母とアンドロイド

枝戸 葉

第1話

 ある都会の一室。暗い室内にはカーテンの隙間から街頭の明かりが差し込む。そこで槙田タツミは目の前に佇む彼そっくりのアンドロイドを見て、満足そうに笑った。


「お前は俺になるんだ」


 タツミ、AR上に表示される機能を確認しながら、「これでよし」タツミ、アンドロイドと手を合わせる。周囲には大きな棺桶のようにも見える箱がある。

 その箱には『キャラクト社複製プランCーもう一人のあなたが、あなた自身の心と身体をより自由にする。多目的にご利用いただけるオーダーメイド模擬人格、及び模造人体をお手軽価格でご提供』と描かれている。

 アンドロイド、しばらく何かを読み込むように虚空を見つめる。タツミ、その手を取って、


「お前は俺がやるべきことを……例えそこが俺の居る場所から遠く離れた地球の裏側であってでも、俺に代わってやる。それがお前のアンドロイドとしての仕事だ」

「ああ、任せとけ、俺はお前だからな」






 田舎の町の一軒家に、一台の車が走っていく。チャイムが鳴り、槙田アオイが姿を現す。

「お帰り、タツミ」

「ただいま、母さん」


 アオイ、タツミの姿を見て急激に顔を顰める。






 東京の公園でパートナーと娘、三人で遊ぶタツミ。右手首をくるくる回しながら、ポキポキと関節を鳴らしている。

 そこに連絡が入る。タツミ、それが母からの連絡であることを見て、少し家族から離れて通話に出る。


「はい」

「どういうつもり?」

 声と同時にアオイの姿がタツミのAR上に現れる。

「言っただろ。俺は帰らないって」


 ※ ※ ※


 アオイの背後には、タツミが居る。もっとも、これはタツミの姿を完全に模したアンドロイドである。


「どこもかしこも機械が仕切る時代だ、こっちは人間らしく地道に足を使ってクライアントに顔でもケツでも売らなきゃやってられんよ」

「この機械がお父さんの代わりって事? 今度はあたしにこの機械のケツを拭けって言うの?」

「やめてくれ、逆だよ。そいつが母さんの面倒をみてくれるんだよ」

「誰もそんな事頼んでない」


 アオイの目の前には金色に輝く仏壇と、そこに飾られた父の遺影がある。


「親父が死んで、一人母さんを田舎に放っといて、そういうのは好きじゃないんだよ。だからせめて俺の代わりに、母さんの面倒を見てくれる奴がいてほしいんだよ」

「あたしの事は機械に任せて、自分は顔も見せないのか」

「見せてるだろ、こうやってたまに。母さん、いい加減自立しろよ。親父はもう死んだんだから。じゃあ、忙しいからこれで」


 電話が切れる。カレンダーは夏の日付け。父の命日は過ぎて、その印の上にアオイの影が落ちる。目の前のタツミが口を開く。


「食事が出来たよ、母さん」

「気味が悪い」

「そんなこと言わないでよ。そうだ、小学校3年の時にさ、レオンワールドの人形館に行っただろ」

「え?」

「あの頃はアンドロイドも出始めでさ、顔も無表情で、俺は怖がって泣いちゃったけど、母さんは言ってくれたじゃん。怖くないよ、だって機械は人間の友達だもの、って。懐かしいなあ。あの頃は楽しかった。父さんも母さんも忙しくて……でも俺の為にできるだけの事をしてくれてたんだよね? 今の俺もそうだよ。母さんの為にできる事をしたいんだ。ただそれだけなんだよ」


 アオイ、しばらく黙ってタツミを見つめる。

「……あの子の、複製」






「朝は6時半に起床。朝飯は白米と目玉焼きとみそ汁に納豆。これが365日絶対に変わらない親父のルールだった。洗濯はその後で8時までには終える。じゃないと親父の見送りと母さんの仕事の時間、両方に間に合わない。掃除は一週間の計画が親父の作った表で張り出されてて、月曜はトイレ、火曜は座敷、水曜は応接間、そんな流れで家中をカバーできる完結したループがある。これに則って母さんが出来ない場合、親父は機嫌を損ねた」


