猫田くん、使い魔中につき。

維 黎

第1話 あるモノとないモノ

 猫田ねこた 玄乃くろのは寝起きが良いタイプ。

 ベッドから半身を起こした時に、一回「う~ん」と伸びをすればたいていそれで意識がはっきりする。

 で、朝起きたらまずトイレに行ってから洗面所で洗顔と歯磨き。その後にコップ一杯の牛乳。食事前に軽くストレッチ&筋トレ――というのがお決まりの朝のルーティーンなのだが。

 今日はしょっぱなからそのルーティーンが崩れた。

 ベッドから身体を起こして伸びをした瞬間の違和感。


(――ん? 何だ? 身体が……)


 玄乃は一瞬、風邪でも引いたのかと思ったが、熱っぽいとかだるいといった感じはなく、何か上半身の胸元になんとも言えない重みを、下半身は逆にすーすーとした頼りなさを感じた。

 立ち上がってみる。

 とりあえず違和感に気づいた。


(あれ? オレ、太ったか?)


 寝間着代わりのトレーナーの胸元が盛り上がっているような気がした玄乃は、なんとなく両の手のひらを胸元へ。


「――へッ?」


 予想外の感触に驚きと戸惑いの声が漏れる。

 コミカライズした時には頭の上に「???」が浮かんでいるだろう。

 手のひらに収まらないくらいのお椀が二つ、胸にくっついていた。ただし柔らかい。

 モミモミ。

 無意識に揉みこむ玄乃。気持ち良いとかは特にない。


「――オレの胸筋、どこいった?」


 思わずベッド周りをキョロキョロ探してみたりして。

 とある理由で中学二年の頃から身体を鍛え始めて三年目。

 ゴリゴリの運動部の連中と比べると見劣りするかもしれないが、高校二年生の標準よりは上だと自負している。

 胸板――というほどのモノでもなかったが、少なくともこんなプニプニとしてはいなかったはずだ。


「――これって"おっぱい"だよな?」


 今は学生寮――ワンルームマンションで一人暮らしなのでこの部屋には玄乃しかいない。当然、玄乃自身もわかっているが誰かに話しかけているつもりはなく無意識に話していた。まぁ、だから"ひとり言"って言うのだが。


「!? おい、ちょっと待て!」


 何かに気づく玄乃。

 先ほどまでの寝起き直後ののんびりとした雰囲気ではなく、何か切羽詰まったような緊張感のある声音。

 胸元の両手を今度は下半身へと持っていく。


「〇▲◑♪◈♨*☆◆※✖◇§ !?」


 言葉にならない言葉を漏らして、しばし身体も思考も停止する。

 しばらくして――。


「――無いッッッ!!!」


 驚愕にして衝撃の事実。それは"おっぱい"があることよりも何百倍もの驚き。というよりもはや恐怖と言ってもいいかもしれない。

 何が無いかは説明せずともお察しだろう。

 衝撃から我に返った玄乃はベッドの布団をめくりあげる。


「無いッッ!!」


 次いで、がばっと床に這いつくばるとベッドの下をのぞき込む。


「無いッッ!!」


 机の裏や本棚、テレビ周りやその下など部屋のあちこちを探した玄乃は最後にもう一度、掛布団をバサバサと振り回して一言呟く。


「オレの珍と玉が――無い」


 見つからなかった珍玉ちんぎょくに気の抜けた言葉が漏れる。というか、なぜ探したのだろうか? 落ちてるはずがないのに。探しているブツは手術しないと着脱なんて出来ないモノだ。


「――あ」


 パニクってあちこち探してみたが、まず一番初めに確認をしなければならない場所に気づいた玄乃は、恐る恐るズボンに手をかけ――。


「くッ!」


 薄々気づいていたが実際に確認したショックと、直視したことへの何となくの背徳感というか罪悪感に呻く玄乃。見てはいけないモノを見た感じ。


「どうなってんだッ!?」


 叫ぶと部屋のドアを開けて小さなキッチン奥にある洗面所へ。

 洗面所の備え付けの鏡以外、高校生男子の部屋に鏡などそうそうない。

 玄乃は洗面台に両手をついて身体を前のめりに鏡をのぞき込む。


「――」


 漆黒の黒髪は母譲り。

 鏡に映る地顔は元々が中性的な顔立ちだったので、あまり変わっていないような気もするが、しばらくジッと見ていると微妙に肌のきめ細かさや目元ラインの柔らかさなどが違っている。本人しかわからない違いだが。わかりやすく言えば女性的な顔立ち。


