浦島奇談

藤光

浦島奇談

 今となっては昔のことになるが、丹後国浦島の浜に太郎という若者が年老いた両親と共に住んでいた。太郎は貧しい漁師で、毎日細い竿を持ち、小さな舟で海に漕ぎ出しては魚を獲って暮らしていた。


 ところがある年の夏、海の彼方から雲が湧き、空を真っ暗にしたかと思うと、浦島の浜を嵐が襲い、太郎の小さな舟も細い竿も風と波に攫われ失くなってしまった。


「海からくる嵐は、わだつみの眷属がおかへ上る兆しとか」

「わだつみの神々の無慈悲なこと。貧しい我らから奪うことはあるまいに」


 太郎と両親は。海の神の仕業を呪ったがそうしたところで舟が帰ってくるわけではない。この先、どうやって暮らしていけばよいものか、太郎が途方に暮れて浜を歩いていたところ、村の子供たちが集まってなにやら騒いでいるところに出くわした。見ると海亀の首に縄を掛け、笹や木の枝で打っては囃し立てている。


 海亀の甲羅は磨くと美しく、その肉は美味だ。捕らえて市に持ちこめば、たくさんの銭と交換できると太郎は知っていた。さっそく亀に群がる子供たちを追い散らして、亀に掛けられた縄を解いてみたが、改めて見ると貧相な子亀である。市へ持っていったところで、たいした銭と交換できるとは思えない。


 ――海の神は嵐にのってくるというしな。


 この子亀がそうかもしれぬと恐ろしくなった太郎は、せっかく手に入れた亀をそのまま海へ帰してやった。


「それはよいことをした」

「これ以上、わだつの神々から祟られることはあるまい」


 両親はそう言って喜んでくれたが、太郎はずっと海に帰した亀のことを考えていた。子亀ではあっても新しい舟と交換できるくらいの銭にはなったかもしれぬ。自分が漁に出なければ、どうやって両親を養っていけばよいだろう。


 悩みを深くした太郎が、海を見ながら浜を歩いていると、先日の子亀とは比べものにならぬくらい大きな亀が浜へ上がってきた。なんという幸運。打ち殺して市に持ちこもうかと太郎が身構えたそのとき。大亀が口をきいた。


「海底の都、竜宮の姫君があなたさまをお招きです。お迎えに参上しました」


 わけのわからないまま、太郎はたちまち大亀によって海へ引きずり込まれ、深い海の底にある竜王の統べる都――竜宮へと連れ去られてしまった。





「いつぞやは助けていただき、ありがとうございました」


 大亀につれて来られた竜宮で太郎を待っていたのは女性だった。竜王の娘である乙姫で、先日浜で子供たちから嬲られていたのを助けてもらった礼がしたいのだとういう。


「あのときの子亀はあなたでしたか」


 見違えたとはこのことである。目の前の美しい女性は、とても先日の子亀とは思われない。


「竜宮へお招きすることができて、大変嬉しく思います」

「私こそ、身に余るもてなしをいただき恐縮しています」


一見してわかる。太郎とは違って、乙姫は高貴な身分にある女性だ。大亀によって竜宮につれて来られた驚きや戸惑いは太郎の心からかき消えてしまっていた。


 ――なんと美しい人なのだろう。


 蛸や魚、海獣が舞い踊る大広間で太郎はため息をついた。太郎をもてなすために、竜宮の中庭で魚や海獣たちと共に舞い踊る眺める乙姫の様子は、まるで物語の場面を一幅の絵に切り取ったかのようだった。


「竜宮にいらしてみていかがですか」

「素晴らしくて言葉になりません」


 太郎をのぞき込む乙姫の顔は上気して目元にほんのり赤みが差している。その様子もまた美しい。


「いつまでもいていただいて構わないのですよ」

「ありがとうございます。――ですが家には老いた両親がおりますし、いつまでもというわけには参りません」


 郎は養うべき両親をことを思い出して顔を曇らせた。 


「そうですか……」


 太郎を歓待する宴は夜を日に継いで開かれた。ある日は魚たちの群舞、またある日は海獣による歌劇、そして、またある日は蓬山への海底散策と、趣向を変えた太郎へのもてなしは、尽きることなく催された。


