気にしない②

 副隊長さんもコンロの方を確認したようで、「焼けただろうか、彼女たちの方へも持っていこう」と言うと木陰を抜けた。

 そうだ、それはそれとして、とらにも声を掛けようとテラスの方を見ると、俺の視線はその更に奥へと焦点が動いた。

 キッチンの方── 花筐の奥の方から親分が歩いてくるのが見えたのだ。その傍らにはララがいる。

 この花筐において親分はどんな世界のどんな人物にも声を掛けていく。そこにあるのは相手はもちろん自らをも含めた存在への敬意だ。幼い姿をしていても彼を格下に扱う人間はここにはいない。

 そうであるので、この二人が一緒にいることは特段珍しいことではないが、この二人が顔を合わせる場合には何か大事な話がされた可能性もある。

 まあ、ただスイーツの話をしていることもあるからなあ……


 などと気を抜きかけたところで、俺はもう一度目を凝らすことになった。


 自室へ戻るのだろう横合いの廊下へとララは足を進めた。その後ろに隊長ちゃんがいたのだ。3人で戻ってきた、のか。

 3人で…… 何を話していたんだ?


 隊長ちゃんはララと親分にそれぞれ声を掛けると、キッチンの向かいにある階段を上がっていってしまった。

 本当にこのまま寝るつもりなのだろうか、まだ昼前だぞ。いくら彼の起床が午前3時だといえど、半日も経っていない。


「ノエ」


 とらの声にハッと我に返った。テラスの柵に肘を着きながら、とらが怪訝そうな顔をして俺を見ている。

 どうやら3人を見つめたまま木陰から歩いてきてしまっていたようだ。


「お前、さっきから大丈夫か」


 いつになく静かな声でとらが尋ねる。普段チャラそうな仕草なばかりに誤解されやすいが(人のこと言えないが)、この男はかなり真面目な人間だ。人の挙動の一切を真に受けてしまう。

 俺はパタパタと手を振った。


「だいじょぶだいじょぶ、親分が来たから声を掛けようと思ってただけだ」

「俺がどうしたって?」


 ちょうどよいタイミングでニヤリと笑った親分が会話に混ざった。

 人型を取っているときの親分の目は青みがかったエメラルドをしている。隻眼であることが、却ってその希少性を高めるかのように美しく灯る。

 親分が精霊の姿ではなく人型をしているということは、ララたちとの話はやはり重要な件であるのだろうか。


「ララと隊長ちゃんは来ないの」


 別に何かやましいことを見ているわけでも聞いているわけでもない。俺は今見た光景を親分に尋ねた。

 すると、─── 親分はエメラルドグリーンを下からじっと俺に向けるのだ。

 え、何、と思わず口を吐きそうになったが、その前に彼は視線を逸した。逸して、ちらりととらを見るのだ。

 この視線の移動はどういうことだ?


