第二話 泣く神様

 神様はそれから毎日泣き暮らした。

 喜びごとを村に運んでくださることもなく、うち屋敷の広間のすみでじめじめとしている。話しかければ返事はするが、会話にも乗り気ではない。常にどんよりとして、覇気もない。


 とても神様とは思えない姿だった。こんなに落ち込んで、泣いてばかりだなんて。


 それだけ、ご自分の姿が受け入れがたいということなのかもしれない。私も美人に産まれてくることができたらどんなに良かったかと何度思ったかわからないから、お気持ちは痛いほどわかる。

 私はこの神様があんまり可哀想で、それでいて引っ込み思案な妹でもできたような気持ちにもなっており、何かと構うようになった。


「神様、今朝はよく晴れていますよ。梅雨時期にこれだけ気持ち良く晴れるなんて滅多にないことです。一緒にお散歩しませんか」

 私がそう声をかけると、

「でも……」

 と、縮こまる。

「気が乗りませんか?」

 ぐにょり、と頷く。

「そうですか……」

 この神様は誕生日以来、ずっとひきこもっている。外に出るのをとにかく拒否するのだ。


 しかし、ずっと家にこもりきりでは退屈だろう。

 何か神様の気晴らしになるものはなかっただろうか。

「ああ、そうだ。私、初めて楚割すわやりをつくってみたんです。親の手伝いじゃなくて、自分だけでこしらえたんですよ。神様、味見してくれませんか」

「でも……」

「お願いします。親に食べてもらったって、きっと気を遣って美味しいとしか言わないだろうし。私、本当の感想を知りたいんです。ね、だからいいでしょう」

 ぐにょり、と頷く。

 神様はお出かけの誘いには乗らないが、それ以外のお願いは聞いてくれるところがあった。できるだけ人の期待には応えたいという健気さがあるようで、そこもまた可愛く感じられるのだった。


 私はすぐさま台所に行き、楚割と酒をお盆に乗せて戻った。

「この楚割すわやりは、網で捕らえた小鮫こざめを細切りにして、干したものです。ちょっと臭みがあるかもしれません」

 細く刻んだ干物をすすめると、神様は体表の突起物の一つをにゅっとのばし、干物を器用につまんで口に入れて、もぐもぐと噛んだ。

「お味はいかがでしょう」

「美味しいです」

「うーん、本当ですか。気を遣って無理されていませんか」

「そんなことないです……」

 きっと嘘だ。鮫の楚割はうまくつくれたとしても、癖が強くてあまり美味しいものではないはずなのだ。これを好む人なんて、村でも私ぐらいだと思う。村人たちは楚割といったら鮭か鱈でつくる。鮫派は私だけなのだ。ちょっとした話題がわりになるかと出してみたのだけれど、美味しいと言われてしまっては、そこで話が終わってしまう。本当に美味しいと思ってくれているのなら嬉しいけれど。

「お酒もどうぞ」

 私は黒紀酒くろきさけを杯に注いだ。黒米を発酵させたものに、聖なる木の根を焼いてつくった特別な黒灰を入れた神酒で、黒っぽくてとろりとしている。私はあまり美味しいとは思わないが、神様はみんな黒紀酒が好きだ。ことしの神様ももちろん例外ではない。

「ありがとうございます」

 お酒を見て、心なしか神様の体がゆるんだ気がした。神様は盃を突起物で摘まむと、小さな口に持っていき、一気に飲み干した。まるで口に残る臭い物を洗い流そうとするかのようであった。

「おかわり、いかがでしょう」

「え、あの、いいんですか」

「もちろんです、これは神様のためのお酒なんですから」

 実を言うと、村長のところからもらってきた酒だった。村長は黒紀酒くろきさけだけでなく白紀酒しろきさけというお酒も隠し持っているという話だ。そちらは人間が飲んでも美味しいらしい。だからなのだろうか、白紀酒は渡してくれない。私たち家族が神様と一緒に飲んでしまうと思われているのだろう。実際のところ黒紀酒も味見をしているので、否定はできない。というか、もし白紀酒が手には入ったら味見する自信がある。どんな味なのか興味があるし。


