『花筐荘』

もちもち

【私】の確立のこと

夏の一幕

気にしない①

「ノエ、着火剤を持ってきてくれたと聞いたのだが」


 テラスの方から副隊長さんがこちらへ声を掛けた。つなぎ服の上を脱ぎ、しっかりとした腰に巻き付けている格好だ。


「ああ、買ってきてますよ」


 俺が着火剤の入った袋を差し出すと、副隊長さんは大きな手で受け取った。

 手も足も全部が大きいんだよなこの人は。ただでさえ大きいのに、彼が崇拝する隊長ちゃんを傍らに添えるとお互いがお互いを一層強調するので脳がバグって来る感じもある。

 副隊長さんは二コリと笑うと「ありがとう」と礼を言い、再び持ち場に戻った。




 バーベキューコンロなるものが花筐荘にあることを、俺は二日前に初めて知った。

 副隊長さんがテキパキと組み立てから先ほどの着火剤で火起こしまでを行ってくれたため、俺たち食事班はキッチンで食べ物の準備に専念できた。

 俺の隣ではアルパカくんがなんとはなしに楽しそうに串に肉を刺している。ロレンソは既に中庭にセッティングされたコンロの前にいて、組み立てられた網の上に鉄板を乗せていた。肉が焼き上がるまでのつなぎを兼ねてサイドメニューを作るのだろう。

 食事班のメインメンバーはこの三人だ。



 中庭では、牛角を戴くモノリちゃんがビニールプールに水を張っている。そのプールを作ったのもまたモノリちゃんだ。

 シンプルなグレーの半袖シャツとジーンズのホットパンツから、一見華奢に見える白い手足が伸びている。しかしこの外見に騙されてはいけない。


 空気を入れる前のビニールを持っている彼女へ慌てて手伝いの声をかけようとした副隊長さんの前で、モノリちゃんはサクサクと綺麗にプールを広げてしまった。

 力仕事は彼女の十八番だ。花筐古参たちが、呆気に取られている日の浅い居住者をニヤニヤと眺めてしまったのが先刻。

 パラソルも掲げられ、プールの準備はばっちりのようだ。


「夜ノ、そこ段差があるわ」

「あら。ありがとう、チカ」


 ふと、いつもよりいっそう楽しそうな夜ノちゃんの声が聞こえた。

 チカムユニカが夜ノちゃんに手を貸しながら、中庭のテラスからプールの方へ向かおうとしているのが見えた。

 俺が目を丸くしてしまったのは、二人とも水着だったからだ。


 体のラインを拾わないことで有名な(?)和装をいつも着ている彼女が、チカムユニカとお揃いのセパレート型の水着を着ているのだ。

 どちらかというとグラマラスなチカムユニカに対して、夜ノちゃんはふっくらとしているんだなあ。色が透けてしまいそうな白さをしているから、もちもちの雪見だい○くを思い出してしまう。


 そのことにも驚きなのだが、彼女の手を引いているチカムユニカにも驚いてしまった。

 チカムユニカは割と足のラインを出すファッションをしているのだが、彼女の足が露わになることは珍しい。

 スカート型の裾からすらりとした足が伸びている彼女の片足の色は、肌色では無いのだ。彼女の母核となるコンクパールそのものの色をしている。

 彼女自身がそれを厭うているわけではないが、悠久を生きてきた彼女だ、文字通り嫌になるほど足の色について不躾なことを言われてきたのだろう。

 チカムユニカは普段、長いブーツでほぼ足を覆っているのだった。


 …… と、ここで俺がしっかりと見ていたことにチカムユニカが気づいた。

 俺は慌てて笑顔を作ってみせたが、彼女は(夜ノちゃんがいなければ舌打ちをしただろうくらいには)鋭い視線を刺し、夜ノちゃんへ「日差しが強いわ」と持っていたパーカーを被せてしまう。そんな、誤解だ……


