黒い箱

和扇

第1話

「ん?なんだこれ」


 八月夏休み、俺は久方ぶりに爺ちゃん婆ちゃんの家に来ていた。


 都会住みの俺からすると、というかどこからどう見てもここは田舎。家は昔ながらの日本家屋って奴で、敷地内にはデッカイ蔵もある。家の周りは田んぼと山と川だけで、スーパーはおろかコンビニもない。時々来る移動スーパーだけが頼りになってるような場所だ。


 で、そんな場所に何で一人でやって来たかというと。


「おう、どうした孫よ。もう音を上げたか?」

「名前で呼んでくれよ爺ちゃん……」


 背後にいるのは、年の割に元気、ってか俺よりもずっと頑丈そうな体つきのハイパージジィだ。腰高サイズの箪笥を一人で持ち上げて、ズンズン歩いて行くような化け物である。一昔前の人は皆こうなのだろうか、強すぎる。


 そんな老人と俺が何をしているかというと、物が詰め込まれた蔵の掃除だ。そう、今回夏休みにここへ召喚された理由は労働力としてである。


 オヤジめ、な~にが『遊びに行ってこい』だ。俺を騙して人身御供ひとみごくうにしやがって。部活とかよりずっとキツイ、重労働過ぎだっての。


 そんな清掃作業の最中、俺が見つけたのは黒い箱。漆塗りで赤い綱を使って縛られている、玉手箱みたいな奴。埃だらけの蔵の中で、妙にそれだけは綺麗だった。


 中に何が入っているのか気になり、ガンガン荷物を運び出している爺ちゃんから隠れるようにしてしゃがみ込む。蝶結びにされた赤い綱を解き、吸い込まれるように真っ黒な箱を開いた。


「え、大学ノート?」


 中にあったのは古めかしい箱に似合わない、良く知る『Campus』のアルファベット。縁が擦り切れていて、耳部分は何度も補修した跡がある。紙の色は黄色から茶に変わる位に焼けて、ずっと箱の中にあったものにしては劣化が酷い。