 そんな毎日のなかでも、太郎は陸に残してきた両親をことを忘れられないでいた。


 ――もう少し、明日になれば陸へ戻してくれと伝えよう。


 しかし、かいがいしくもてなしてくれる乙姫の姿をみると、乙姫が愛しいという気持ちが勝ってしまい、なかなかそれを口にできないでいるのだった。


 宴は三年ものあいだ続けられた。昼の催しは一度として同じものはなく、驚きと美しさを兼ね備えたものばかり。夜は乙姫自ら薄衣を纏っての酒宴である。


「時が経つのを忘れてしまいそうです」


 しかし日が経つに連れて、上気した太郎の表情には憂いが混じることが多くなってきた。地上への思いが、重石のように心にのしかかっていたのだ。


 ある時、竜宮の中庭から水面に揺れる陽光をふり仰いだ太郎は、思わず「浜では網を引いている時分だろうか」と呟いてしまった。


 乙姫の顔色が変わるのが分かった。


 その夜、地上を懐かしがっている太郎のため乙姫が案内したのは竜宮の望楼にある四方四季の間――竜宮の主、竜王が「何人も立ち入ること罷りならぬ」と命じた神仙の方術が施された秘所であった。


 東面の戸を開けてみると、海中の竜宮に居ながら、地上に咲く色とりどりの花が咲き乱れる春の庭に出た。


「これは……美しい」


 彩りも鮮やかに咲き乱れる花々の間には美しい蝶が舞い、芳香に満ちた庭園に陽光が満ち溢れていた。


 四季の庭とは、神仙の力で水底の竜宮に地上の風景を再現した秘密の庭園であるのだ。


 ――地上にもここより美しい庭はありはしないだろう。


 次の日は南面の戸を開けた。緑鮮やかな夏の山、そのまた次の日は、西面、実り豊かな秋の田であった。


「いつまで見ていても、飽きません」


 いままでにない太郎の満ち足りた表情に、乙姫が胸をなで下しているのが分かった。そんな姫の様子も太郎にとってはいじらしい。


 また次の日、北面の戸を開けるとそこは粉雪混じりの北風に大波が押し寄せる冬の海だった。乙姫がひとり見守るなか、太郎は日の落ちるまでその浜に凝然と立ち尽くしていた。そこは両親の待つ浦島の浜だったのだ。






「一目、老いた両親に会ってきたい」


 次の日、太郎からあった暇乞いに、乙姫は己の過ちに気づかされた。太郎を竜宮に引き留めるためと思い、四季の庭に案内したのは間違っていた。太郎の郷愁をむしろかき立ててしまったのだった。


 乙姫からは考え直すよう心を込めて説かれたが、太郎の決意は変わらなかった。両親を連れて竜宮へ戻ってくるのだ。


「必ず戻ってきます」


 別れ際、浦島の浜まで大平目の背に跨る太郎に、美しい姫は自身の髪で固く縛った小箱を託し、涙ながらに言い添えた。


「これをあなたさまにお返しします。でも、決して開けないで」


 大平目に送られて浦島の浜に戻った太郎は、真っ先に村はずれのわが家を探したが、あるはずの場所に家はなかった。そればかりか、村の様子は変わっているし、会う人の顔に見覚えのあるものかひとつもない。不審に思った太郎が村人のひとりに尋ねると。


「太郎という人は知らないな」

「ただ、三百年前に海に消えたきり、帰ってこなかった男が太郎といったはずだ」


 海の底で過ごすうち、地上では途方もない月日が流れ去ってしまったことに気づいた太郎は、すぐさま竜宮を去らなかったことを悔やんだが時はむかしに戻らない。海へ出て乙姫や大亀を呼んだところで詮ないことである。


 むかしへ戻れないなら、せめて乙姫のいる竜宮へ戻りたい。太郎が手をかけたのは乙姫から託された小箱だった。小箱を縛っていた髪を解き、蓋を開けると――箱の中は空っぽだった。


 ――が、みるみるうちに太郎は白髪をたくわえた老人となった。やがてその姿は白い灰のようになって形を保つことが難しくなり、海へ向けて吹く風に塵となって消えてしまった。小箱には太郎が竜宮で過ごした三百年という年月がとどめてあったのである。


 太郎が灰となって飛び散った夜、浦島の浜を海からきた嵐が襲った。激しい波と風とに押し流された村の跡に、その後、人は二度と住みつこうとはしなかったということである。


(了)

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浦島奇談 藤光 @gigan_280614

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