 ちくり、と腕に小さな針が刺さったような感覚が走る。一瞬後ろめたさからそんな痛みを感じたのかと思ったが、アルパカくんが持っていた串で俺の腕を刺していた。


「あんまりじろじろみちゃ、だめ」

「すいません……」


 アルパカくんにまで注意されてしまい、俺は素直に反省した。

 確かに紳士たる行為ではなかった(でも眼福…… いや、驚いてしまったんだもん……)


「手は足りちょるか」


 カウンターからひょいと顔を出したのはキリキだ。今日は眼鏡をしていないようで、桃色の双眸がハッキリとこちらを見ている。

 白い前開きのパーカを羽織っているが中は着ていないようだったから、彼もすでにプール遊びの準備が万端なのだろう。


「大丈夫。あとでギョーザ作るからそのときかな。

 構わず遊んできて」

「そうか。ありがとう」


 とキリキが礼を言うと、外から彼を呼ぶ声が聞こえた。浮き輪を抱えたジンくんが尻尾と手を千切れんばかりに振っている。

 どうやらジンに呼ばれていたらしかったから、キリキは手が足りているか問題無いかを確認してくれたようだ。俺はもう一度キリキを促すように頷いた。


 ジンは最近はずっと隊長ちゃんの傍にいた気がするのだが、そういえば今日、彼を見ていない。

 アルパカもずっと俺の隣にいるし。なんなら副隊長さんも彼の不在を気にする素振りもなくコンロの設置を終えるとロレンソの手伝いに回っている。

 念のため探しに行った方がいいのだろうか。だが、彼の仲間がまったく気にしていないのだ。ここで俺が気にすることでもないのだろう…… とは思うのだが。


「もっていくよ」


 傍らからアルパカくんが声を掛けた。

 一瞬、何を持ってかれるのかと思ったが、彼が手に持っていた皿を見て理解する。アルパカくんが先ほど串刺していた肉だ。

 ああ、と俺が頷くのを見るとアルパカくんは少しの間じっと俺を見つめ、ふいと視線を逸らすように中庭へ向かった。何かを察されたような気もするが、…… 気にしないことにする。


 あのアルパカくんでさえ隊長ちゃんの不在を気にしていないのだ。

 俺も気にしなくていいだろうと結論を出し、ビュッフェ形式バーガー用のバーベキューソースと野菜一式を手に取った。

 バンズと中に詰める材料を置いておき、みんなで好きなようにバーガーを組み立ててもらうシステムだ。

 アルパカくんの後を追うようにテラスへ出ると、屋根の影でとらが突っ立っていた。

 ちょうどキッチンのカウンターからは見えない位置の壁に寄りかかっているので、俺は思わずぎょっとしてしまった。


「び、っくりした」

「おおごめん、え、俺なにかした?」


 俺の様子に、とらは反射的に謝ったらしい。続けて怪訝そうな顔をされたので俺は首を振る。


「俺が勝手にびっくりした。

 どうした、気分悪いのか」


 俺より拳一個分ほど低いとらは、上から見下ろすと体調不良かと心配になるのだ。

 夜ノちゃんとは全く異質の色の白さは、彼が笑っていないと本当に良くない色に見える。

 それにプラスして、彼は屋外ではサングラスを掛けていて目元が見えない。とらはこちらを見上げるのだが、濃い色の遮光ガラスは俺との視線を遮ってしまう。


「いや、大丈夫。ダメだったらその辺に転がってるよ」

「その辺ではなくベッドに転がってて欲しいんだけど。

 駄目そうになったら声掛けろよな」


 両手が塞がっているので、軽く肩をぶつけるようにしてとらに念を押す。とらは軽くよろけるような仕草を見せて笑ったが、たぶんほんとによろけた可能性もあるような男だ。


 とらは、最近少し上の空だ。

 前から何か考え込むと周りの声が聞こえなくなるほど内側に入り込んでしまう傾向があった。本当にずっとソファに座ったまま。傍から見ればぼーっとしているように見えるので、声を掛けてもしばらく反応が無い様子はちょっと怖い。

