ささくれ大量殺人事件

柏木 維音

第1話

 私は横浜で探偵をやっている。神奈川区の八角橋にある小さな事務所で、所長である私と助手の2人だけで慎ましく活動中だ。繁盛しているわけではないが、助手にきちんと給料を払ったうえで、自分は生きていけるくらいの稼ぎはあった。まあ、結構ギリギリではあるけれど……


 

 ──そんなことはさておき、現在私は東横線の電車に揺られながら読書を楽しんでいる。以前の仕事の依頼主が改めてお礼をしたいと言ってきたので、助手共々渋谷で少々お高いランチをごちそうになり、その帰りの最中なのだ。

 平日真昼間の電車はとても快適で、暖かい午後の日差しの心地よさにのんびりと浸っていたのだが、不意に右手の人差し指にチクリとした痛みが走った。見るとそこにはささくれができていた。せっかく気持ちよく読書をしていたのに全くもって台無しである。私はささくれを忌々しく睨みつつ、隣に座っている助手に「ミーコ、サビオをくれないか」と言うと、彼女は呆気にとられた表情と共に言葉を返した。


「……何をですか?」

「サビオだよサビオ。君にいつも持たせてるだろう」

「持ってませんよぉ」

「嘘だぁ、メディカルポーチに消毒液だ、何だと一緒に入れている筈だよ。え、もしかして切らしてる? まいったな、ささくれがうっとおしいんだよ。我慢できないほどではないんだけどさ……」

「メディカルポーチ、ささくれ……あ、もしかしてバンドエイドの事ですかぁ!? なぁんだ、早く言って下さいよ」

「私としては言ったつもりなんだけどね。そうか、『なまら』や『しばれる』は最近メジャーになってきたと思ったけど『サビオ』はまだなのか。やったなミーコ君、一つ賢くなれたぞ」

「そうですかぁ、よかったですねぇ」


 そんな風に適当な返事と共にミーコはサビオを渡してきた。私はそれを受け取った後指のささくれに巻き、包み紙をミーコに返す。彼女はスマホに目を向けたまま黙ってこちらに手のひらを向け、『受け取り拒否、自分で処理をしろ』という意を示してきた。仕方なく私はポケットに包み紙をしまい込む。


「……あーあ、せっかく久々に豪勢な昼飯にありつけていい気分だったのに、最悪だよ」

「そこまでなんですかぁ? ささくれなんて、バンドエイドを巻いたらほとんど気にならなくなりません?」

「まあ、そうなんだけどさ。ほとんど気にならないんだけど、ちょっとは気になるんだよ。こっちはいい気分に浸っているのにさ、合間合間にちょっとした痛みで気分を台無しにするんだコイツは」

「先生はホント神経質ですねぇ……あ、いいこと思いつきましたよ」

「ほう? なんだい」

「このままじゃ先生はささくれにやられっぱなしですよね? だから、逆に利用してやるんですよ! もしそれで何らかの成果を出せれば『ありがとー、ささくれ君のおかげだよ!』っていういい気分になれるじゃあないですか」

「そらまぁね。でも、利用って?」

「小説のネタにしてみては?」

「む、小説のネタにか」



 私は探偵業を営む一方、小説家としても活動していた。

 いや、実際はミステリ雑誌のコンテストで佳作をとって出版社との繋がりを得ただだけなので、今のところ本は一冊も出していない。なので正確に言うと活動である。ともあれ、小さいとは言えコンテストの佳作をとれたのだ。物書きの端くれぐらいには名乗ってもいいのではないだろうか。



「そうですよぉ! 例えば、ささくれを利用した殺人事件なんてどうです? 先生が書きたい小説って推理モノなんですよね?」

「そうだけど……ささくれねぇ……」

「あれ、もしかして既に使われているネタでした?」

「いや、逆。ささくれを利用したミステリなんて読んだことない。まあ私が読んだことないだけで実は存在するのかもしれないけどね。でも、ささくれを利用した殺人事件なんて出来るかな……」

「ふっふっふ、私はもう思いついちゃいましたよぉ」

「ほう、面白い。聞かせてくれよ」

「まず被害者は『ささくれが出来やすい人』なんです。いますよね? そういう人」

「ああ、いるね。飲食や医療関係の人は頻繁に手を洗ったりアルコール消毒をするから、乾燥してささくれが出来やすいって聞いたことがある」

「その被害者を『ささくれさん』としましょうか。で、犯人は密かにささくれさんに恨みを持った人物なんです」

「ま、月並みだな」

「ある日、ささくれさんの家に遊びに行った犯人は思いつくんです。『そうだ、こいつはよくささくれができてバンドエイドを巻いている。そこに毒を仕込めば……』ってな感じの事を」

