第3話 マリーの所持品

 鍵を取り出して開錠し扉を開けると、マリーは中に入ります。

 入口すぐのところに置いておいた蝋燭にマッチで火を付けました。

「箱ならお店に一杯あると思いますが、先にご覧になりますか?」

 マリーの父は今は病に臥せっていますが、パブを経営しています。


 パブには色々な箱がありました。

 食器を収めておく木箱に、砂糖や塩などの紙箱もあります。

 お客さんが読み終わった新聞を入れておくための大きな箱も床に置いてありました。

 それほど価値あるものとは思えませんが、箱は箱です。


 パブの裏口から中に入るとアルコールと煙草の臭いがきつくなりました。

 マダム・エクランはマリーの後に続いて歩いて回ります。

 マリーは箱を指さしますが、マダム・エクランは首を横に振るばかりでした。

 一巡りすると残念そうな表情をします。

「悪いけどここには無いようね。マリーさん、あなたのお部屋の方が可能性があると思うわ」


 マリーはパブから出ると廊下を進みました。

「暗いところですいません。階段が急なので気を付けてください」

 燭台を持ったマリーが階段をぎしぎしと言わせて上っていきます。

 その後ろに続くマダム・エクランは静かにその後ろをついていきました。


 2階の廊下には扉が二つあります。

 奥の扉へと進むとマリーは中へとマダム・エクランを招じ入れました。

 蝋燭の火をランプに移し替えると部屋の中が少しは良く見えるようになります。

 寝台と衣装ダンス、小さな書き物机と椅子があるきりの質素な部屋でした。


 衣装ダンスの上には帽子の箱が置いてあります。

 マダム・エクランはそちらに一瞬だけ目を向けましたがすぐに興味を失ったような表情になりました。

 ひょっとするとと期待をしていたマリーはそれを見て落胆します。


 もともと大して期待はしていませんでした。

 自分の家にあるものなどありきたりのものばかりです。

 それでも、マダム・エクランが興味を示さなかった箱に入っている帽子はマリーの持っているものの中では高価なものでした。

 衣装ダンスの中に入っている唯一の訪問着とお揃いのつば付きボンネットは婚約者のトーマスと出かける際に被ったものです。


 マダム・エクランは周囲を見回しました。

「他に何かないの? そう、例えば書き物机の引き出しとか?」

 マリーはやっぱりこの部屋で何かを探すとするとそこを考えるのね、と思いながら書き物机の前に移動します。


 上の引き出しを開けるとインク壺とペン、便箋ぐらいしか入っていません。

 ペンを入れている何かの空き箱にはマダム・エクランは興味を示しませんでした。

 小さな鍵を取り出すとマリーは下の引き出しを開けてみせます。

 昨日まではとても大切なものが入っていたのに、今では木の簡素なレターボックスが入っているばかりでした。


 それでもレターボックスが無事だっただけでも喜ばなくてはならないわね、とマリーは考えます。

 レターボックスの中には婚約者のトーマスから送られてきた手紙が何通も入っていました。


 仕事で新大陸に渡っている間にマリーへ書き送ってくれたものです。

 トーマスの手紙にはマリーを気遣い、心を寄せる真情に溢れた言葉が並んでいます。

 辛いときにもマリーはその手紙を読み返して心を奮い立たせてきました。

 最新の手紙は今朝速達で届いたもので、明日マリーに会いに来ると書いてあります。

 本来ならば、嬉しいはずの手紙がマリーの苦悩の始まりでした。

 

 苦い気持ちでマリーが引き出しの中を見ているとマダム・エクランが手を打ち合わせます。

「なんと素敵なレターボックスでしょう。やはり、私の勘に誤りはありませんでしたわ。あなたの顔を見たときに、絶対何か素晴らしいものを持っていると感じたんですもの」


 マリーがマダム・エクランに目を向けるとキラキラとした目でレターボックスを見ていました。

「もっと近くで見てもよろしくて?」

 マリーに尋ねてくる声は興奮で弾んでいます。


 引き出しからレターボックスを取り出したマリーはそれを書き物机の上に置きました。

 マダム・エクランは顔を近づけてじいっとレターボックスを観察します。

 キツネにつままれた気持ちでマリーはその様子を見ていました。


 レターボックスはごくありふれたものです。

 数軒先の小間物屋で1シリングも出せば同じようなものが買えるでしょう。

 マリーが有り金をかき集めた3ポンドなら60個も購入できる程度のもののはずです。


 それなのになんということでしょう。

 マダム・エクランはうっとりとした表情でレターボックスを眺めていました。

「トレヴィアン……」

 無意識のうちに賞賛の言葉も漏れています。


 マリーはレターボックスの蓋を外すと中から手紙の束を取り出して下の引き出しに入れました。

「もしよかったら手に取ってみてください」

 マダム・エクランはまるで稀代の名工による美術品を触るかのようにしてレターボックスをそっと持ち上げます。


「申し分ないですわ。あのリングボックスと交換でどうでしょう? いえ、それではフェアではないですわね。私の方がいくらかお支払いをしなくては。差額は後ほどでいいかしら? このリングボックスはあなたのものよ」

 マダム・エクランは布製のハンドバッグからリングボックスを取り出すとマリーの手に押し付けるのでした。


 

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