに苦笑した。


「やっぱり小父さんに没収されちゃったね」

「小父さんは心配性だからな。写しておいて正解だった」


 ニックはにやりと笑って、テーブルの上にあるもう一枚の手順書に目をやった。ショウの考えそうなことは、付き合いの長い彼にはよく分かっていた。ショウの性格上、余計な揉め事に巻き込まれないようにと手順書を取り上げることは予測できる。そのためニックは手順書を見せる前に、写しを用意していた。


「それにしてもこの紙がそんなにヤバい物だったなんてな」

「これってその結界がある家に入るために書いたの?」


 ケイが訊いた。


「ああ、これを持ってた奴はその家に押し込むつもりなんだよ。狙いは紙にも書いてある隠し金庫の中身に違いない」

「一緒に入ってたこの鍵で金庫を開けられるんだね」


 手順書には標的となる家の地図も記されていた。地図の中には一点赤く塗り潰された箇所があり、そこを示す矢印の端に“金庫”と“鍵(複製は慎重に)”という文字が添えられている。手順書と一緒に入っていた鍵が、それを開錠するための物であることは明白だった。


「ニック、どうするのこれ?」


 掏り取った品の正体は判明した。だが、これらをどうするか彼らはまだ決めていなかった。写しを取ったのも、黙って取り上げられるのは惜しいと思っただけに過ぎない。


 ケイたちの視線を浴び、ニックは目を瞑って考えた。


(書いてあることが本当ならこの家には金がある。住所も、侵入する方法も、金庫の場所も、それ以外の細かい情報も書かれていて、しかも鍵まである)


 この時、ニックの頭の中に誰か大人に相談するという考えは微塵も思い浮かばなかった。彼の中にあった考えは、ショウが言ったように見なかったことにするか、それとも無視しないかのいずれかだった。


 ふと、ニックの脳裏に未来の光景が何の前触れもなく思い描かれた。それは自分や仲間たちがスラムを出て、どこか小さな家で暮らしている光景だった。

 洗濯にも困るスラムの環境で仕方なく着ている薄汚れた服ではなく、ぴかぴかの綺麗な服を身に纏った自分。食卓には白い皿の上に色とりどりの野菜が盛られ、温かいスープで満ちたカップからはクリームの香りとともに湯気が立っている。夜は締め切られた安全な部屋で、その日起きた出来事を他愛もなく語る。そして、最後はふかふかのベッドの中に潜り、穏やかな眠りにつく。

 そんなありふれた、しかし自分たちでは手の届かない世界。そこへ到るための切符が今テーブルの上にあった。


 ニックの中で天秤が傾いた。


「……なあ、この計画、俺たちで横取りしないか?」

「え!」

「まさか僕たちでこの家に忍び込むの?」


 仲間たちが驚きの声を上げた。ニックは皆の顔を見回した。


「ああ、書いてある通りなら見張りはいなくて結界だけの家だ。一度入り込めばどうにでもなる。俺は魔術が使えるからな」

「でも、そんなにうまくいくかな? 子供だけで本当にいけるの?」


 ケイが不安そうに言うと、ニックは歯を見せて笑った。


「大丈夫だ。俺がいれば何とかなる」


 力強さに満ちた声に、ケイたちの表情は少しずつ和らいでいく。信頼するリーダーの言葉は、彼らにとって重かった。ニックが言うならと、徐々に瞳に希望の光が灯っていく。


(そうだ、これはチャンスだ。ここで成功すれば金が手に入るし、こいつらも食うに困らなくなる。こんな幸運逃がしてたまるかよ)


 仲間たちの様子を眺めながらニックは心の中で自分に言い聞かせた。それは一昨日ライリー医院でショウの提案を拒絶した時と似ていたが、彼にその自覚はなかった。

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