最高な住環境

遠山悠里

  

 俺は、これほど最高な住環境は他にないと思っている。



 設備は最高。家具や調度品の類は一切ないが、壁も床も新築住宅のようにピカピカ。定期的に業者が入って清掃を行っているため、部屋の四角まで塵一つ落ちていない。なんなら、這いつくばって、床を舐めてもいいぐらいだ。


 周囲の環境もいい。

 

 周りに高いビルディングなどないため、採光がよく、天気のいい日は、南面の大きな窓ガラスから差し込む暖かな光が8畳の広いリビングを照らし出す。


 そして、何より、この家がいいのは、玄関や門扉の周辺に木が生い茂っているため、俺の出入りする様子が周囲からほとんど見えないという点だ。家の前の通りには街灯が少なく、夜に俺がこっそり街を彷徨っても、まず、人の目に付くことがない。


 そう、ここが一番肝心な点。誰にも見られず出入りできる。


 俺は、この家をとても気に入っているが、家賃などこれまで一円たりとも払っていないので、本来、空き家のはずのこの家から出入りする姿を、あまり人には見られたくない。


 ――見られてたまるもんか。


 家は最高、そして、家賃はタダ。こんなに最高な住環境はない。


 俺は、この最高な住環境で、毎日スマホ三昧、シャワー浴び放題。さすがに夜、煌々と明かりを灯しているわけにはいかないが、日が落ちたらおとなしく寝るのが自然の摂理というものだ。


 ただ、この家に一つだけ問題点がある。

 

 それは、『内見』という名の住居不法侵入だ。



 内見の日はいきなりやってくる。


 月に一度の清掃の日以外に突然清掃員たちがやって来た時は、「ああ、数日内に内見があるな」と予測でき、いつ来ても万全なよう、常に車の駐車音に気をつけておくことができるのだが、そういう前触れなしにいきなり不動産会社の車が現れることがある。


 俺は、こういう場所に住んでいる手前、所持品は最小限にしている。


 手持ちの所持品をすべてナップザックに詰め込み、手早く、屋根裏へと逃れる。所要時間最速37秒。


 一度、不動産屋の車でなく直接内見者が来たことがあるが、この時は、驚いた。スマホのソシャゲに興じていた時、突然ドアの鍵の開く音を聞き、あわてて、所持品をナップザックに詰め込み、それを押し入れの奥に投げ入れたあと、ベランダへと逃げ込んだ。もし、あの内見者がベランダも見たいと外窓を開けていたら、先客の俺と鉢合わせするところだったが、その時は幸い、事なきを得た。



 そして、その日も、内見者がやって来た。


 いつものように屋根裏へと逃げ込んだ俺。だが、そこでの俺は、じっと時が過ぎるのを待つわけではない。俺には大事な仕事がある。それは、内見者がこの家を気に入って、早速契約となることを回避するため、この家が何かに取り憑かれた家だと思わせることである。


 これまで内見者は何人もやって来たが、俺は奴らを巧妙に脅し、追い払ってきた。


 と言って、大っぴらにあちこちをガンガン鳴らしたり、大声を上げたりはしない。そうなるとこの家は不動産屋から『事故物件』扱いされ、下手すれば大規模な調査、建て替えとなりかねないからだ。


 だから、俺は、不動産屋の若い職員が内見者と離れて他の部屋を調べている時に、そっとかすかな音を立てる。内見者はハッと上を見上げるが、俺はじっと音を立てずに静止する。気のせいかとまた別な部屋の下見に移った内見者に向けて、すすり泣くような声を聞かせる。内見者は、今度はビクッと身体を震わせ、そして辺りを見回す。俺は、屋根裏の広い空間を音を立てないように気をつけながら場所を移動し、様々な方向から内見者にラップ音や肉声を聞かせる。もちろん、不動産屋に聞こえないタイミングで。


 そのままで、内見を終える者もいるが、中には不動産屋に問い正す者もいる。不動産屋もその問いを聞き慣れているため、やれやれという顔で、「何も聞こえませんけど」といつもの受け答えをする。それは、そうだ。俺は、不動産屋に聞こえるような音を立てるヘマはしない。まさか不動産屋も、「やはり、あなたも聞こえましたか」なんてことを言って商品価値を下げたくはないだろう。かくして、いつものように契約不成立となるわけだ。



 そして俺は、今日も、いつものように、屋根裏に素早く隠れた。


 内見のスーツ姿の客は、四十がらみのスラッとした男だった。その男は、部屋に入るとすぐに天井を見上げ、そして言った。


「この家には、何かいますね」


 俺は思った。これはまたなんと好都合な。何も仕掛けをしなくても、自分からそう思ってくれるとは。


 不動産屋は、またかという表情で首を振りながら応える。


「何か音でも聞こえましたか?」


「いや、何も……でも、いますね。確かに」


「わかりました。では、他の部屋を……」


「ここに決めました」


「えっ?」


 不動産屋は、驚いた声を出す。


 俺も驚いた。おいおい、俺はまだ何もやっていないんだぞ。


「ここが気に入りました。家の造作もいいし、間取りもいい。そして、おそらく、この家に今、住んでいると思っている御仁も同じように気に入っているのでしょう。余程、いい環境なのかな? こんなに電気も水道も通っていないところに、長く居続けるんだから。一体、いつ頃から、この家に長棟梁しているのかな?」


 不動産屋から受け取った契約書に所定事項を書きつけながら、男は、微笑みを浮かべて天井裏の俺のいる方向を見る。


 ――電気も水道も通っていないだと。

 ――じゃあ、俺は一体、このスマホをどうやって充電していたんだ。

 ――水道が通ってない?

 ――シャワーは?

    ……そもそも、俺は、一体、いつ頃から……この家に……


     ***


 契約書を全て記入し終えると、私は、まだ半信半疑な表情で見つめている不動産屋の彼に書類一式を手渡す。


「これで、全部ですね」


「あっ、はい。大丈夫です。改めて確認して、大家様から印鑑をいただいた上で郵送いたします。……あの、でも、よろしいのですか?」


「ええ、大丈夫ですよ。同居者を書くことになったら、名前を聞き出すのがいささか難儀だなと思っていましたが……」


 私は、天井を確認する。


「どうやら、『同居者なし』になったようですから」

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