 タツミ(アンドロイド)の呟きを背景に、アオイの日常をアンドロイドのタツミが代替していく。


「買い物は基本的に毎日必ずスーパーへ。買い置きするという習慣は親父に怠惰とみなされ存在しない。昼食は麺類。主にうどん、そうめん、ラーメン、パスタ。夕飯にお好み焼きなんかの粉ものは怠惰、及びいくつか理由により厳禁で、時たまある親父の帰らない日には同類のもの、他にピザ、もんじゃ焼きなんかが食べられた」


 タツミ、お好み焼きを焼く。出されたお好み焼きを見ながら、アオイは箸をつけない。

「まるで当てつけね」

 





 家の外でタツミが訪問介護士と話をしている。アオイ、その声に耳を澄ましている。


「でもよかった、息子さんが帰ってきてくれて。アオイさんね、強い人だけど、やっぱり一人だと心細いと思うよ、正直ね」

「強い……」

「タツミ、裏へ行って洗濯物、とりこんできて頂戴」

 アオイ、家の中から声をかけ、タツミが返事をして去っていく。

「ほんと良かったねえ、アオイさん」

「ねぇアンタ。アンタんとこの介護ロボット、ほらなんて言ってたっけ」

「ウチの?ああ、トモダチ?大分年期入ってるから、最近は故障も多くてねえ」

「そうなの、見た目にはそうは見えなかったけどね」

「人型は見た目って重要だから、結構ケアしてるみたいよ、業者の方も。ただ中身はねー。新型入れる予算なんてある訳ないしねえ。あのトモダチだって、国の介護施策のアンドロイド投資支援が無けりゃ、導入できてないもの」


 アンドロイド等のイメージショット。(以下会話は継続しながらダイジェスト的に)

「……最近の新型は、やっぱりよくできてるの?例えば……特定の人間のように……つまり親しい人間のように振る舞ったりするような」

 Wikipedia(的な何かに書かれている)『模擬人格構築型AI、通称キャラクト。一般にネットワーク上の人類個人の動画投稿、SNS、Vlog等を元に個人の人格特性を学習し、出力された疑似的な人格を持つように見られるAIを指す。法的にその模擬人格をどう扱うかは現在国際的な基準が未ださだまっていないものの、現在のところ特定の人格のコピーを除く普遍的な意味での抽出模擬人格においては、親人間的用途に置いて使用されるツールとして、多くの国において合法とされている。一方でキャラクトによる方向性を与えられた模擬人格に、更に個人の記憶を学習させる事で疑似的な個人の複製を行える技術として汎用化され、過去の常識に縛られない高高度の個人の精神と肉体の自由を獲得するという理想の元、商用利用を行う企業もある。一方でいくつかの問題も起こしており、一例として……』