 ちらりと肩越しに振り返ってみたのだが、とらはやはりプールの方だかその先のどこかだか、何を見ているのか定かではない方向を見ている。


「ノエ」


 呼ばれて振り返ると、ロレンソがターナーを持った手を挙げている。彼の手元ではビーフパテが並んでいるようだ。ハンバーガー用のパテを焼いていてくれたらしい。

 手に持っていた一式を外に持ち出した丸テーブルに並べ、彼の方へ向かう。


「餃子のタネは作っておくから、お前も涼んでくれば」


 ターナーの先でプールを指しながらロレンソはそう言ってくれた。

 普段、相棒(と、その“所有物”)以外は相当どうでも良さそうな相手の言葉とは思えず、彼を見つめてしまった。

 すると、ロレンソは俺の凝視の意図を瞬時に見抜いたらしく、プールに向けていたターナーの先を今度は俺の方へ向けて言う。


「このクソあちぃ気温で三つ首を絞めてられると、見てる方が窒息する」


 そう言う彼はいつもの襟シャツではなく、ヘンリーネックの半袖シャツを着ている。横で串肉を並べているアルパカくんに至っては、もうヨレヨレのグレーTシャツだ。

 翻って俺は、彼が言うように襟を上までしっかりと留め、腕まくりをすることもない。

 彼が見れば確かに息が詰まりそうな格好をしているのだろう。正直俺も暑い。

 だが、完全に個人的な理由で俺は人前で服を脱ぎたくないのである。俺はロレンソに「気にしないでくれ」と手を振った。


「傷が多くて見た目が厄介なんだわ」


 簡単に理由を伝えると、彼は不可解とばかりの顔を見せたが「ふうん」とそれ以上を言及せずに頷いた。


「おみずのんでね」

「ああ、ありがとう」


 ドリンク類が入っているクーラーボックスを指し、アルパカくんが忠告してくれる。

 あの中には確かアルコールも入っていたはずだ。この状態で飲んだら脱水症状になるだろうか。

 ビールはギョーザのときにしようと、素直にミネラルウォーターを掴んで取り出す。プラスチックのキャップを捻じりビニールプールを振り返った。


 花筐荘は小高い場所に建っている。ビニールプールを置いた中庭の先に見えるのは真っ青な空だ。白い入道雲が、誰かがふざけて積み重ねたように空高く伸びていた。

 ビニールプールはファミリータイプでだいぶデカイものだ。チカムユニカ・夜ノちゃん、ジンくんが入ってもまだスペースが余っている。キリキはプールの外からホースでジンを攻撃したり、逆にジンから水鉄砲の逆襲を受けたりしていた。