「――フンッ!」


 中のシャツごとトレーナーの上を一気に捲し上げる。

 アニメ化の際には謎の光を入れてもらうとして、鏡に映ったのは二つのおっぱい。


「マジかよ」


 鏡の自分に向かって呆然と呟く。

 

(どうする? どうすればいい? いや、落ち着け、オレ。理解は出来ないが状況はひとまず分かった。これはもう"女になった"以外の結論はない。次だ。なぜこうなったかが分かればおのずと解決の手段が見えてくるはずだ――って、分かる訳ないだろうッ! こんな非常識なことッ!! 朝起きたら女になっていた、なんて話、聞いたこともねぇ! ――ダメだ。オレ一人で解決なんて無理だ。もうこれは美海みみさんに相談するっきゃねぇ)


 玄乃の母、猫田ねこた 美海みみ(年齢非公開)は玄乃が住む街――学生都市とは別の街でメンタルクリニックを個人開業してメンタル心理カウンセラーをやっている。

 玄乃は急いで部屋に戻り机の上に置いていたスマホを手に取り、母の番号にかけた――が、出ない。


「くそっ!! やっぱ美海さんまだ寝てるのかッ!!」


 義母ではない実の母親のことを美海さんと呼んでいるのには理由がある。


『――私はまだまだ若いからね。"おかあさん"なんて呼ばれるとすごく年を取った気分になるから、私のことは"みみさん"と呼ぶように。いいわね? クロ』


 小学生の頃にそう言われた玄乃は、その時からずっと母のことを"美海さん"と呼んでいる。

 閑話休題。

 時刻は午前七時過ぎ。それほど早朝という時間帯でもない。しかし玄乃の母、美海は朝が極端に弱い。クリニックを個人で開業したのも診療時間を午後と夜にしたかったからだ。

 玄乃はもう一度かけ直すがやはり出ない。


「ダメだ――こうなったら仕方がない。緊急事態だからなッ!」


 学校が管理している学生寮の部屋とはいえ、普通の賃貸マンションと変わりがない。管理人や寮母といった者はいないので、住んでいる生徒のケアなどはされない。

 自他ともに認める朝の弱さのため、美海は玄乃に何かあったとき用に緊急手段の""を用意していた。

 玄乃は美海ははから教わったその"まじない"を使う準備をする。

 机の一番大きな引き出しに二重底の隠し棚がある。そこにしまってあったB5サイズの羊皮紙に書かれた魔法陣。それと美海の髪の毛を数本まとめて包んでいた和紙の中から一本だけ取り出す。

 その髪の毛を魔法陣の上に乗せてタラリと唾を垂らす。

 ばっちぃが仕方ない。この"まじない"には体液が必要なのだ。

 ナイフで指を切って血を垂らすとカッコいいのだろうが、普通に痛いから玄乃はやらない。

 俳優みたいに自在に涙を出せる訳もなく、さすがにお小水せいすいを使うほど堕ちてはいない。

 と、いうことで残った唾液で手を打つことになる。


「え~と――シーンヤーダート・オーナ・カースクーヨネ!」


 スマホのメモ帳に保存していた教わった呪文を唱えたが、特に何かが起こることもなかった。

 それでも玄乃はもう一度、美海の番号をリダイアル。

 すると――。


『――あぁぁい、もひもひぁぁぁぁふにゅふー』


(やったッ! 美海さんが電話に出たッ!)


「美海さんッ! ちょっと大変なんだッ! オレ――」


 電話口の美海の口調が寝ぼけ調子のアクビ交じりだと気づいた玄乃は、電話を切られることを恐れて大声で一気に事の重大さを告げる。


「女になっちまったんだぁぁぁぁ!!!」

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