「毒って何を?」

「それは一旦棚の上にあげておきましょう。とにかく無色無臭で、強い毒性の物です」

「そんな都合のいい毒あるかねぇ」

「いいんです、フィクションなんですから! ……それでですね、何週間か何か月か、とにかく日にちが経過したある日、何も知らないささくれさんは毒が仕込まれたバンドエイドを使ってしまうんです。その毒がささくれした部分から体内に入り込み死亡。ささくれさんが家に1人で居る時にそれが起きたので密室殺人ということに! 犯人はその日たまたま遠くに出かけていたので無事アリバイが成立! ジャーン、完全犯罪達成! どうです?」

「…………悪くないんじゃないか?」

「ホントですか!?」


 全く期待をしないで聞いていたのだけど、存外に話を組み立てることができそうなネタを出してきたので私は少し驚いていた。色々と都合が良すぎる感は否めないが、『体は子供、頭脳は大人な探偵』の某マンガならばノリと勢いでどうにかできてしまうかもしれないな。


「時限式の殺害ギミックによる密室殺人っていうのは珍しくないが、ささくれというあまり使われていない物がキーポイントとなっているのがいいよね。後は犯人のアリバイは偶然成立するのではなく、適当な理由で被害者と疎遠になっていく描写を加えれば、ラストで『ああ、あれはアリバイ工作の為だったのか』っていうシーンを展開できそうだし……」

「おお、予想外の高評価! じゃあ帰ったら早速書きましょうよ、ささくれ殺人事件! 名作の予感!」

「いや書かないよ」

「なっ……!? 何でですか! 散々褒めておいて!」

「理由は色々あるけど……特に気になるのはやっぱり殺害方法かな。あまりにも現実離れしている気がする」

「仕方ないじゃないですか。私、毒に関する知識なんて無いんですから。先生は何か丁度いい毒知らないんですかぁ?」

「丁度いい毒って…………そうだね、毒ではないんだけど1つ思いついた物がある」

「おお、何です?」

「黄色ブドウ球菌」

「ブドウ球菌? 聞き覚えがあるんですけど、なんでしたっけ?」

「食中毒の原因になる菌だよ。食中毒が流行る時期にニュースで聞いたんだろう」

「なるほど……ん? それって殺人に使えるんですか?」

「わからない。でも、とても危険な菌というのを聞いたことがある。食中毒だけではなく、血管内に入り込めば様々な臓器に悪さをする……所謂、敗血症ってやつだな」

「うぇ~怖いですねぇ……あ、そうか。バンドエイドにそのブドウ球菌を塗っておいて、ささくれの部分から血液中に送り込むって方法なんですね! じゃあそれでいきましょうよ!」

「あのね、どうやって包み紙に包まれたサビオに菌を塗ればいいんだよ。まず細菌を『塗れる』のかどうかも不明だ。それに、敗血症は恐ろしい病気ではあるけど治せないわけじゃない。治療法が確立しているらしいから殺害には至らないんじゃないかな」

「そうですか……じゃあやっぱり駄目なんですね、ささくれ殺人事件」

「今のところはね。しかし、うまいこと『ささくれ』と『殺人事件』を結びつけることができれば斬新な話を作ることができるかも……僅かではあるけど、ささくれに可能性を感じたよ」

「ホントですか! じゃあ、もしもささくれ殺人事件で何かの賞を取れたら分け前下さいね! 最初にアイデアをだしたのは私なんですから!」

「はは、もし取れたらね…………ん? なんだ、まだ自由が丘か。黒楽こくらくまでまだまだかかるな。私はひと眠りするから菊名あたりで起こしてくれ」

「はぁい」



 そう言って私は内ポケットから取り出したアイマスクを装着し、眠りにつく準備をする。目を閉じてしばらくすると、様々な考えが頭の中を駆け巡りだした。



(────細菌は殺人の凶器にはならない。果たして本当にそうだろうか? 細菌を使用した生物兵器は過去に存在したじゃないか。使用を国際法で禁じられてはいるが、昔テロで使用されることがあったな。そういった細菌の入手は簡単ではないが……菌は年々変異と続けている。もしかしたら近い将来、入手が容易なうえ非常に危険な菌が発生するかもしれない)


(そんな菌を偶然サビオの生産工場で働いている人間が手に入れたとしたら……? そして、何かの間違いでその人間が過去の大量殺人犯に憧れを抱き、サビオの生産途中に危険な菌を仕込んだとしたら……? 犠牲になるのはサビオを使う人間だ。サビオは何に使う? 切り傷に擦り傷、そして、ささくれ……)



「……ミーコ」

「何でしょう? まだ多摩川を過ぎたばかりですよ」

「帰ったらささくれを予防する方法を調べてまとめておいてくれないか」

「はあ、別にいいですけど……どうして?」

「なぁに、命を守るためだよ」

「は?」



 私が頭の中に描いた『ささくれ大量殺人事件』が起こる確率は物凄く低いのだろう。でも、決してゼロではない。万が一を考えて最低限の備えだけはしておこう。自分の命を守る為だ、まずはスキンケアから始めてみようかな。

 

 そんな事を考えつつ、私は眠りについた。

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