ペーパームーン

素朧

第1話


 薄っぺらい銀紙みたいな月がのっぺりとした夜の闇に張り付いている──


 ふと、私が空を見上げたら寄る辺ない三日月が不安げに揺れている。


 欠けた月夜…… 私が嫌いなこんな夜に死んでしまうのも良いかも知らない。


 そう思い立って家を出たけれど、死とは今の私から1番遠い所にある。


 20歳の頃に好奇心の赴くままに禁忌に手を出した。

 肉体の時間を止める秘術──


 本質的には違うけれど、実際的には不老不死とも言えるだろう。


 怪我も病気も老衰も…… 空腹すら感じない。


 便利な様で不便なこの秘術を解くすべを私は知らない。


 若気の至りと云えばそれまでなのだろう、けれど私は死の恐怖から永遠に解放されるこの秘術を完全なる幸福だと、疑う余地もなく信じていた。

 だから…… その・・・の事なんて何も考えていなかったの……


 だから、だろうか…… こんな夜を何千回も何万回も繰り返してる。

 人里を避けた森の奥の棲家からのそのそと這い出しては夜明け前に戻ってくるのを。



 ただ、今夜はいつもと様子が違っていた。

 薄茶色の癖っ毛をした5.6歳くらいの男の子が森で泣いていたのだ。


「迷子?」


「びぇぇえええん!! ぶぉっふぁぶぁふぁびゅぅ〜」


「えっ、何て?」


 激しく泣いていてとても話が出来そうな状態ではなかったから、ひとまず我が家へと招き入れて温かいハーブティーを入れてあげる。

 心が落ち着く効果のあるカモミールとラベンダーのハーブティーだ。


「ひっくっ、ひっくっ! びょびょずびぃばぶぱぁ、びょっひょっふぁ〜」


「えっ、何て?」


 男の子が落ち着くまで少し…… しばらくかかったけれど、彼は少しずつ話しをしてくれたわ。

 自分の名前、何歳か、何処から来たか……


 必要な情報を一通り聞き終わった後、窓から外を見ると空はもう白み始めていた。



「アステル。 森に『道案内』の魔法をかけておいたわ。 いい? 街までの道を作ってくれるからその通りに行けば帰れるわ」


「うん、ありがとうおばさん!」


「おば…… それと、大人の人には森で人に会ったって言っちゃダメよ。 わかった?」


「うん! わかったよ、おばさん!」


「おば……」


 アステルは昨夜とは打って変わって、笑顔で帰って行ったわ。


 久しぶりに人と話をして少し疲れたわね。

 


☆★☆★☆★☆★



「こんにちわ! おばさん!」


「おば…… こんにちはアステル。 また迷ったの?」


 初めてアステルと出会ってから2ヶ月程経った頃だろうか。 夕方に戸を叩く音で外を見ると彼がいた。


「ううん、今日は迷わなかったんだ! またおばさんに会いたくなって!」


「おば…… そう? でも、もうここへ来たらダメよ。 森の奥は危ないから。 それと私の名前はセレイネよ、セレイネ」


 それからと言うもの3日に1回の頻度でアステルはやってきた。 時には続けて来る時もあったりした。


 アステルは大体、午後にやってきては夕方に帰って行く。 学校の話しや家族の話し、友人との遊びの話しなど、たわいのない話しをしていく。 

 私はそれをただそれを黙って聞いている。 


 たまにハーブティーやクッキーなんかも出してあげたりもする。



 アステルが10歳になる頃、やってくる時間が夜になった。

 なんでも、親に森に出入りしているのを注意されたらしい。

 それならばもう来なければ良いものを、親が寝静まった夜更けに家を抜け出して来るようになった。


 コツンコツンッ


「こんばんは、セレイネ。 今夜は月が綺麗だよ」


 訪問者などに配慮する必要がなかった我が家にはドアノッカーなど付いていなかったのだけれど、アステルの為に付けた真鍮製のドアノッカーが高い音を立てる。

 

「綺麗な月ってのは満月を指すのよ。 今夜は三日月じゃない」


「満月以外も綺麗だよ。 そう言えばこの間、魔法を教えてくれるって言ってたけどさ、なんで1つだけなの?」


「魔法はね、1つ覚えるだけでも何年も掛かるものなのよ。 それに1つの魔法を自由自在に扱えるレベルになるにはさらに何年も掛かるわ。 まぁ私みたいに時間が有り余っていなければいくつもなんて到底覚えられないわ」


「そっか…… それなら僕は空を飛びたい! 自由に空を飛べたら楽しそうだし、カッコいい!」


「あら、また難しい魔法を選んだわね。 『飛行フライ』の魔法はゆっくりでも飛べるようになるまでに5.6年はかかるわ」




☆★☆★☆★☆★


 あの日から真面目に魔法の練習に励むアステル。


 最近は毎日の様にやってきているわ。 晴れたなら外で魔法の練習。 雨が降る日は部屋で読書をしたり。

 たまには一緒に料理も作ったりする。 私は食べる必要が無い、というか食べても消化も吸収もされない。 だから食べたら後から無理矢理吐き出したりしないといけないんだけれど、食べられない訳じゃないの。


