神産みの箱
ゴオルド
第一話 神産みの失敗
「今年の神産みは失敗した」
そう聞いたとき、私は耳を疑った。だって、これまで一度もそんな話を聞いたことがなかったのだから。
春になると、
大抵の人たちは髪の毛を捧げる。私の両親もそう。箱に髪を食わせるのだ。
山側の村はずれに生えている
神産みの箱は、大きな箱だ。民家ほどの大きさがある。それが何百年も前から村広場のど真ん中に鎮座している。刃物で切りとったかのように几帳面な四角形をしており、宝石のようにつるりとした硬い材質でできていた。不透明な緑色をしており、まるで濁った翡翠のようだ。
年に一度の儀式が始まって、村人たちが箱に髪の毛を振りかけると、水が吸い込まれるみたいに、すっと中に吸い込まれていく。箱の中に手足を入れようとしてもかたい表面を撫でるだけだし、髪だって生えたままでは箱に入らない。切り離された肉体の一部だけを箱は喰らうのだ。とても不思議だ。
私も幼いころからこの儀式に参加して、髪を捧げてきた。
「でも、髪の毛を捧げるのはなんだか平凡すぎてつまらないな」
いつしか、そう思うようになった。だから私は爪を持っていくことにした。切った爪を木箱に入れておいて、春の儀式のときに箱に食べさせるのだ。子どもだった私は、ちょっと特別なことをしている感じがして、得意な気持ちになった。我ながら恥ずかしい。
十七歳になった今、爪を捧げても、もう得意な気持ちになることはない。だって、ほかの村人をよく観察してみれば、爪を持ってくる人もいないわけではないことがわかってしまったのだ。
爪も平凡だと気づいてしまったわけだが、かといって、ほかに良い捧げものも思いつかない。だから、今年も爪を持っていくことにした。一年掛けて溜めたわけだし。髪は最近伸ばしているので、あまり切りたくないというのもあった。
「村人の皆さん。体の一部を捧げるときは、異物が混入しないように気をつけてくださいよ」
紅飛斗は儀式をとりしきる祭官のような立場でもあるから、しきたりにうるさい。とはいえ少々の異物が混入しても、これまで問題になったことはなかったし、村長も口で言うほど厳しく注意したりもしない。
だって正直なところ、異物混入を避けるのは不可能なのだ。
猫を飼っている人は、どうしたって髪の毛に猫の毛が混じってしまう。私だって飼っている白イタチと同じ爪切り鋏を使っているから、捧げものにはきっと白イタチの爪もまじってしまっているはずだ。
それでも問題になったことはない。少々動物の毛や爪がまじったって、たいしたことはない。みんなそう思っている。
大事なのは、毎年忘れずに捧げものをするということだ。
春、村人たちが体の一部を捧げれば、梅雨のころに箱は神様を産む。
生まれた神様は、村にとって良いことをしてくださる。村にとって必要な喜びごとを運んでくださる。
そんなありがたい神様だけれど、ずっと村にいてくれるわけではない。冬が来て、梅が咲いたら死んでしまう。
そこから桜が咲くまでの期間、私たちは喪に服す。この時期には引っ越しや結婚は控え、あまり騒がず静かに過ごす。桜が咲いたら喪が明けたことになり、村人たちは体の一部を箱に捧げ、次の神の誕生を願うのだ。
何百年も前からずっとそうやって私たちは暮らしてきた。
今年も桜の開花を待って、紅飛斗長が儀式の始まりを告げ、いつものように多少の異物は混入しつつも、みんな体の一部を箱に食べさせた。
だから、雨が降って、梅の実が丸く張ったころ、神産みの箱が神様を産んだという知らせを聞いて、両親とともに広場に駆けつけた私は、一体何が起きているのかすぐには理解できなかった。
広場には神様誕生を祝うために集まった村人たちが詰めかけ、騒然としていた。しかし、誰もが皆困惑顔を浮かべていた。一体どうしたというのだろう。神産みの箱周辺だけ奇妙に人のいない空間が生まれている。私は人混みをすり抜けるようにして前に進み、箱の前にたどり着いた。
目的のものを見つけて、思わず息をのんだ。
濁った緑の箱の前に、黒いものがうずくまっていた。まるで闇をかためたような、それでいて奇妙に柔らかそうな、黒いぶよぶよだ。それにこの臭い――藻のような臭いがあたりに満ちている。あのぶよぶよの臭いなのだろうか。
「なんなんだ、ありゃ……神様が産まれたんじゃなかったのかい」
隣にいたおじさんが、ひとりごとみたいに呟いた。
黒いもののすぐそばには村長が立っていた。黒い
村長は咳払いをして、「今年の神産みは失敗したようです」と、人々に告げた。
村人たちは顔を見合わせ、一斉に疑問を口にした。
「いままで失敗したことなんかなかったのに」
「どうしてだろう」
「そもそも失敗って、どう失敗なのかしらね」
ぶよぶよが、もぞりと身を起こした。広場がしんと静まりかえった。
黒い塊は立ち上がると大人ほどの背丈があった。幅は人間の三倍くらいはありそうだ。全体的に黒くて、ぶよっとして、小さな突起物に覆われていた。まるでナマコが立っているかのようだ。
人間でいう顔のあるあたりに、小さな切れ込みがある。きっと口だろう。今はしっかり閉じている。