「菓子があるならララは来るかもしれないな。

 この後マシュマロ焼いたりしないのか」


 からりと軽い声で親分は返した。言外に隊長ちゃんは来ないと言っている。

 えっと、と彼の質問に俺は買い込んだメニューを思い出す。


「あった、あったな。マシュマロはたぶん昼飯が落ち着いたら焼くと思う。

 『マダムのアイスティー』が冷蔵庫に入ってるから、一緒に飲んでくれ」

「ああ、そりゃいいな」


 この人数だ、ちょうど良いと思い野菜を切りながら作っておいた。

 一度に大量に美味しい紅茶を淹れる方法を、勝手に『マダムのアイスティー』と呼んでいる。親分もにっこりなこのレシピは花筐で人気だ。


「まずは腹ごしらえはどうだ。向こうでロレンソたちが串で肉を焼いてくれてる。

 他にもサラダスティックとかあるから見てみてくれ」

「おう、分かった」


 と言って、親分は俺の腹あたりをポスポスと叩いて通り過ぎた。

 親分が向かうのを見て、とらも後を追う。もちろん親分は子どもではないし、とらも子ども扱いなどしないが、自分より小さなものを見ると世話を焼きたくなる人種なのだ。

 親分が向かってくれて良かった。

 袖に隠れてしまっていた腕時計を確認する。『予定』の時刻から逆算し、ギョーザの仕込み時間を考えてみるが、まあ長い話にならなければ間に合うだろう。


 俺はダイニングへ入り、─── 階上を見つめた。



 隊長ちゃんの部屋に声を掛けると、中から「どうぞ」といつも通りの調子で返事が聞こえた。

 扉を開けた先で隊長ちゃんは煙草を銜えていた。彼が喫煙者であると知ったとき、一番イメージから遠いなと思ったものだ。慣れた仕草で火を点けるのを見てぐっと親近感を覚えたことも。


