あの家(シリーズ二人の会話01)

遠山悠里

第1話

「あれ?えーっと……ここ、日之出町2−5−24で間違いありませんか?」


「はい。そのようですね……いえ、そうです。内見で予約された清水さんですね?」


「あっ、はい……そうです。清水です」


「ご予約ありがとうございました。私は、本日、ご案内させていただきますトーワハウスの滝沢結衣です。当社管理設備に関して、何かご質問等ございましたら、なんでもお聞きください。それでは、どうぞ。……あっ、すみません、スリッパ忘れてました。今、出しますね。靴は脱がれたままでも大丈夫ですし、そちらの下駄箱を利用されても大丈夫です」


「ありがとうございます」


     ***


「ネットの写真で見たよりも広いですね」


「そうですね。今は家具がないので、より広く感じられるかもしれませんが。でも、家具を入れても、ご家族でお住みになるのに十分な広さだと思いますよ

……池田さん」


「忘れられてるのかと思った」


「まさか……顔を見た時にすぐわかったけど、でも、ほら、名前が違っていたから……もしかして、偽名? 別に予約の時に確認取るわけじゃないから、そういう人もいないわけじゃないけど」


「いいや、今は『清水』が本名。先方から、むこうの籍に入ってほしいという申し出があってね」


「もしかして、逆玉?」


「そんなんじゃないけど、でも、何か事情があるとかで、そう言われてさ……で、別に俺の職場では名前を名乗って外回りしなければならないってわけじゃないし、そのまま、社内では、『池田』『池田さん』で通ってる」


「そうか……それじゃあ、ここが新居ってことになるわけか。……ああ、まだ決まったわけじゃなかったね。子供は?」


「……一人いるよ。男の子だ。六歳になる」


「じゃあ、この家だとちょうどいいかな。そろそろ自分の部屋ほしくなる頃だろうし、間取り的にも、ぴったりかも」


「営業再開?」


「そうね……ノルマもあるし、結構大変なのよ……毎日」


「お疲れさま」


「ありがとうございます。……ねえ、覚えてる? あの頃、一緒に、家の内見に行ったことあったでしょ」


「ああ……」


「その時の家って、ちょうどこの家とおんなじような間取りだった。居間に寝室、子供部屋。バス、トイレの位置。部屋の広さも同じぐらい」


「覚えてるよ。実は、ホームページで物件探していて、この部屋の紹介を見た時に、ちょっと思い出した。あの時見た家になんか似てるなって」


「あの後からかなぁ……なんか、私たち、ギクシャクしてきて、そして、結局、別れることになったよね」


「そうだな……あの時、俺は、この家とちょうど同じような間取りのあの家を内見していて、結衣が不動産屋と子供部屋のことなど事細かに話しているのを聞いている内に、気がついたんだ。……俺は、そんな先のことなど、全く考えていなかった。結婚し、子供を作り、一緒に家庭を持つ。そんな心の準備が全くできていなかった。まだ、ぜんぜん、子供だったんだ」


「今は、もう、準備ができたの? 大人になれた?」


「そうだな……準備ができたかどうかなどと考えていたら、一歩も前に進むことができないことに気づくぐらい、大人にはなれた」


「そうか……そうだね」


「結衣も名前変わったんだな。滝沢さんか……」


「ちょうど、この家と同じような間取りの家に、今、住んでる」


「まさか、あの時の?」


「別な家。……あの時の家は、あの時、私が池田くんと住みたいと思っていた家だから。でも、私も今の家を探していた時に、あの家のこと、ちょっと思い出したかな……さて、どうします? いい物件ですよ」


「さて、どうしようかな……実は、まだ、家を持つこと自体、どうしようかと迷っていたんだ。先のことと思っていたし、しばらくは、借家でもいいかなと思っていたから。もっと、心の準備をして……」


「お客さん、準備ができたかどうかなどと考えていたら、一歩も前に進むことができませんよ」


「さすが、営業の鏡だな……前に進むか、とどまるか。しかし、ここは、じっくり考えないと……」


「大きな買い物だからね。よーく、考えた方がいいよ。前に進むか、しばしとどまるか。しかしね……大事なことが一つ」


「なに?」


「後ろに進むことはできない。あの時内見で見た家には、もう戻れない。そういうこと」


「そういうことか……」


「……そういうことだね」

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あの家(シリーズ二人の会話01) 遠山悠里 @toyamayuri

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