「ああ、そういうのもあるらしいねえ。キャラクトって言ったっけ、確か人間の真似するような機械だって。ただ、うちじゃ絶対導入できないから……」


 アオイ、洗濯物をたたむタツミを見、そこに一瞬過去、幼い頃のタツミと若いころの自分を幻視する。

「それにね、この仕事してるとほんとに思いうけど、やっぱり家族の支援があるなら、それが一番だよ」

「……そうだね」







 朝、台所に立つタツミ。時計は朝6時を指している。後ろからアオイがその姿を見る。気づいて振り返るタツミ。


「おはよう、母さん」

「……あんた、覚えてる?」

「うん?」

「あたしとお父さんが、小豆島の旅館にあんたを置き去りにしたこと」

「……覚えてるよ」


 タツミ、一瞬何かを思考するように停止したが、ゆっくりと思い起こすように告げる。

「……そう」

 そのままアオイは歩き去る。

「卵はもっと半熟で柔らかく焼いて。後、味噌はもっと濃く」

「分かった。昔、父さんが食べてたみたいにすればいいんだね」

「ええ、あたしは他のルールを知らないから」







 東京。取引先の社員をゴルフ接待するタツミ。右腕がくるくる回る。酔いつぶれ家に帰り、パートナーに迎えられる。冷や水を飲み、暗い部屋で二人向き合う。


「ねえ、お義母さんは、その、大丈夫?」

「何が? 問題ないよ。料理洗濯家事万事勤めてくれる、介護もしてくれる。結構高いんだよ、アレ」

「……でもなんかこう、悪い気もしちゃう」

「そう? でも別に普通の事じゃない。将来介護施設に入ってもらうよりよっぽどマシでしょ。それにせっかくこれだけ機械が便利になり続けてるんだから」


 タツミはどこか晴れ晴れとした顔で続ける。右手をくるりと回して関節がぽきりと音を立てる。

「僕たちの為にどんどん代わりに使ってやらなきゃ損だよ」

 






 アオイとタツミ、車に乗る。すれ違う隣人のおじいさんが挨拶する。


「お出かけですか」

「ええ、ちょっとね。この年になるとねえ、付き添って貰わないと、出かけるのも億劫で」

 アオイ、笑顔で答える。

「いいですねえ、息子さんが戻ってこられて、これで安心ですねえ」

「ええ、ほんとに、おかげさまで」







 車内。雨が降り始める。タツミ、運転席に座り(もっとも、自動運転なので運転はしない)前を向きながら右手を窓枠にかけ、手首をくるくる回して小さな(関節がきしむような)音を立てている。


「お父さんみたいな癖」

 アオイ、横目でそれを眺めながら、

「小豆島の旅行の時も、雨ばっかりだった」

「雨の日はその音がより一層響くの。渋滞だと特にね。お父さんはイライラすると、いつもそれをやてったから」

「父さんはあの頃、仕事が忙しかったから」

「それにあたしも」

「丁度俺が野球を始めた頃だったね。あの頃はなんとも思わなかったけど、毎晩ユニフォームを洗ってくれてたね」

「ええ」

「あれもそういうルールだったの?」

「そうなんじゃない。もうあんまり覚えてないけど」

「大変だったでしょ」

「そうね」

「それが、俺を置き去りにした言い訳になると思ってる?」

「……思わない」

「でもさ、正直全く驚きはなかったんだよ。父さんと母さんが俺を置き去りにして行ってしまった事。そのまま丸一日、迎えに来てくれなかった事。あの頃、いや本当はもっとずっと前から思ってたんだ。毎日二人はほんの些細な事で喧嘩してた。父さんは母さんの言う事に一つ、必ずケチをつけてた。お前の言い方が悪い。お前の態度が悪い。お前が言ってないのが悪い。お前がしたのが悪い。お前がしないのが悪い。お前が全部悪い。」


 ぽきぽきと関節の音が響く。


「父さんはいつも何かにイライラしてて、俺の事なんか見えてなかった。そして母さんも、父さんに追い詰められて、だんだん俺の事を見なくなっていった。いつの間にか、二人の視界に俺はいなくなってた。だからいつか、ああなる気がしてたんだ。別に悪意とか、苦しんだ末の決断とか、そんなんじゃなかったんだ。ただ普通に、ありのままの意味で忘れたんだ。その場に俺が居たっていう事を。そうでしょう? 俺は居ても居なくても、父さんと母さんには大した問題じゃなかった。自分たちの事しか考えられなくなってた。だからその時分かったんだよ。世の中で言うような幸せな家庭なんて、リアルには存在しないんだなって。」

「……」

「この家に誰かの自由は存在しないし、愛なんてものは人間の妄想でしかないんだなって」

 アオイ、タツミを見る。

「……ごめんなさい」


 タツミは外の風景を見続けている。


「でも父さんは俺には優しかったんだよね。こんな事言いたくないけど、母さんより」

「でしょうね」


 関節の音が響く。


「まあ、それもずっと昔の話だから。今俺は、母さんのことを一番に考えているよ」

 アオイ、タツミと目が合う。タツミは笑顔だった。雨の影か彼の笑顔にかかっていた。







 墓地に到着する。そこは槙田家の墓地がある。雨の中、車内から眺めるアオイ。


「俺だけで行こうか?ただ……」

 アオイ、少し口ごもったタツミを振り返る。

「俺はその……お墓掃除の仕方を知らないんだ」

 アオイ、一瞬意外そうに眼を開いて、

「いいよ、あたしも行く」

 雨の中で歩く二人。タツミが傘を持ってアオイを入れている。

「あ、花忘れた」

 アオイ、呟いて

「まぁいいんじゃない?」

 タツミは我関せずといった様子で言う。アオイ、しばらくタツミの横を歩き、

「……まぁ、いっか」

 