 水を手に日差しから避難した木陰の頭上からは、勢いよく蝉の声が振ってくる。


 普段なら、ここに監督官として親分がいたりするのだが、そういえば彼の姿も見えない。

 所用でもあっただろうか。親分がいるならば、その責任感からこういう場の参加を見送るということは無いように思うのだが。

 隊長ちゃんといい、場の責任者として自覚がありそうな人物が二人も不在をしていることに、俺はやっと夏の風景の後ろで何かが動いている気配を察した。

 とらは先ほどの場所から動かず、ぼんやりと中庭の方を眺めている。


「暑くないか」


 小さな胸騒ぎを感じていたところに、穏やかな声がかかった。副隊長さんだ。

 笑いかける彼に軽く手を挙げて笑い返す。コンロも設置完了し燃料その他雑務を終えてきたのだろう。

 髪が濡れていることと彼の手に半分ほど無くなったミネラルウォーターが握られているのを見るに、もしかしたら軽く被ったのしれない。


「暑いっすね」

「水分は摂れているか。傷があるらしいが、あまり無理せず少しくらいは開いた方がいい」


 自分の喉元を指しながら副隊長さんが言うので、どうやら事情はロレンソたちから聞いているようだ。

 事情と言えるほど説得力のあるものではなかったが、副隊長さんらしい配慮をしてくれる。


「結構浅いところに傷があるんだ」

「ジンはともかく、ここにいる面子は傷痕なら見慣れている」


 ここ、のあたりで副隊長さんは自分とコンロの二人を指した。プールから離れた場所くらいなら大丈夫だと言ってくれているのだろう。

 そりゃ戦場経験者なら傷どころかそれ以上のものを見ているはずだ。今更傷の一つや二つどうということもないと伝えているのだろうけれど。

 俺は軽く苦笑いを返す。


「なんというか…… 心理的に俺が躊躇ってしまうんだ。

 傷痕というよりは呪いに近いから」


 例えば、浴場は共同であるため使うタイミングが被ってしまうことはある。

 混み合う時間を避けて使うようにはしているので副隊長さんと居合わせたことはなかったが、以前にジンと時間が被ったときはえらいことになってしまった(ジンが)。

 おそらくさっき、副隊長さんがジンの名前を出してきたのは、隊長の手の一件を知っているからなのだろうな。

 相手が問題なくてもちょっと俺自身が気にしてしまう。通常の傷ではないのだ。


「呪い」という言葉で察してくれたらしい副隊長さんは、心配そうな申し訳無さそうな様子で頷く。

 そういえば、この人は俺の仕事を知っていただろうか。あるいはその仕事上の傷だと思ったのかもしれない。

「まあまあ、気にしないでくれよ」と立派な背中を叩き、俺はついでにというわけではないが、話題を振った。


「隊長さんの姿が見えないんだが、どうかしたのか。

 いつもアルパカくんと一緒なのに珍しいな」


 彼らが気にしてなさそうな様子ではあったので、俺もラフな調子で尋ねてみた。

 すると、副隊長さんは「ああ」と軽く笑って答えてくれた。


「用事があって外している。そのまま今日は休むらしい」

「え、終わり遅いのか」


 そのまま休むという話にちょっと驚いて食い気味に聞いてしまった。遅いというか、隊長ちゃんの寝る時間が早いというかだが。

 それにしても、まだお昼にも差し掛かっていない。この飲み会もまさか彼の就寝時間である9時まで開いている予定もない。

 それは彼らも知っているところだろうが、それでも「そのまま休む」という話なのだろう。


「最近暑くてよく眠れてないそうだ」


 俺の驚きに、副隊長さんは「心配ない」と先ほど俺がそうしたように俺の背中を叩いた。


 …… 妙な違和感があった。

 そもそも隊長ちゃんは俺の世界とは別の世界ではあるが、確か熱帯に属する地域の出身だ。平均気温25度で湿潤を保つ地域である。そしてまだここは熱帯夜が続く時期ではない(というか朝晩の気温は涼しいくらいだ)。

 基礎体力だって俺たちよりもずっと高い彼が顔を出さないほど疲れているというならば、少なくともアルパカくんが付き添うのではないだろうか。


 コンロの方を見ると、アルパカくんは店番よろしく串を裏返していた。そこへ浮き輪を持ったままのジンが肉串の方へ駆け寄って行く。数歩後ろからついて行ったキリキが、ジンを万歳させて浮き輪を引き取っていた。溶けて破けてしまいかねないからな。

 ジンの尻尾が後ろ姿でも楽しそうな様子で振られている。アルパカくんと何かを話しながら肉が焼き上がるのを待っているようだ。

 その様子を見ても、アルパカくんが他に気を取られているようには見えなかった。


 楽しげな夏のバーベキューの様子にしか見えない。

 この3人の中では、今日の隊長の不在は納得済みなのだ。


 ならばそれで良かった。はずだった。

 親分の不在にまで気づかなければ。先ほど感じていた燻るような胸騒ぎさえなければ。

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