 

 それにしても私が言うのも皮肉だけれど、月日が経つのは早いものね。

 あの鼻垂れ小僧も13歳になったらしい。

 誕生日にはアカシアで作った魔術の杖をプレゼントしてあげた。


「やぁセレイネ。 綺麗な月だね!」


「今夜は弓張月よ。 満月には程遠いわ」


 アステルは決まり文句のように挨拶で月を褒めてくる。 きっと私の名前が月の女神にちなんだ名前だからだろう。


 ある日アステルは村の子供を2人連れてくる。

 2人はヘリオとステラといい、兄妹のようだ。 絶対に秘密を守るからとお願いされて、幾つかの魔法を見せてあげたわ。


 花を踊らせる魔法。 何処からともなくジャズが流れてくる魔法。 パンケーキがひとりでに焼ける魔法。 そして色とりどりな花火の魔法。


 ヘリオとステラは初めて見る魔法に大はしゃぎをしていたわ。

 帰る時にステラが擦りむいた膝を見せてきた。

 どうやら転んで怪我をしてしまっていたらしい。

 でも、残念だけれど回復魔法は覚えていない。 決して怪我をしない私には必要が無かったから……


 その日以降も変わらない日々が続いていき、少しだけ懸念していた秘密の暴露はされなかったみたいだ。


 『約束』の魔法を使っても良かったけれど、子供達を信じて良かったわ。



☆★☆★☆★☆★


「やあセレイネ。いい月だ」


「ふふ、あれはまだ小望月こもちづきよ。 いいかげん満月の夜にいらっしゃいよ」


「知ってるよ。 ほら、もうすぐ満月になるだろう? 満月はセレイネと一緒に居たいんだ。 その…… 俺ももう18だろ? だから……」


「アステル…… 貴方にも話したでしょう? 私はこの呪いの様な秘術で歳も取らないの。 私の事を好きになっても一緒に歳を重ねる事は出来ないのよ」


「そんな事はわかってる! 最初は半信半疑だったけれど、俺が子供の頃からセレイネは変わらず綺麗なままだ。 だから俺はそれでも構わない! 好きなんだよ!」


「私がイヤなのよ。 私が人を愛しても見送る事しか出来ないのだから…… アステル、貴方には同じ様に歳をとる人と普通の幸せを選ぶべきよ」


 まだ何かを言いかけたアステルを無視して扉を閉める。 今日はもう何もする気にならない。 

 呪い。 そう、まるで呪いだ……

 

 禁忌を犯した私を罰する様に、この身体はいつまでも変わらない。

 歳もとらなければ、死ぬ事も無い。 傷1つ付かないのだ。


 この身体は変化する事を許さない。 だから刃物も刺さらないし焼け爛れる事も無い。

 自死すら許されない呪いだ。 身体の時間が止まるのと一緒に心の動きも鈍くなった筈なのに……



 ある雨が降る夜、ステラが訪ねて来た。

 深々とフードのついた雨具を着てきた彼女は、雨に濡れてびっしょりのフードを外すと重々しく口を開いた。


「今日はお願いがあって来ました。 森の魔女様……」


 森の魔女…… もう何百年と経つだろうか、その呼び名で呼ばれるのは。

 決して思い出したいたぐいの記憶ではないけれど。

 きっと彼女は色々な文献などを調べて来て私と森の魔女を同一だと、そう断定して来たのだろう。


「お願いします。 アステルをもう解放してあげて下さい!! 悠久を生きる貴女様には一時の戯れかも知れませんがアステルは普通の人間なんです…… だからっ……」


「わかったわ。 私もそろそろ終わりにしようと思っていたの。 何を勘違いしたのか…… あの子にはアナタの様な子がお似合いよ」


 彼女の言葉を遮って答える。


 震える声で必死に頭を下げる彼女を見て、やはり私は人と関わるべきではなかったのだと痛感させられた。


 荷物を纏めたら此処を出て行くわ、と言うと彼女は嬉しそうに雨の中、帰っていった。



 何を勘違いしたのか…… そう、勘違いしたのは私だ。 この空虚なせいに生き甲斐が生まれたなんて。

 たとえ、夫婦にならなくても……


 あの子達が家族を持って幸せに過ごして、それでたまにでいいから子供や…… それから孫とか連れて来てくれたら…… なんて。


 どうしてなんだろう…… 動かない筈の心がこんなにも……

 