 朝起きるアオイ。時間はとうに朝八時を過ぎている。


「……あ」

 起き上がって階下へ降りると、食事の準備は整えられ、洗濯物は既に干されており、全ていつも通りの日常が続いている。

「おはよう、母さん」

 タツミが笑顔で挨拶する。

「……おはよう、タツミ」


 アオイ、座敷へと歩みを進め、仏壇の前で立ち止まる。そのまま仏壇の戸を閉める。







 働くタツミをしり目に家を出て、電車に乗り、一人道端を歩くアオイ。古い家屋の廃墟を仰ぎ見る。

 






 家。アオイ、椅子に座っている。


「こんにちは、みーちゃん」

 アオイが見るTV画面には、タツミの娘のみーちゃんが大写しで映っている。

「ばあば、こんにちあー」

「挨拶できて偉いねえ」

 そのままみーちゃんは一人遊びを始める。


「そっちはどう?」

 変わってタツミが現れ、アオイに言う。

「助かってるよ、お陰様で」


 アオイの隣に、お茶を持って現れるタツミ(のコピーアンドロイド)


「食べものもおいしいし、教えたことはすぐ覚えて代わりにやってくれるし、だからってあたしが動かないと不健康だってんで追い立てて色々と連れてってくれるし。あたし、健康になってるかもね。このまま長生きするよ」


 その隣り合った二人の姿に、一瞬眉間にしわを寄せるタツミ。

「そう、それは良かった」

「タツミ、あなたはこの機械を使って、本当に自由になれたの?」

「……どういう意味?」

「別にたいした意味はないの。ただ単にに気になっただけ。だってほら、この機械を作ってる会社の謳い文句に、そういうのがあったから、確か……もう一人のあなたが、あなた自身の心と身体をより自由にする、だったっけ」

「……なったんじゃない」

「そう。だったら良かった」


 しばらく沈黙。


 アオイはタツミの手を取って続ける。


「ありがたいことに、あなたが全部あたしの代わりこの家の事をやってくれるから。だからあたしもこれを、私の為に使いたいの」

「いいんじゃない、そいつはもう母さんの物のようなもんだし」


 アンドロイドのタツミ、黙して語らず母を見つめている。


「それでもし、あなたたちがいいならあたしもそっちで、東京にいってあなたたちと一緒に暮らすことも考えようかなって」

「……え?」

「家の事は全部、あなたに任せて」







 東京のタツミ。夜にアンドロイドのログに目を通す。

 その目視映像、会話ログにざっと目を走らせながら、思考する。右手がくるくると回って、ポキポキと音が響く。

 廊下の奥でみーちゃんが転んで泣き始める。だがタツミ、一瞥しただけで無視する。そのまま手首が回る。パートナーがみーちゃんを抱き上げ、あやす。タツミの視線は虚空のアンドロイドと母のダイアログに集中している。

「ねぇ」

 タツミ、振り向くことすらせず何か考え込んでいる。

 






