黒い箱

宵埜白猫

黒い箱

 黒い箱だった。綺麗な正方形。

 作り物のように、真っ黒な箱だった。

 周りの景色から浮いていて、異様な存在感を放つその箱に、僕は惹きつけられた。

 学校の裏山に落ちているその得体の知れない箱に、手を伸ばす。

 指先が箱に触れた瞬間。

 ぬめり。

 嫌な感触がした。

 とっさに手を離す。

 指先を見ると、赤黒い何かがべっとりと付いていた。

 心臓が早鐘を打つ。

 それでも、目の前にあるその魅力に逆らうことはできない。

 ぬめり。

 べちゃり。

 手のひらまで赤黒く染まった。

 僕はその箱を拾い上げ、目の前に掲げる。

 思っていたよりも大きい。

 それに……

 僕の手に付いた赤黒い液体は、箱のどこにも付いてはいない。

 それなら、いったいどこから出てきたのだろう。

 箱を少し握ってみると、思っていたより柔らかかった。

 ストレス発散用のボールみたいに、ちょうどいい握り心地だ。

 ぐっと力を入れてみる。

 箱が湾曲した、その瞬間だった。


「ぎゃぁああああぁぁああああぁあっぁあああ!」


 地の底から響くような声だった。

 しかし、周りに人はいない。

 僕があたりを見渡していると、

 か細い声が続いた。


「痛いよ……助けて…………ここから、出して……」


 女の人の声だった。

 それもかなり近くから聞こえる。

 分かっている。

 その声がどこから聞こえているのかも、さっきの悲鳴の原因にも気づいている。

 それでも、その事実を脳が拒否していた。


「そこに、……誰かいるんでしょ?……助けてよ」


 声は続く。耳をふさぎたくなるが、それすらできない。

 ただこうしていてもらちが明かない。

 意を決して、手元の箱を見る。

 変わりはない。

 ただ異質なまでに黒い箱がそこにあるだけだ。

 箱自体に変わりはないのに、さっきまでは表面に付くだけだったあの赤黒い液体が、嫌に粘性を帯びて指先から零れている。

 気持ち悪い。

 僕は空いている左手で口元を押さえた。

 上ってくる胃液を押しとどめる。

 そしてぎゅっと目をつぶり、黒い箱を投げた。 

 何かに当たった音がして、耳が痛くなりそうな静寂。

 早く逃げ出してしまいたかったけど、確かめずには逃げれない。

 そっと目を開けて、投げた方向を見る。

 黒い箱は、何事もなかったかのようにそこにあった。

 見つけた時と同じように、異質な魅力を漂わせながら。

 それでも、もう僕は引き寄せられない。

 肺に溜まっていた息を吐きだして、箱に背を向ける。


「餌が死んだ」


 さっきの女の人の声とは全く別の、もっと不快な声だった。

 男とも女とも取れない声が、悲しみと怒りを滲ませている。


「餌が殺された」


 抑揚もない声なのに、なぜかそれが僕に向けられた怒りだと分かる。

 気づいた瞬間、走り出していた。

 走り出したはずなのに、全く景色が変わらない。

 足元を見ると、僕の足が消えていた。

 黒い箱を振り返ると、奴の口が開いている。

 蓋ではない。牙が生えそろった、立派な口だ。

 僕の体は、そこに吸い込まれている。


「お前が餌だ」


 誰か助けてと叫ぶけど、こんな時間に誰に届くはずもない。

 やがて頭の先まで全て吸い込まれて、真っ暗闇の中に落ちた。

 痛い。暗い。何も見えない。


 それから、どれくらいたったかもわからない。

 腹の横を押されるような感触があった。

 きっと、そこに誰かがいるんだろう。


「助けて……」


 なんとか声を絞り出した。

 予想通り、衝撃が全身を襲った。

 やっと、楽になれる。

 ありがとう。ごめんね。


「餌が死んだ」


 薄れゆく意識の中で、あの声が聞こえた。

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黒い箱 宵埜白猫 @shironeko98

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