お嬢様の気まぐれ遊戯

平 遊

〜大丈夫か、俺〜

 夜明光留よあけみつるは私立の高校に通っている一年だ。自分ではごく普通の目立たない、可もなく不可もない生徒だと思っている。

 けれどもつい先日、ひょんなことから、同じ高校の二年生の、朝陽華恋あさひかれん下僕しもべとなった。

 華恋は光留の通う高校の理事長の姪で、理事長は姪である華恋を殊の外可愛がっているとのこと。頭脳も美貌も学内一と評判の華恋は、その容姿に見合う高飛車な性格で、華恋を少しでも傷つけた生徒はなんのかんのと理由を付けては退学させられているという噂がある。

 下僕として華恋と接するうちに、噂はしょせん噂だと光留は思っていたのだが、最近は揺れていた。もしかしたら噂は事実かもしれないと。

 ただ、華恋の高飛車な物言いには照れかくしのような可愛らしさがあり、光留は徐々に華恋に惹かれていることに気づき始めていた。



『光留、わたくしを迎えに来なさい』


 6限目の授業が終わり、帰り支度をしている光留のスマホが、華恋からのメッセージを受信した。


 二年生の教室に行くのは、一年の光留にとっては実はハードルの高いことだった。しかも迎えに行く相手は校内一有名ではないかと思われる華恋だ。

 だが、最初こそ様々な視線を浴びはしたものの、何度か迎えに行く内に、華恋の下僕である光留、という立場が定着したのか、今では概ね快く迎えてもらえるようになっていた。


「あれ?下僕君しもべくんは今日もお迎え?」


 華恋の教室に行くと、華恋とよく一緒にいる日中愛美ひなかめぐみが光留に声をかけてきた。華恋の周りでは光留は『下僕君』という呼び名になっているようだ。


「はい。華恋さん、いますか?」


『下僕君』もどうなのかとは思ったものの、光留は敢えて受け入れることにした。どうやら華恋が、他の人に光留の名前を呼ばれることを快く思っていないようだと、日中がコッソリ教えてくれたからだ。


「うーん、いない……みたいだね。帰っちゃったのかなぁ?」


 日中が一通り教室を見廻していると、


「朝陽ならさっき教室から出てったぞ?」

「ああ、俺もさっき廊下ですれ違った。鞄は持ってなかったから、戻ってくんじゃね?」


 次々と華恋情報がもたらされる。


「確かに鞄は置いたままね。どうする?下僕君、ここで待ってる?」


 日中はそう言ってくれたが、さすがに二年生の教室で一年である光留が一人でいるのも気が引けた。

 丁重に断り、廊下で待とうと教室を出た時、光留のスマホが再度華恋からのメッセージを受信した。


『わたくしは校内のどこかにいるわ。わたくしが待ちくたびれてしまう前に、迎えに来なさい。さもないと、伯父に言ってあなたを……ふふふ』


「はっ!?」


 思わず声を上げてしまった光留の後ろから、日中が華恋のメッセージを目にして吹き出した。


「下僕君、よっぽど華恋に気に入られたのね」

「はぁ……?」

「ま、頑張って付き合ってあげてね」


 校内、という限定はあるものの、それでも捜索範囲はかなり広い。さすがにこれはいくらなんでも無理があるだろうと頭を抱えていると、日中が笑いながら言った。


「華恋のことだから、教室とか体育館とか倉庫とか、そんな普通な場所にはいないと思うわよ。華恋にしか入れないような場所にいるんじゃないかな?」


 と同時に、スマホに華恋からのメッセージが入る。


『わたくしは優しいから、特別にヒントをあげるわ。今、理事長は外出中で不在よ。だから、理事長室も探しなさいね」


「確かに……」


 日中の言う通り、華恋は華恋にしか入れない場所にいるらしい。


「俺、華恋さんを迎えに行ってきます!」


 そう言って日中に頭を下げると、光留はまっすぐに理事長室へと向かった。

 そんな光留の背中に、日中は笑みを浮かべて手を振っていた。



 理事長室の前に立ち、光留は大きく深呼吸を繰り返した。

 通常、生徒が理事長室へ立ち入ることは、恐らく卒業するまで一度も無いだろう。

 理事長室に足を踏み入れるのは、光留にとって二年生の教室に足を踏み入れるよりも緊張することだ。

 それでも、中で自分を待っている華恋を、光留は迎えに行かなければならない。そうしなければ、もしかしたら光留は退学させられてしまうかもしれないのだ。


「失礼……します」


 一応ノックをし、応答が無い部屋のドアのノブに手をかけ、光留はおそるおそる開けた。


「華恋さん、迎えに来まし……あれ?」


 部屋の電気は点いていたものの、中に人影は見当たらない。


「ここじゃなかったのかな……」


 そう呟いて、半ばホッとしながら部屋を出ようとした光留のスマホが、華恋からのメッセージを受信する。


『よく探しなさい』


「えっ!?」


 てことは、ここにいる!?


 ドアを開けようとしていた手をドアノブから離し、光留は改めて室内を見回す。理事長室は応接セットのソファと理事長の執務デスクが置かれているものの、それほど広々としている訳ではない。まさかデスクの下や応接用の低いテーブルの下に隠れているのかと思いきや、そこにも華恋の姿は無い。

 やはりここではないのかと、部屋を出ようとした光留はふと、理事長の調度品としては不自然な大きさの大きな箱が置かれていることに気づいた。見た目は木目調で上品ではありながら、立方体のその箱は人一人が充分に入れる大きさだ。


 まさか、この中に華恋さんが……?