「ノエは喫煙者だっけな」

「ああ、隊長ちゃんが吸ってるなら俺も一本やろうかな」


 扉を閉め、ジャケットの内ポケットから煙草を取り出す俺を見て「どうぞ」と隊長ちゃんはもう一度承諾する。

 部屋の真正面にある窓を開放するのを見るに、彼も火を点けたばかりなのだろう。

「灰皿そこ」と壁に寄せているワークデスクの上を指す。角型で木蓋の灰皿がある。


「洒落た灰皿だ。いいデザインだな」


 中の灰を落とさないように持ち上げて眺めると、俺の様子を見た隊長ちゃんは嬉しそうに笑う。もしかしたら彼が買ったものではなく、誰かから貰ったものなのかもしれない。

 例えば彼の部下から貰ったものを褒められれば、自分のことよりもずっと喜ぶような男だ。

 彼の方には彼の方で、傍らに携帯灰皿が置いてあるのが見えた。


「バーベキューはどうしたんだ。ノエがいないとキッチンの収集が付かないだろう」

「自分の部下を投入させておいて何を言うの」

「我々は力仕事が領分だよ」

「いや、そこはモノリには敵わないよ」


 そう言ってみせると、隊長ちゃんはキョトンとした顔をする。そうか、彼もまだ彼女の特異な能力を見ていなかったか。

 俺は今朝のプールの話を隊長ちゃんに聞かせた。隊長ちゃんは「へえ」と目を瞠って笑う。


「そうなんだ。押したら倒れてしまいそうな雰囲気だから、びっくりだな」


 ふう、と開いた窓の方へ煙を流しながら隊長ちゃんが返した。いつもなら気にならないのだが、彼のその口調がどこか平坦なように聞こえる。

 フリをしている、という表現が近いだろうか。嘘ではないが、言葉ほど驚いてもいないような。

 だが、きっとこれは俺が今、彼に対して疑念を持っているから、という理由が大きいのだろう。

 あまり良い状態ではない。さっさと自分の中の靄を晴らしてしまいたかった。


「隊長ちゃんは下へ行かないの」


 俺が切り出すと、隊長ちゃんはパタリと黒い目を瞬かせた。

 それから「ああ」とどこか納得したような頷き方をする。俺がなぜここに来たのかを察したのかもしれない。

 彼が窓枠に凭れ掛かるようにしているので、俺は部屋に一つだけある椅子を寄せて座った。


「今日は遠慮しておく。体調が悪いとかそういうことではないから気にしないでくれ」

「夜が眠れてないと聞いたけど、まだこれから暑くなるぜ。

 クーラーを入れた方がいいかもな」

「暑くなったら考えるよ。今は窓を開けておけば大丈夫そうだから」

「親分とララとは何を話してたんだ」


 隊長ちゃんが本気でバーベキューに行く気が無いことが分かったので、もう一つの疑問を差し出した。

 唐突な切り替えだったせいもあるのか、隊長ちゃんは苦笑いのように笑う。

 意表を突いて反応を見たかったのだが、百戦錬磨ってところか、軽く受け流された空気だ。


「どうした、まるで尋問だな。何か気になることでもあったか」

「来たばかりのあんたには分からないかもしれないが、親分とララが顔を合わせるっていうのはなかなか事態が大きいことがままあるんだよ。

 そこに隊長ちゃんまで居合わせたら何事かと思うやつは思う」

「そうだったとしても、あの二人がハナガタミに都合の悪いことを話すわけがないだろう」


 隊長ちゃんは、ふうと紫煙を外へ吐き出した。

 少なくともスイーツの話をしていたわけではなさそうだ。万が一もあるなとは思っていたが。


「お前の個人的な興味か」


 ふと隊長ちゃんが切り込むように尋ねた。ちらりと見たその視線は、普段のんびりとしてるそれではない。相手の心の裡をひたりと見据えるような目だ。

 俺と似て非なる『世界』に生きているのだと改めて知る。先程の俺が仕掛けたことと同じように、突然切り込んで繕わせないようにしたかったのだろうか。

 質問の意図が図りきれずに確かに戸惑ってしまった。一拍遅れて声が出る。


「どういう質問だよ」

「誰かから聞かれているわけではないのか」


 あ、なるほど。

 もし俺が、ここに隊長ちゃんの様子を気にして来たという流れがあるならば、他に誰かから様子を窺ってきてくれと言われた可能性もあるのだ。彼はその可能性を考えたのだろう。


「ああ、いや、俺が全部見てきた上で何か様子がおかしいなと感じてる。

 他の奴らがどう思ってるかは分からないし、気づいてないかもしれない。副隊長さんたちにおいては事情は把握済みってところだろ」

「今日の今日でおかしいと感じるのどうなんだろ」

「え」


 ぼそりと呟かれた言葉に思わず声が出る。隊長ちゃんはひらひらと手を振って笑った。


「察しが良すぎるだろって言ってる」


 ああ、曲がりなりにも褒められた、のだろう、たぶん。

 日常的に相手の真偽を見極める仕事もしているものだから、小さな違和感に気づきたくなくとも気づいてしまうところがある。

 隊長ちゃんは煙草を抑えるとも口を抑えるともつかない仕草で少し考え込んだ。ジリジリと煙草の先が燻る。窓の外からは中庭からの歓声が僅かに流れ込んできていた。

 灰が長く落ちそうになっているなと思ったところで、隊長ちゃんは窓枠に置いていたポケットサイズの灰皿へ落とす。


「気にしない、と約束できるか」


 窓枠から離れ、足元に置いてあったクーラーボックスの箱を開きながら隊長ちゃんが切り出した。

 え、と言葉に詰まったところで、クーラーボックスから取り出された缶を放り投げられる。

 反射的にキャッチしたのを確認すれば、缶ビールで。


「仕入れたのを持ってきてくれた」


 アルパカが、と隊長ちゃんは笑い、取り出したもう一缶を再び窓枠に凭れつつ開ける。

 彼の手の中でカシュ、と小気味よい音が聞こえた。


「気にしないって、何を」


 隊長ちゃんがごくごくとビールを煽るのを見つめながら、俺はさっきの質問を確認した。


「これから話すこと。

 親分に相談したんだよ、俺が。そこでどういう経緯になったのかは分からないけど、親分からララに話が行ったらしい」

「相談?」

「約束」


 尋ねた俺に、間髪入れず隊長は突っ込んだ。怒ってる様子はない。どちらかと言えば小さな子に確認する空気だった。

 これ以上を彼に話させるには、まずさっきの約束が必要というわけだ。

 俺は「分かった」と頷く。隊長ちゃんはにこやかに俺が持っているビールを指した。

 飲め、とのこと。アルコール片手に聞く程度のことだ、と言いたいのか意図は分からなかったが、この流れで無言で示されると圧を感じてしまう。初めて素直にちょっと怖いと思った。


 プルタブを起こし朝からビールを煽るのは、健全な生活をしているときには少し罪悪感を覚える。それがまた苦いスパイスで美味しいわけだが。

 ビールはしっかりと冷えていて、喉元を爽やかな炭酸の刺激が通り過ぎる。鼻孔から抜けるほろ苦い香り。今日はさっぱり系のビールを揃えたらしい。

 俺がビールを煽るのを見届ける前に、隊長ちゃんは話し始めた。

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