第5話「聞かされる私」
無機質な部屋だった。まあ、診察室なのでそんなものか。
ベッドには、頭に包帯、頬にいくつかガーゼを当てられた男子が横になっていた。
「さっき意識が戻ってね。今は寝ているだけ。だから安心していいわ」
「……は、はあ」
安心していいわと言われても、である。私の表情を呼んだのか否か、塗無医師は続けた。
「凛ちゃんから少しは説明があったと思うけれどね、そこの男の子は小学校からの私の患者でね。迷惑かけたでしょう。私からも謝るわ」
「……この人、どこか悪いんですか?」
小学校からの患者、かなり長い付き合いということになる。何かの難病かと思って――一瞬質問したことを躊躇した。そういう病に触れられること自体を嫌がる人もいるからだ。
しかし、すっと続けた。塗無医師に嫌味な感じはない。不思議な人だ。
「まあね。ほとんど治って、今は経過観察中ってとこかしら。ま、ちょっとお人好しなところがあるけれど、基本的にはいい子よ」
「はあ……私、その、車に轢かれそうになって、彼に助けてもらったみたいなんです」
「あはは。車ね、その直撃の怪我か。多分、
「放っておけない……」
「そう。困っていた人は放っておけない。それだけならお人好しという個性で片付けることができるわね。あるいは優しい人と。でも、緋野くんはその程度ではないの。人を助けずにはいられない。具体的には、人を助けるために簡単に自分の命を投げ出すことができてしまう。人間にはリミッターがあるのね。火事場の馬鹿力、なんて言葉もある。窮地の時に、普段よりも強い力を使うことができる。緋野くんは他人のために、簡単にそのリミッターを外せてしまう。当たり前みたいに、自分より他人の命を上位に置いている。この怪我も、車と追突したのでしょう、貴方を守るために。一切躊躇はしなかったと思うわ。それこそ漫画なら――正しいことだけれどね。果たして、そういう人を普通だと言えるかしら」
「……」
確かに、あの時。
運転手は私に対して怒っていた。本当は私が轢かれていたものを、彼が助けてくれたからだ。
普通――見知らぬ他人のために、そこまでできるだろうか。
「お人好し――って言葉で片付けられる領域じゃあ、まあないわよね。明らかな異常者よ」
「異常者、ははっ」
乾いた笑いが出た。
何という、強いキャラクターだろう。
代わりに轢かれる以外の選択肢はなかったのだろうか。まんま漫画のキャラじゃないか。
キャラ。
私の人生は、主要キャラクター達の個性を紹介するために消費させられているというのか。
そう思うと、何だか嫌だった。
ぐっと堪えて、懸念事項を聞いた。
「その、えと――お金とかは」
「気にしなくっていいわ。緋野くんに両親はいないから、誰かに訴えられることはない。過去に富豪を助けたことがあって、今はそのお金と、県からの援助金、あと奨学金で生活しているから、そこから引くことになる。保険にも入っているしね。こんなんでもかなり、頭いいのよ、緋野くん」
「わたしたちの入学式の時、代表挨拶が飛ばされたじゃない? あれ、こいつだったんだよ。首席入学したけれど、当日人助けしててサボったの」
勝ち気な女の子が補足した。
「……」
なんだ、その主人公みたいな人生。苛つく。
人を助けただと。何でも持っていて、勉強もできて、容姿だってちゃんとしていて。どうせそういう人たちにとっては、私の悩みも、生きるも死ぬも物語の過程にしか過ぎない。他人の物語の一部になっているようで、気分が悪かった。
いや、いや。
助けられておいて、それはないな。
「今は眠っているし、怪我も大したものじゃあないから、取り敢えず大丈夫ね。ごめんなさいね、長居させちゃって。私の退勤の時に、一緒にああ、そうだ。貴方、お名前は?」
最後に、取って付けたように名前を聞かれた。
別に聞かなくとも良かったのに。変に名前だけ出て、人気投票の38位くらいにランクインする人生にはなりたくはなかった――けれど、そんな自分を主張する程、私に個性はない。
どうせこんな、人生なのだから。
「室原蘭と言います」
「そう、じゃ、蘭ちゃんね。何かあったら、ここに来てね。学校、楽しんで」
生きることも楽しめない私が、そんな生活を楽しむことができるわけないだろう。
ありがとうございます、とだけ言って、私は病室を出た。
モブキャラみたいに。
(続)
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