 光留は息を殺してそっと箱に近づくと、ゆっくりと箱を確認した。すると、箱の上部には蝶番ちょうつがいが付いていて、上が開くようになっている事がわかった。


『光留、早くなさい。わたくしそろそろ、待ちくたびれてきたわ』


 急かすような華恋からのメッセージを光留のスマホが受信する。

 光留は意を決して箱の上面を持ち上げた。


「随分遅かったわね、あれだけヒントをあげたというのに」


 文句を言いながらも、箱の中に座っていた華恋は嬉しそうに笑って光留を見上げる。

 これでひとまず退学は免れたと一安心しながら、光留は大きなため息を吐いた。


「いい年していきなりかくれんぼとか、やめてもらえますか……しかも、隠れる場所が理事長室なんて」

「あら、わたくしに意見するの?相変わらず生意気な下僕ね」


 光留を軽く睨みながらも、華恋は満足そうに笑っていたが、


「あら……痛っ、痛いわ足が……」


 と顔を顰めた。


「どうしたんですか?」

「あなたが来るのが遅いから、足がしびれてしまったのよ。光留、わたくしを早くここから出しなさい」


 そう言って箱の中で立ち上がり、光留へと両腕を差し出す華恋だったが、箱の高さは丁度華恋の胸元あたり。引き上げるには高すぎる。


「華恋さん、どうやって入ったんですか……」

「中を覗いていたら、落ちてしまったのよ」

「は?」

「いいから、早くわたくしをここから出しなさい!」


 恥ずかしさのためか苛立ちのためか、華恋の頬は薄っすらと紅く染まっている。そんな華恋も可愛らしいと思いながら、光留は華恋の両脇の下に腕を差し入れ、引き上げようと試みた。

 当然のことながら、直ぐ側に接近する華恋の顔。密着する上半身。

 それに気を取られたとたん、華恋を入れたまま箱が傾く。

 光留は咄嗟に華恋を抱きしめ、背中から床に着地した。


「いっ……」


 まともに華恋の重さを受け止めた光留は、衝撃に備えるべく無意識に目をつぶっていたようで、暫くして薄っすらと目を開くと、まずは心配そうな華恋の顔が視界いっぱいに飛び込んできた。


「大丈夫?光留」

「はい、なんとか……」


 そして、華恋と共に起き上がった光留の視界には、もう一人の人物の姿が。


「ここで何をしている」


 まさか……


 息を飲む光留とは対照的に、華恋は顔をほころばせてその人物へと抱きついた。


「伯父さま、お帰りなさい!」


 理事長!?


 微笑みを浮かべて華恋を抱きしめた理事長は、直後に笑みを消して冷たい視線を光留へと向ける。


「キミは誰だね?」


 どこか華恋と似ている整った顔立ちのイケオジな理事長の刺すような視線に、光留は今度こそ退学の危機が迫っているのを感じた。

 まず、光留は今無断で理事長室に立ち入っている。そして、理事長が殊の外可愛がっているという華恋との、事故とはいえ密着場面を目撃されてしまったのだ。


「あ、あの、俺、いや、僕、じゃなくてわたくしは……」


 そんな、緊張と混乱と恐怖で回らない口に悪戦苦闘の光留を助けたのは、華恋だった。


「伯父さま、彼がこの間お話した、わたくしの下僕しもべよ」

「なるほど」


 理事長から離れた華恋が光留の隣に立ち、当然のように腕を組んでくる。

 その姿を、理事長は目をすがめて眺めている。心なしか表情はやわらいでいるように見えたが、光留は生きた心地がしなかった。


「華恋さん、ちょっと」

「なによ、どうしたというの?」

「くっつきすぎじゃ……」

「どうしたの?いつもと変わらないと思うけれど?」


 恐らく、華恋には一切悪気は無く、ただ理事長に光留を紹介したいだけなのだろう。それは光留にも伝わりはしたものの、理事長の視線が光留には突き刺さるように感じる。


「伯父さま、その箱は素敵だけれど、少し大きすぎね。わたくし、誤って中に落ちてしまったわ」

「華恋のお転婆は相変わらずだね。少し気をつけなければいけないよ?」


 華恋の言葉にフッと理事長の頬が緩み、光留はようやく緊張から開放されたと思いきや、理事長はその視線を光留へと向けて言った。


「これからも華恋を宜しく頼むよ、夜明光留よあけみつる君」


 優しげな微笑みををたたえながらも、理事長の目はしっかりと光留を見据えている。

 まるで、牽制でもしているかのように。


『もし華恋になにかあったら……分かっているだろうね?』


 そんな言葉が言外に含まれているように、光留は感じた。


「は……はいっ!では、失礼しますっ!」


 華恋に腕を組まれたまま、理事長に向かって腰を直角になるまで曲げて頭を下げると、光留はぎこちない足取りで華恋とともに理事長室を出た。


「では伯父さま、ごきげんよう」


 理事長に向けて優雅に手を振る華恋は、光留のロボットのような歩き方に、クスクスと笑いを漏らしている。


 俺、この先無事に卒業できるんだろうか……?


 光留とのかくれんぼがよほど楽しかったのか、それとも理事長に光留を紹介できたことが嬉しかったのか。

 上機嫌で隣を歩く華恋の姿を微笑ましく思いながらも、光留は一抹の不安を覚えずにはいられなかったのだった。


【終】

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