「ええと、一応こちらが今年お生まれになった神様ではあるんですけど……」
丸顔で頭もつるりと丸く、お月様みたいな風貌の村長はそこで言葉を切った。そこからどう言ったものか、言葉が見つからないようだ。
「いやあ、これはまた……」
村人たちも言葉がない。
神様は小さな口をそっと開いた。
「皆さん」
木を擦るような、奇妙な声だった。
「どうかしたのでしょうか?」
誰も返事をせずにいたら、神様はおじぎをするみたいに体をくの字に曲げた。皆、怯えて後ずさる。その結果、私ひとりだけが前に出ているような格好になった。
神様は頭のてっぺんに目玉が一つあった。若い瓜のような緑色した大きな目玉だ。神様は周囲を見回す。皆、怯えてさらに下がった。
やがて目が私のほうを向いたので、まっすぐ見つめ返した。だって目をそらしたりしたら失礼だ。緑の目は瓜より大きいかもしれない。透き通っていて綺麗な碧色だと思った。きっと良い神様に違いない。そう直感した。
私をじっと見つめていた神様が、ほんの少し前進した。すると、村人たちの間から悲鳴があがった。神様は動きをとめて、村人たちに目を向けた。
「皆さんはどうして、そう、怖がっていらっしゃるのでしょう」
神様に返事ができる人はいなかった。神様はナマコの体を少し横に曲げて、村長に目を向けた。
「もしかして、私は歓迎されていないのでしょうか」
「いや、そういうわけじゃないですよ」
村長は慌てて首を振った。
「ただ、ちょっと見た目が変わっていらっしゃるものだから」
「見た目?」
「その、かなり独特といいますか……。そうですねえ、たとえば去年の神様は、まるで炎のように煌めく鶴のお姿で、それはそれは神々しいものでした。その前の神様は、川でよく磨かれた石のようなお姿で、思わず撫でたくなるような光沢でした。神様というのは毎年それなりにお美しいものです。しかし今年の神様は……」
「私はどのような姿なのでしょう」
「ええと、何と申しますか……。そうだ、御報せ桜の近くに池があるから、そこにお連れしましょう」
そういうわけで、神様は小池に連れて行かれることになった。村人たちもことの成り行きを見守ろうと、後をついていく。もちろん私もついていくことにした。なんだかあの神様のことが心配な気持ちになっていたのだ。きっと池で御自分の姿を見てしまわれるのだろう。それがどんなことを引き起こすのか……。気の毒なことにならなければいいけれど。
池に到着すると、神様と村長は並んで水際にしゃがみ、水面を覗き込んだ。そこに映る自分の姿を見て、神様は黒いぶよぶよのお体にぎゅっと力を入れたのがわかった。
「あの……神様? どうです……?」
神様はぶよぶよの体を震わせて、木が折れるときみたいな音を発した。
「何ということでしょう、ああ、私はどうしてこんなに醜い姿に生まれてしまったのですか。教えてください、どうしてですか」
「いや、どうしてって、私も知りたいぐらいで」
村長がそう言うと、神様は全身から力が抜けたみたいに、ぐにゃりとした。そうして、きりきりと音を立てて泣き出した。
村長は、これはどうにかお慰めせねばなるまいと決心したようにつばを飲み込み、神様に声をかけた。
「神様、お姿については、あまりお気になさらないほうが良いのではないでしょうか。ちょっと変わっているなとは思いますが、それはもう個性とでも思って諦めるほかないのではありませんか」
神様のきりきりという音が大きくなった。
「大事なのは村に喜びごとを運んでくださることであって、見た目なんてどうでもいいじゃありませんか。ほら、美人は三日で飽きるともいいますし……」
神様はよりいっそうぐにゃりとして、きりきりという音は大音量となり、村人たちは耐えきれず耳を塞いだ。
その後、村人たちは広場に戻ってきた。
神様はまだ小池のそばで泣いている。村長も一緒だ。
私も見ていられなくて、広場に戻ってきてしまったが、心が痛かった。自分が醜く生まれたら……。私だって決して美人なわけではないけれど、ナマコのような姿で生まれるよりはまだ……。もし自分がナマコで生まれたら? 想像するだけでも悲しい。それもこんなふうにたくさんの人の目のある中で知らされるなんて。今はそっとしておいてあげたかった。
「これから、どうしようか」
村人たちは、小声で話し合った。
「見た目はあれだけど、神様には違いないのだから、丁重におもてなししよう」
「それで、神様のお住まいだけど、いつもなら村長のところだ。でも、村長は無神経なところがあるから、今回ばかりは違う家でお預かりしたほうが良くないだろうか」
そういうわけで、紅飛斗の副長である男の家、つまり我が家に神様を迎えることになった。
神様が家にやってくると、白イタチは飛び上がって怖がり、家から逃げ出してしまった。それを見て、神様はきりきりと音を立てて泣いた。
神様がなんだかとても可哀想で、何か声を掛けてさしあげたいと思ったけれど、うまい言葉がみつからなかった。だから、かわりに背中を撫でてあげた。
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