☆★☆★☆★☆★



 空を見上げたら、やっぱりのっぺりとしていて距離感の掴めない夜空に作り物のような月が浮かぶ。


 まんまるな月は柔らかい銀光を放ち、私の孤独を際立たせる。


 やはり旅立つのは満月に限る。 新月の真っ暗闇じゃあ、進む道も見えなくなる。

 逃げる訳じゃあない…… 逃げる訳じゃあ無いんだ。 だから、せめて胸を張って去ろう。


 大きな荷物は置いて行き、手に持てるだけの荷物を持って家を出る。


「セレイネ……」


 そんな私の覚悟を知ってか知らずか、現在1番聞きたく無い声が聞こえる。


「セレイネ! 行くな! 行かないで! 一緒に生きれないのが寂しいと言うなら! 俺にもその魔法をかけてくれ! セレイネと一緒ならいつまでも! どこまででもっ!」


「ダメよ! やめて! 来ないで! お願い…… なんで…… 」


 我ながら恥ずかしくなるほど取り乱し混乱する中、ふと気付く。


 涙が…… 号泣と言っていい程の涙が溢れている……


「どうして……」


 時が止まった身体…… 動かない筈の心。


 涙なんて出る筈ないじゃない…… なのに……なんで……


 意識すると、急に思い出した様に空腹感と睡魔が襲って来る。


「呪い…… 呪いが、解けたかも……」


「セレイネ!! 本当かい!? それならっ!」


「でも…… ちょっ、ちょっと待って…… 凄く眠くて…… 少しだけ眠らせて……」



 


☆★☆★☆★☆★


 絡みつく様な底無し沼の泥の中から浮かび上がるように意識が覚醒していく。


 あの時、酷い睡魔に襲われて意識を手放してしまったけれど、何事か言い争う様な声で目が覚める。


 どうやら森の棲家のベッドに寝かせられていたようだ。


 声は外から聞こえる…… 男と女の子の声。


 考えずともアステルとステラだろう。


 ステラには悪い事をした…… 出て行くと言っておいてこのザマだ。 酷い叱責を受けるだろうな……


 まだ上手く働かない頭は酷い二日酔いの様に酩酊した浮遊感すら覚える。


 どう弁解したものかと考えながら扉を開けると、やはりアステルとステラが言い争いをしていた。

 

「ステラ。 あの…… ごめんなさい。 出て行くなんて言っておいてこんな事になって……」


「何よ!! どうせ最初から騙すつもりだったんでしょう!! 何百年と生きてきた様な化け物が今更! こんなタイミングで! 人間に戻るなんてある訳ないじゃない!! アステル! 貴方は騙されているのよ! きっと私に出て行くなんて言った日も陰で嗤っていたんでしょう!」


「そんな事は……」


 急に走り寄ってきた彼女を思わず抱き止めてしまった。

 その後で胸の痛みに気付く……


 久しぶり…… 本当に久しぶりに傷を負ったな、なんて考えているとドクドクと紅い生命いのちが溢れてくる……


 そうだった、もうこの身体は無敵なんかじゃない。


 大量に血を失ったら死んでしまうのだ……


「セレイネ!! ステラ! なんて事を!! 彼女は人間だ! 人間なんだよ!!」


「う、嘘よ…… そんな筈は…… 魔法よ! そうよきっと魔法で血を出してるのよ! アステルを繋ぎ止める為に!! 駄目よアステル、騙されちゃ!! きゃあっ!?」


 見ればステラが落としたナイフをアステルが持ち、引き倒したステラに馬乗りになっている。

 その眼はとても怒りに燃えていて……


「ダメよ! アステル……駄目……」


「どうしてっ!」


「人を殺してはダメよ。 怒りのままに人を殺したら人は獣になるわ……」


 アステルが私を抱き抱える。


「ごめんね、私が悪かったの…… 人に戻れると思っちゃった…… 幸せになれるかもなんて勘違いして……」


「なれるよ! 幸せになっちゃ駄目なんて誰も言っていない! セレイネ、ちゃんと見ていて! 飛ぶよ! 直ぐにお医者様の所へ!!」


 私を抱えるアステルの身体がフワリと浮き上がると夜空へと昇っていく。

 いつの間にか『飛行』を使える様になっている…… 熱心に練習していたからなぁ……


「彼女を赦してあげてね。 私が居なければ、あなたはきっとステラと添い遂げた筈よ……」


 睡魔がまたやって来た。

 まだ寝ちゃだめだ…… アステルに何か伝える事が…… あったはず……


「行かないでセレイネ!」


 行かないよ


「もっと魔法を教えてよ! まだまだ知りたい魔法があるんだ!!」


 うふふ。 勤勉だねぇ。 君ならきっと凄い魔法使いになれるよ。


「ねぇセレイネ…… あの星座は何だっけ? 見てみてよ……」


 ちょっと…… 見えないなぁ……


「今度は僕の料理を食べ……て……」


 泣いてたら何を言ってるかわからないよ……


「ねぇ、セレイネ…… 今夜は月が……綺麗だよ」


「ふふっ……そうね、綺麗な…… 満月ね……」



 涙で滲んだ十六夜の月は……




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ペーパームーン 素朧 @IITU

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