 神様は二杯目の黒紀酒を飲み干し、

「ごめんなさい」

 突然謝ってきた。

「えっと、何がですか?」

「こんなに醜いのに、良くしてもらって、申しわけないのです。私のほうが村に良くしてあげなくてはいけませんのに」

 再びぐんにゃりとしてきた。


 神様は箱から産まれて以来、一度も喜びごとを運んでいない。なぜかは知らない。恐れ多くて、誰も尋ねられないからだ。しかし、私は日ごろお世話をしている気安さで、思い切って尋ねてみた。


「神様はどうしてこの村に喜びごとを運んでくださらないのでしょうか」

 神様は盃を口に運ぶ動きをとめた。何も言わない。もしかして機嫌を損ねてしまったのだろうかと不安になった。もしも神様が怒ってしまったらどうなるんだろう。村が滅びたりするのだろうか。やはり聞くべきではなかったか。しかし、出てしまった言葉はもう取り消せない。

 黙って、神様の言葉を待った。


 しばらく静かな時間が流れた。

 屋敷の外では、早生まれの蝉がもう鳴いている。


 きい、と木の扉をあけるような音がした。見ると、神様は頭のてっぺんから水を流していた。いや、水じゃなくて涙だ。涙は神様の体をつたい落ちて、豆葡萄ぶどうつるを編んでつくった紫の座布団に染みをつくった。

「私なんかが喜びごとを運んだとして、皆さんは喜んでくれるのでしょうか。いいえ、誰も喜ばないと思うのです」

 とっさに神様の言葉を否定したいと思ったが、それより今は神様の気持ちを聞いてみようと思った。

「どうして、そう思われるのです」

「だって、私は出来損なってしまった神でしょう。出来損なった神が運ぶ喜びごとなど、凶事にほかならないのではありませんか」

「神様は出来損なってなどいません」

 私は神様の手をとった。くにゃっとした不思議な柔らかさだ。

「だって、優しい心をお持ちじゃないですか。本当は鮫の楚割は好きじゃないのに、美味しいと言ってくださった。うちの白イタチが逃げてしまったときだって、イタチを心配して泣いてくださったでしょう。そんな神様が運ぶものが凶事なわけがありません」

 神様はきりきりと音を立てて泣いた。本当によく泣く神様だ。背中を撫でてあげると、かすかに震えていた。



 季節は秋になった。

 神様は相変わらず喜びごとを村に運んでくださらない。それどころか、ずっと引きこもりのままだ。この夏もずっと引きこもっていた。今までの神様は村のあちこちを見てまわり、村にはどんな喜びごとが必要なのかを調べていたものなのだが。

 もう喜びごとのことは抜きにして、ただお散歩をしようとお誘いしても、どうしても承諾してくれない。おそらくだけれど、ことしの神様は醜い姿を村人に見られるのを嫌がっているのだ。自分の外見をひどく気にしているから。

 だから、外出の無理強いもできなかった。


 ある晴れた日、私は渋柿をとりにいくことにした。

 干し柿をつくりたいのだ。村にも柿の木はあるけれど、全て甘柿の木だから、干し柿づくりには向かない。渋柿は山のほうにしか生えていなかった。

 干し柿をつくったら、神様に食べさせてあげたい。

 神様が死ぬのは二月ごろだ。そのころまでに、泣いてばかりの神様に少しでも良い思い出をつくってあげたかった。



 昼過ぎ、藪をかき分けて、山道を進んだ。

 ひとりで村を出るのは危ないけれど、このあたりはまだ大丈夫だと思う。夜魔も最近は出ていないという話だ。

 隣村へと続く小道を進み、小川を渡ったところにお目当ての渋柿の木は生えいていた。背の高い、細長い木だ。私は背負っていた竹籠を地面に置いて、手を伸ばしてみたが、全然届かない。

「どうしよう……木に登るしかないかな」

 柿の木には登ってはいけない。それは村人にとって常識ではあるのだが、どうしても渋柿を取って帰りたい私は、意を決して木登りを始めた。

 なるべく枝に力をかけないように、足首をしならせて木をのぼった。割合簡単に木の高いところまで登り切る。うまくいった。

 太い枝にももを乗せて息をつき、渋柿を一つもいで、一口かじってみた。

「うっ」

 思わず声が出てしまうぐらい渋い。よかった。たまに渋柿の木は甘柿に変化してしまうことがあるが、ことしはまだ渋柿のままのようだ。


 さて、それじゃあ、渋柿を収穫しよう……そう思って手を伸ばしたときだった。木が細かく振動しているのを感じた。あっ、これはいけないと思ったときには既に手おくれで、太い枝は破裂するような音を立てて折れ、私は地面に落下していた。