 田舎のタツミ、洗濯物を干している。そこに何かを受信し、手が止まる。

 そのまま歩いてアオイの傍へ。アオイ、ミシンで縫物をしている。


「母さん。俺のマスターが……つまり、俺が、ここへ来るらしい。今そう連絡があったんだ」

「へぇ……珍しい。何か他に言ってた?」

 首を振るタツミ。「そう」

「なあ母さん、ちょっと聞きたいんだけど……この家ってそんなに大事なもの? 例えば母さんも居なくなるのに、俺を置いて管理しなきゃいけないほど」


 アオイ、小さく笑って、

「今、うちの実家がどうなってるか、あんた知ってる?」

「実家って……母さんの方の? さあ……」

「あんた、ばあちゃんに可愛がって貰ったのにね」

「葬式には出たよ」

「ばあちゃんはねえ……とにかく働いて働いて、働き続けた人だったんだよ。一人で家を動かして、一人で家を守ってた。ばあちゃんのルールは働かざる者食うべからずで、小っちゃいころから料理洗濯掃除から田植え草刈植木の手入れ、いろんな事をやらされたよ。他はいいんだけど、田植えだけはほんとに嫌いで、おっきな機械が怖くて仕方なかったな。でも、だからかなあ、ただあたしはそうなるもんだって、働き続けて生きていくんだって、いつの間にか考えることすらなくそう思ってた。ここのおばあちゃんもあたしには厳しい人だったけど、あたしに嫁に来た女としてやるべきことを全部教えてくれた。この家のルールは、365日変わらない事。あたしは、自分で言うのもなんだけど結構頑張ってた。少なくとも自分では、そう思ってたんだけどね。でも結局は……今はもう竹藪に飲まれてしまってる、あっちの実家はね。結局はそうやって廃墟みたいに荒れ果てて、誰も思い出すことすらなくなって。だったらって考えると、ちょっと辛いなって、そう思ったりもする。けどねえ……好きも嫌いも、思い出も恨みつらみも、ここには人生70年分、いやばあちゃんたちの分も考えれば、山のようにあるからね。少なくともあんな竹藪をもう一つ、見たくはないの。ただそれだけ」

「俺は俺自身を自由にするために作られた。だけど先日の母さんと俺の電話の中で、俺にはもう一つ行動根拠が与えられた」

「なんの話?」

「俺は俺自身と、母さんの自由の為に行動できるって事だよ。俺自身がそれを認めたから。だから俺にはもっとできる事があると思う。母さんの為に」







 東京のタツミ、パートナーと玄関で向き合う。


「たっちゃんは前からそうだけどさ、もうちょっと私に相談してくれてもいいんじゃない」

「何を?」

「何をって……なんでも。悩んでる事があるなら」

「うちはさ、家の事は二人で分担するし、俺が大変な時は君が、君が大変な時は俺が、それぞれ助け合うようにしてきたよね」

「うん、だから」

「けど同時にさ、家族に関係がない事についてはお互いあんまり関与し過ぎない。良いとか悪いとかでジャッジしない。お互いの自由を尊重する」

「……たっちゃん、大丈夫? お義母さんの事……」

「ごめん、ただちょっと……うちの家族関係を君に分かってもらうのが……別に特別良い家族だとか悪い家族だとか、そういう事じゃないんだけど……ただ俺の感じてる事を言葉で伝えるのが、こんなに難しい事だとは思ってなくて。俺もなんて伝えたらいいのか、分からなくって……とにかく」

「俺たちは自由に生きていいんだ。俺と君は、うちの家も、君の家も、関係ない個人だ。だから僕たちにとって全部いらないものは機械に任せればいい」

「……うん。そうだね。それが私たちのルールだね」

「じゃ行ってくる」

「気を付けて」

 






 空港で待っているタツミ(アンドロイド)そこへ歩いて出てくるタツミ(本物)。

「いらっしゃい」と呟いて荷物を受け取り、駐車場に向かって歩き始める。

 通りがかりの人がおどろいて、「双子?」と小話する。

 車内。タツミが二人座っている。しばらくの無言。


「何か報告は?」

「特にない」

「そう……なんかお前さ落ち着いたカンジになったよな。AIも成長するんだな」

「そりゃあそうさ」

「……少し意外だったよ。あの人が、お前を受け入れた事。まぁ、あり得ないって程でもないけどな……代わりは何だって構わないんだろうよ。あの人にとっては」

「それは言い過ぎだ」

 タツミ、意外な反応にアンドロイドを振り返る。

 






