シャケは空なんざ飛ばない

妄想腐敗P

本編

「今年の卒業式はシャケを食べてハッピーグッバイ!」


 一体何を言ってるんだ、とテレビに思ったのが最初。


「安いよ安いよー! 鮭を丸ごと大量入荷だ! 早い者勝ちだよー!」


 どうやらテレビだけの話ではないらしい、と感じたのが次。


「うぉおおおおこのシャケは俺のもんだぁあああ!」

「すっこんでろ、この鮮度は譲れねぇ!」


 そしてどう考えてもこれおかしいだろ、と気付いたのが今。

 店先で老若男女問わずクソ長い発泡スチロール箱を取り合ってる様子に、遅まきながら異常事態を認識した。

 いやこれどうしたもんか。

 俺はいつも通りにスーパー来たつもりだったんだが、これはちょっと出直した方がいいかもしれない。

 はい回れ右。


「シャケまだあるわね! ほらほら急いで急いで!」

「のわぁあああああ!?」


 スクラム組んでやってきたオバハン集団に押し込まれた。

 当然、進まされた先にはシャケ箱を取り合う連中がいるわけだが、奇跡的に巻き込まれずに済んだ。


「むきー! そのシャケは私のものよ!」

「うるせぇコイツは俺が先に確保したんだ! 後からしゃしゃり出てくんな!」

「はぁ!? 何勝手に自分のモンとか言ってんだ! そいつは俺が目をつけてたシャケだぞ!」


 しかしシャケの取り合いはデッドヒート、来た道は戻れない。

 仕方ないので俺はスーパー内を進む。


「いらっしゃいませー! シャケですよね?」

「え、いや、俺は――」

「はいどうぞ、新鮮なヤツ丸ごと持ってってください!」


 そして有無を言わさず発泡スチロール箱を押しつけられた。

 おまけにぐいぐいレジまで引っ張られて、会計までさせられる。

 およそ7000円。くっそ高いし、くっそ重い。


「って、なんで律儀に買ってんだよ俺! 返品、返品です!」

「ありがとうございましたー! 家に帰るまでがお買い物ですよ!」


 買い物終わっただろ、と言わんばかりの勢いで出口専用ゲートから押し出された。

 なんて奴だ、クレーム待ったなしだぞ。

 そう思ったのも束の間。


「……シャケだ」

「新しいシャケが来たぞ」

「丸ごとか、丸ごとだな」


 一般通行人が目の色変えて俺に注目する。

 正確には抱えさせられたシャケ箱か。


「なぁ、兄ちゃん。そのシャケ、寄越せや」

「あらやだ、これは私のものよ? そうよね?」

「いやーこれは譲れないっすね。ジジババは引っ込んでてほしいっす」


 じり、じり、と迫ってくる、シャケ目当ての通行人。いや、ここは元通行人のシャケハンターとでも言うべきか。

 そんなにシャケが欲しいなら普通にスーパー入れよ、とツッコミ入れたいが、目がまともじゃない。

 正論なんざ知ったこっちゃなかろう。

 よし。


「リリース!」


 さらば7000円、俺はシャケ箱を全力で放り投げた。


「あ――」


 と誰かが鳴いた瞬間、全力ダッシュ。


「逃げたぞ!」

「追えー! アイツもっといいシャケ隠してるぞ!」

「狙うは大物じゃー!」

(マジかよ思った以上に狂ってた!)


 背中にそんな怒声をぶつけられ、流石に顔が引きつった。

 なんで手放されたシャケ箱じゃなくて、手ぶらになった俺を追いかけてくるんだ。


「シャケェエエエエエ!」


 しかもシャケ箱から飛び出したシャケが奇声を上げて追いかけてくる始末。


「ってなんでシャケが追いかけてくるんだよ! つーか空泳いでるって何事!?」

「シャケェエエエエエ!」


 やばい。シャケが牙を剥いている。

 まさか食らいついてくる気か。そんなの勘弁してくれ。

 俺は全力で逃げる。しかしこのまま家にこもっても、厄介事がドアをぶっ叩いてくる予感しかしない。


「「「おらシャケ寄越せやガキぃ!」」」

「シャケェエエエエエ!」


 だって血気盛んなシャケハンターと空飛ぶシャケだ。どうにか撒くしかない。

 しかしどうやって、と考えた矢先、警笛を鳴らしてホーム入りする電車の存在に気付く。


(そうだ電車!)