 目を覚ましたときは、既に日が暮れていた。

 草むらの中、鈴虫がうるさいぐらいに鳴いている。寒さにこわばった体を起こそうとして、足に痺れるような痛みが走り、思わず動きをとめた。もしかして折れてしまったのだろうか。手は痛みがましなので、全身を触ってたしかめてみる。切り傷はないようだが、すねのあたりを打撲したようだ。足首も痛い。熱も持っているようだ。ちょっと嫌な感じだった。


――だから、柿の木には登るなと言っているのに。


 両親のお小言が脳内で響く。柿の木は予想外のところがぽっきり折れてしまうことがあるから、決して登ってはいけないのだ。村の子なら五歳でも知っている。

「でも、それでもどうしても渋柿が欲しかったの……干し柿を食べさせてあげたい」

 心の中で言い訳しながら、目を閉じて考える。さて、これからどうしよう。私がここにいることは誰も知らない。誰にも言わずに来てしまった。迎えを待つのは得策ではないだろう。夜魔も心配だが、それ以上に寒さがこたえた。少々無理をしてでも、立ち上がって歩いたほうがいい。

「く……う……うう」

 歯を食いしばって、立ち上がろうとしたが、痛みで膝が震えた。そもそも足腰に力が入らない。これで本当に歩けるだろうか。いや、弱気になってはだめだ。そう思うのに、痛みによろめいてしまう。

 そのまま倒れ込みそうになったとき、全身がぐにょりとしたものに包まれた。


 やわらかくて、ぶよぶよだ。


「あ、あれ……これって……神様?」

 まとわりついてきたぶよぶよの感触を確かめていたら、ぶよぶよが震えた。

「ふふ、くすぐったいですよ。いや、今はそれどころではありません。怪我をしたのですね。可哀想に」

 ぶよぶよの表面が泡だつように波打ち、柔らかな突起物が生まれて、私の肌を撫でた。

「頬もこんなに冷たくなって……」

 神様の突起物はほんのりと温かかった。

「でも、見つけることができてよかった。私がおんぶして、家まで連れてかえることにしましょう」

「え、おんぶですか?」

 神様は手がないのだけれど、どうやって。私がしがみつくということだろうか。でも、この足でうまくしがみつける自信はなかった。というか、恐れ多い。


 神様は背中の柔らかな突起物を長く伸ばして、私にぐるぐると絡め、背中に押し付けるようにした。その結果、まるで神様と二人羽織をしているみたいな状態になった。

 そのままの状態で神様は歩き出した。私はやわやわとした感触に体をうずめたまま運ばれていく。宙に浮かんでいるような不思議な移動の仕方だった。

「あの、神様はどうやって歩いているのですか」

「どうと言われましても。普通に足で歩いていますよ」

「普通に足で……」

 神様に足があったかどうか思い出せない。神様の体表を間近で観察してみると、本当に闇のように真っ黒だった。黒ナマコそっくりだ。ただナマコと違って乾いていて、柔らかい。ぶよぶよでふわふわだ。ちょっと磯臭いけど、それはとっくに慣れた。


「迎えにきてくださったんですね」

「ええ、あまりにも帰りがおそいので。ご両親と私とで三方向に分かれて探すことにしたのです」

「ありがとうございます、神様」

 ひきこもりなのに、探しにきてくれて。きっと屋敷を出るとき、とても勇気が要ったことだろう。

「心配しました、とても」

「ごめんなさい」

 神様は震えた。

「謝ってほしいわけではないのですよ。ただ、心配したということを伝えたかっただけなのです」

「はい……」

「早く帰って、怪我の手当をしましょうね。ご両親も安心させてあげましょうね」

「はい……」


 ああ、神様とくっついている部分はあたたかいのに、顔に当たる風はとても冷たい。

 もうすぐ冬が来るのだ。それを止めるすべはない。

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