 確実に新品ではない。オヤジが昔使っていたノートだろうか、だがそれにしては立派な箱に入っているのが変だ。


 中身が気になる。俺はそのノートに手を伸ばす。


「なーにサボっとるんだ、はたら―――!!!」

「あっ!?」


 いつの間にか背後にやってきていた爺ちゃん。俺に声を掛けると同時に肩越しに、箱とその中のノートを見る。するととんでもない速さで、俺の手からそれを奪い取った。


「お前…………見たのか?」

「え、な、何を?」

「中身だ、このノートの中身。見たのか?」


 いつも飄々としている爺ちゃん。いま俺の前に立つ爺ちゃんの目は真剣で、冗談で聞いている訳ではない事は確実だ。


「い、いや、まだ見てないよ。箱の中にそれが有って、なんだろって思っただけで」


 冗談を言う余裕は無かった。


 俺の素直な回答を真実だと判断した爺ちゃんは、フッと安堵の息を吐いた。


「もしこれを開いていたなら、大変な事になっておったところだ」

「え、そんなにヤバイものなの?それ」

「ああ、うむ。まあ気にするな、その方がお前の為だ」


 はぐらかす様に爺ちゃんは言葉を濁す。追求しようかと思ったが何も聞くなという雰囲気に圧されて俺は何も言えず、その後は淡々と仕事をこなしたのだった。


 一仕事終えた所で昼食。食事の後に少し休憩を挟んで、労働再開。ヘロッヘロになったあたりで夕食になり、本日の業務は終了となりました。うげぇ、すっごい疲れた……。


「ぶはぁ……生き返るぅ」


 ざぼん、と湯船に身を沈める。ズタズタになった筋肉が回復している感覚がする。


「あれ、なんだったんだ……?」


 爺ちゃんが大慌てで隠し、いつの間にか何処かへ消えた黒い箱。そしてその中に納められた大学ノート。奇妙過ぎるそれに、俺の思考がいやに引っ張られる。


「何が書かれているんだろう」


 ノートである以上は何かが書かれているはず。となるとそれがどうしても気になる。気にするな、と言われると無性に気になるのが人のサガという奴だ。


 むくり、と俺の中で悪戯心が顔を出す。アレの中身を見てみたい、と。


 決心した俺の行動は速かった。


 風呂から出てすぐにそれを探し始める。爺ちゃんは風呂上がりの晩酌で既に出来上がっていて、婆ちゃんはその相手で精いっぱいだ。今なら家の中を好きに探る事が出来る。


 少なくとも居間と俺の寝ている部屋には無いだろう、俺が見つけてしまうからな。明日も仕事があるから、蔵に戻したという事も考えにくい。


 となると探す場所は一つ、爺ちゃんたちの寝室だ。


 疲れたから早めに休むと言って居間から出る。自分の部屋へと行く、ように見せて忍び足で寝室へ。ふすまを引く音を立てないように、そぉっと開く。下手に電気を付けたらバレる、暗いままの部屋の中へと足を踏み入れた。


 今日は月明かりが眩しいくらいで室内を探るには十分、電気を付けなくても文字を読む事は出来るだろう。


「あ、あった」


 畳敷きで家具の少ない部屋、物を隠せる場所なんて限られてる。床の間の天袋の引き戸を開くと、そこに黒い箱は置かれていた。暗い場所にあるはずなのに、綱が光を発しているかのように赤々と見える。


 音を立てないようにそっと取り出し、それを畳の上に置く。昼間と同じように綱を解いて箱を開き、中のノートを両手で持った。


 ごくり、と唾を呑む。


 少しだけ手を震わせながら、俺はその表紙を捲った。


『きゅるるんっ!魔法少女ミルキーキュリー参上!悪い怖い怪物さん!あま~い愛で包み込んであげる♪』

「え、ナニコレ」


 思わず声が出る。ノートには縦書きで文字が綴られていた。


 鉤括弧で包まれた文章と、そうではない物が並んでいる。それを読む、というか目を滑らせると何となく分かった。ああコレ、小説だ。素人の俺でも分かる、かなり拙くて小学生の作文レベルの。


 だがしかし、同時に疑問が頭に浮かぶ。


 なぜこれが蔵にあったのか。


 なぜ爺ちゃんは開いたら大変な事になると言ったのか。


 首を傾げる俺は、その答えをすぐに知る事となる。


「そこで何をしているのかしら」


 ビクッと身体が跳ねた。

 穏やかで品のいい静々とした声、着物が似合う婆ちゃんの声だ。真後ろから掛けられたそれを受けて、俺は全身を硬直させる。ノートを開いていた手も、それを閉じる事も置く事も出来ずに固まっていた。


「あらあら、なにか面白い物を見付けたみたいね」

「あ、う、お」


 声が出ない。

 スッ、スッ、と着物の裾が畳に擦れる音が近付いてくる。


 ああ、分かった。


 なぜ爺ちゃんが「開いたら大変な事になる」と言ったのか、今理解した。


「それ、面白いかしら?」


 ぽん、と肩に手が置かれる。

 油が切れた機械の様に、ギギギとぎこちなく首を回して婆ちゃんを見た。


 にっこりと優しい笑顔。

 だがしかし細めたその目の奥の瞳は、一ミリたりとて笑っていなかった。


「は、はいっ。お、おもしろいでひゅっ」


 緊張から噛んだ。当たり障りのない解答、これでこの場は逃れられ―――


「具体的にはどこが?」

「えぅっ」


 追撃に、俺は言葉を詰まらせる。


 そんな俺の目の端に映ったのは『言わんこっちゃない』という顔で、僅かに開けた襖の隙間からこちらを覗く爺ちゃんだった。


 黒い箱は、決して開けてはならない箱だったのだ。


 なんで、なんで、はぐらかしたんだよ…………クソジジィっ!

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黒い箱 和扇 @wasen

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