 駆け込み乗車はご法度、しかし今は緊急事態。

 そして財布にはタッチ式定期券。

 ここに掛けるしかない、と全力で足を動かした。


「あっ、アイツ電車で逃げる気だ!」

「逃がすなー!」

「あーっ、お客様困ります、切符買ってもらわないと無賃乗車ー!」


 改札通過、先頭集団が駅員に制止されてもたつく。


「「「シャケェエエエエエ!」」」


 しかし空飛ぶシャケが止まらない。というかなんでか増えてる。トリプルになって怖さ三倍増し。


「そりゃ増えたらその分怖くなるよなぁ!」


 悲鳴上げつつも足は止めない。階段を二つ飛ばしで駆け下りて、ギリギリ電車に滑り込んだ。

 背中で扉が閉まり、続いて「ビチビチビチ!」と生々しいものがへばりつく音。


「シャケェ!」

「シャケェエエ!」

「シャケシャケェ!」


 流石にシャケの頭じゃ扉の開け方はわからなかったようだ。

 窓にくっついてのたうち回った後、すんっと諦めて引き下がる。

 そして電車はシャケ激突なんざ認知してねぇとばかりに動き出した。

 ホームに取り残されるトリプルシャケを横目に、俺は呼吸を整える。


「……死ぬかと思ったぁ」


 いろいろわけがわからないのはさておき、危機は脱した。

 しかし俺はただ買い物に来ただけのはず。なんでこんな目に遭わなきゃいけないのか。


(とりあえず7000円の出費が痛い。このまま銀行行って金下ろさないと)


 そう思いながら振り返った直後、頭の中で再びアラートが鳴り響く。


「……アンタ、シャケの匂いがするな?」


 反対側の扉に寄りかかってたおっさんが真剣な顔で戯言をほざく。

 それだけじゃない。周囲の乗客がみんな俺に注目してるし、どいつもこいつも似たような表情。

 あ、これ終わったわ、と俺が悟るのと連中が襲いかかってくるのはほぼ同時だった。


「おぁああああああ!?」

「おいお前シャケ持ってんだろ!」

「って、こんにゃろう! 髪引っ張んな!」

「コイツのシャケは私のものよ! どきなさい!」


 満員電車かってレベルのぎゅうぎゅう詰め。

 扉に押しつけられてめちゃくちゃ苦しい。それでも何とか声を張り上げる。


「つーかシャケなんざ持ってねぇよ! 喧嘩すんならよそでやってくれ!」

「嘘つけ! テメェの体からシャケの匂いがぷんぷんするんだよ!」

「言いがかりだ! そもそもなんだよシャケの匂いって! 生臭いの間違いじゃねぇのか!」

「がたがた言ってねぇでシャケ出せシャケ!」

「ちくしょう話が通じねぇ!」


 このままじゃまずい。どうにかこの状況から抜け出さないと。

 必死で打開の糸口を探す俺の目に、ある光景が飛び込んできた。


「シャケェ」


 シャケだ。

 生きたシャケが並走してる。

 電車と並ぶスピードだとかはひとまず脇に置こう。


「シャケいる! そこにシャケいるから!」

「「「「何っ!?」」」」


 押し合いへし合いしてた乗客達の注目が逸れる。

 が、直後に更なる勢いのおしくらまんじゅうが始まった。


「ぐぇ」

「シャケだ! あのシャケ捕まえろ!」

「ちくしょうドアが開かねぇ! 運転中だからか!?」

「くそっ! 目の前にシャケがあるのに!」


 涙を流す乗客達。そして俺は意識が飛びそう。


(くっそぉ……なんで、なんでシャケでこんな目に……)


 最後に浮かんだのは、傍迷惑の元凶たる水産資源への恨み節だった。



―――――――――



「――はっ!?」


 ばちん、と目が覚める。

 跳ね起きた瞬間、おでこがごっつんこ。


「い……っ!?」

「いった……びっくりしたぁ……」

「あたた、ってエリコか悪い……」


 謝りながら状況を確認すると、俺はベッドで寝間着姿。

 圧迫されて気絶した後で運び込まれたのかと思ったけど、はっと気付いた。


「夢か」


 普通に考えて、空飛ぶシャケとかファンタジーだ。

 それに卒業式にシャケとかあり得ないだろ。クリスマスは最近浸食されてるけど。


「大丈夫? なんかシャケがどうとか、妙にうなされてたけど」

「いや、シャケを奪い合う人とシャケが一緒に追いかけてくる夢見て……」

「何それ。よっぽど今日来るシャケに悩んでたのね」

「……へ?」

「へ? って、ユウト忘れたの?」


 はて、何を忘れてたっけか。

 寝起きの頭で記憶を辿るが手掛かりが見つからない。

 でも大事なことを忘れてる気がする。なんだっけ。

 が、思考を中断するかのごとくインターホンが響いた。

 家主の俺が出なければとベッドから脱出し、対応にかかる。


「はいー」

「あ、宅配便ですー! サインかハンコ、お願いしますー!」


 お決まりのやり取りを経て荷物を受け取る流れ。だが、いつもと違って宅配業者は荷物じゃなくてサイン書く用のバインダーを持ってて、更に足元を指さしてきた。


「中身が中身なんで一旦ここに置いときますんで! じゃ、失礼しまーす!」

「あ」


 そして、そこにあった細長い発泡スチロール箱を見た瞬間、バッチリ思い出した。


「……シャケだ。そうだシャケだよ」


 そう、シャケを一尾丸ごと。

 実家からの荷物にして、彼女に救援要請するレベルの悩みとなった過去最大級の珍品である。

 そりゃ夢にも出てくるわけだ。

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