 田舎の家。家の側の道路で、いつもすれ違うおじいさんが、今日も通りかかる。


「こんにちは、これはまたよお似てるなあ」

「こんにちは」


 アンドロイドは挨拶するが、タツミは少し驚いたようにおじいさんを見送る。

「あれって新名のじいさん? 何年か前に死んだって聞いたけど」

「ああ。彼はおれと同じ種類のアンドロイドだ」

「へえ……なんでまだあんなの動かしてんだ」

「さあ? 理由は俺には分からないけれど」

 そのまま家に入る。

「別に特別珍しいことじゃない」


 玄関のドアが開く。中にはアオイが立って待っている。

「ただいま」

「おかえり、タツミ」

 






 夕飯を作るアオイが台所に立っている。そしてその隣にタツミ(アンドロイド)が近寄り、並んで作業をする。その作業は適切に役割分担され効率化されており、二人のその日常が続いていることをタツミ(人間)に強く想起させる。机の下で、右手首の関節が鳴る。


「いつも一緒に料理してんの?」

「いつもって訳じゃないけど」

「母さんの負担にならないように、上手く役割分担しているよ」

 横並びで座ったアオイとタツミ(アンドロイド)。


 ふうん、と呟いてタツミ(人間)は夕飯(大きなチキンの足といくつかの小皿のディッシュ)に箸を刺す。祭りばやしが聞こえる。

「ごはん食べたら、お祭りへ行きましょう。折角いい時に帰って来たんだから」

(帰って来た、ねぇ……)「まあいいけど」


 ※ ※ ※


 古い家のそこかしこで、古い記憶が呼び起こされるタツミ。そのほとんどは、彼に背中を向けた両親である。二人は彼を置き去りに、いつも2人だけで喧嘩していた。もっとも、彼自身もそれに関わらないようにし続けていた。家を出て、秘密基地を作り、木の葉の影で雨の通り過ぎるのを待った。雨が上がった後に、母の声は聞こえた。その声に涙ぐんだ様子があったことも知っている。


(でも、一度だって俺を見つける事が出来なかったよなあ)


 タツミは浴衣を着こみながら考える。目の前では彼の似姿のアンドロイドが、それを手伝っている。祭りばやしが聞こえる。


(同じ記憶があってすら、性格を模倣してすら、違う)


「きつくはないか?」「ああ」


(ましてや、たかが血のつながりでしかない、いやむしろ血なんていう幻想がお互いの理解に役立つと思い込んでいる親と子なんざ)


(それこそ理解から最も遠い存在だろうよ)


 家を出るアオイとタツミ。アンドロイドのタツミが家から手を振って見送る。







 夜の神社。出店がいくつか並ぶ。アオイとタツミ(人間)が並んで歩く。


「綿菓子はもう売ってないな。泣いたら買ってくれたよな。黙らせるのに便利だっただろ?」

「確かに」

 アオイは笑う。

「俺が覚えてるのは、スーパーボールだな。母さんが取るの上手かったから」

「……そうだっけ」

「一心不乱に取ってたよ。ひたすら水の中をのぞき込んでさ。誰も頼みもしないのに。俺は後ろで見てたけど、そのうちなんか怖くなってさ。いつも脇道から外に出て、明るい商店街の方に行ってた」

「……ごめんね」


タツミ、右手がくるくると回る。


「……別に謝るような事じゃないじゃん。ただそうだったってだけ。小豆島の時だって同じだろ。ただそうだったし、俺らはそういう家族だったってだけ。それ以上でもそれ以下でもない。だからもうそれでいいでしょ。今更変われないし、今更変えたいとも思わない。必要最低限以上に関わらないのが、最適な……一番慣れ親しんだ距離感なんだよ」

「でもそれは……寂しいじゃない」

「あんたがそれを言うのか。言う権利あると本気で思ってるのか」

「……全部あたしが悪い」

「そればっかりだな。親父に言われ慣れ過ぎて染みついちまってる」

「……そうね、その通り。ここで生きてきた時間があたしには染みつきすぎて、もう取れない。そしてあんたも。あんたはとてもよくお父さんに似てきたと思うよ。その一方的な言い草なんて、ほんとに瓜二つ」

「俺のどこがあんな奴と同じだよ」


 つい言葉を荒げ、タツミは周囲を気にしながら声を潜める。


「子が親の面倒を見るような、そういう時代じゃないんだよ、もう。母さんや父さんの時代とは違う」

「時代か……思い出が廃墟になる時代なんだね」

「そうならない為に、あのアンドロイドを送ったんだよ。前も言ったように、俺だって母さんに苦しんでほしい訳じゃない。ただ人間同士にはお互いが自由でいられる適切な距離があるんだ。そしてそれは、一緒に暮らす事じゃないんだ。少なくとも俺にとっては」

「……そう」

「だから、東京には、来ないでくれ」







 一人帰宅するタツミ。それを出迎えるタツミ(アンドロイド)


「いらっしゃい」


 その言葉にタツミは小さく笑う。

「そうか、お前の中では、俺はとっくにこの家の人間じゃないんだな。そうだな、それが正しい」


 タツミ、靴を脱いで家に上がり、


「妙な感じだよ。お前と母さんが並んでるのを見るのは。特に並んで料理してるのなんか見るってのは。なんでそう感じるんだろうな。そんなのは……俺がそんな事をするのは絶対にあり得ない未来だからかな……」

「母さんは?」

「すぐに帰って来るよ。俺はもう目的を達したから帰る。後は任せた」

「また逃げるのか。母さんを置いて」


「……なんだって?」


「自分でもわかってる癖に。責任を感じている癖に……俺は自分の判断を後悔していない。東京に上京した日、電車の窓から瀬戸内海を見下ろした風景を未だに覚えている。雲は薄く、日は柔らかく、海は凪いでいた。俺はこう思ったはずだ。もしかしたら俺は、二度とここに戻らないかもしれないと。あの親父の隣で母さんがどれだけ苦しんでいようと、それは俺には関係のない事だと。でも、俺には関係がない。そう思うたびに俺は気づくんだ。この大学の費用も、これまで生きてきたその多くの生活も何もかも、俺にだけ優しかったあの親父と、いつも疲れ切っていた母さんが与えてくれたものだってことに。この家に与えられた物だったって事に」


「そうだよ、だからお前がここに居る。金の計算で言うなら、これでチャラだ」


「そうやってなんでも金で計算してしまえば、傍目には合理的に見えるだろうと分かってあえて言ってるんだよな。そういう風に演じていれば、その裏に隠した見せたくない物が他人からは見えにくくなることを、俺はよく知ってるからな。もうちょっと真剣に考えてみろよ。なんで俺が母さんと並んで料理してるだけの光景に、お前がそんなにヒリヒリしなきゃいけないのか。なんでお前は母さんが東京に行くまで待てず、こんなところまで来ざるを得なかったのか。お前はまるで、親父と母さんの喧嘩の最中にずっと秘密基地に隠れて耳を塞いで……」

「黙れよ」


「その後で母さんが見つけに来てくれて、優しい言葉をかけてくれるのをの未だに待ってるようだ」

「うるさい」


「一番家族との距離の取り方が分からないのは、俺自身だろう」







 家、一人佇むタツミ(どっちか分からない)。そこにアオイが帰宅する。タツミ、野球バットを持っている。


「あなた……」

 タツミ、そのまま振り返り、家の中へ入っていく。仏壇の前で立ち止まり、突如バットを振り被る、そのまま仏壇を破壊する。


「あなたは……」

 はっと気づいたように走り出すアオイ。家を出る。







 廃墟のような場所に座るタツミ。その周囲を走るアオイ。しかしアオイ、タツミを見つける事が出来ない。

 しばらくして、タツミ道へ現れる。アオイ、気づいて引き返す。目が合う。







 東京のアパートで暮らすアオイ。そこに子供を連れてタツミのパートナーがやってきて、子供を預ける。タツミ、普段とおり仕事しながら合間に母の様子をみる。







 田舎の家。タツミが居る(アンドロイド)。朝6時に起床し、台所で立ち尽くし、洗濯場で立ち尽くし、掃除する。決まったルーティーンの中、仏壇は破壊されたままである。隣のおじいさん(アンドロイド)とあいさつする。田舎の町はいつのまにかその景色を内側から替えていく。


 end

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