第55話 他の人のカルテもあるの?
扉を細ーく開けて、隙間に身を滑らせ、こっそりと部屋に入ってみる……うっかり「お邪魔しまーす」って言いそうになるのを、ぐっとこらえた。
部屋の光源は、薄いピンクのカーテン越しから差し込む、柔らかい日差しだけ。
俺さぁ、他人の部屋に無断で入るとか、やったことねえんだよな。兄弟の部屋で何か借りてくことはあっても、あとで返すし、事情も話すし、お礼も言うし。でも、サフィールは許してくれなさそうだな。あいつの許容範囲は、俺が思うよりももっと狭そうだ。
えーと、ノワールの話だと、サフィールの部屋からしかカルテのしまわれた倉庫に行けないんだよな。つまり、サフィールの部屋の中にしか、倉庫に繋がる扉がないんだ。
……で、その扉はどこなんだ???
あ、待てよ、俺がこの部屋で検査されてたときに、サフィールたちが出入りしていた扉があったな。でも今は、それが見当たらない、ってことは、サフィールは部屋を空ける際に、扉を隠してるのか。
……で、どこに?
あああああもう、からくり屋敷みたいなことするんじゃねーよ! いつサフィールが戻ってきちまうかと思うと、焦ってなんも考えられねえよ。
いやいや、落ち着け俺。思い出すんだ。まずは、サフィールのベッドに寝転んで、あのときの視点を再現してみよう。
……俺、他人のベッドに許可なく乗ったことないんだけど、まあいいか。乗っちゃえ、えい。
えーと、たしか、手足を縛られていた俺は、満足に起き上がれなくて、とりあえず首の回る範囲でしか、辺りを見回すことができなかったんだよな。ここから見える範囲で、なおかつあいつらが頻繁に出入りしていたのは……あの大きなクローゼットがある辺りだ。
え? クローゼットがあるだけじゃん。超立派な黒光りした、めっちゃ重たそうな、いかにも高価なアンティークです~って感じの。扉なんて無いじゃんか。
え~~~??? どういうこと……とりあえずベッドから起き上がって、クローゼットに近づいてみた。
ん? なんか、造りが少し荒い気が……なんて言えばいいのかな、彫りが浅いって感じ? 素人の俺でも時間をかければ、彫刻刀で作れそうな模様ばっかりだ。しかも、なんか表面がざらざらして見えるぞ、組み立てる前に木材をちゃんと研磨したのか?
ちょっと触ってみよう……ん~? なんだろ、ベニヤ板みたいな手触りだな。懐かしい感じがしてきたぞ……そうだ、思い出した、吹奏楽部の大会でさ、ちょっとした演劇ふうな雰囲気を出すために、書割で木とか動物を作って、ステージを飾ってくれたんだよな~、美術部が。
そのとき、俺の担当してた木琴に、木が倒れかかってきてさ、大慌てでそれを押しのけて床に置いたときの、あの手触りに似ている。
うん、このクローゼットは、演劇に使う大道具と一緒だ。扉を隠すためだけに置かれた、ただのカモフラージュだ。そうとわかれば、お次はこれをどうやって移動させるかだな。このタンスの後ろに扉があるんだもんな……手で簡単に動かせるかな。
あ、びっくりするほど簡単に持ち上がったわ。ちょっとだけ本を入れた程度の、段ボールくらいの重さしかなかったわ。とりあえず、適当なところに置いておこう……。後ろに隠されてた扉は、焦げ茶色一色の地味な造りだった。スタッフオンリーって書かれてる木札がかかってて、なんだか事務所みたいだ。
用心深えな~、サフィールのヤツ。さっすがカルテ部屋の門番を任されてるだけあるな。絶対にバレたら殺される。急いで扉を開けて中に入ろう……。
……ねえ、開かないんだけど。まーた鍵かかってるよ~。
「なあノワールー」
「ん?」
「カルテ部屋に繋がる扉を見つけたんだけど、鍵がかかってるんだ。開けられるか?」
「え? あ、そうだった! いつもサフが開けてくれるから、すっかり忘れてた」
しっかりしてるのは、サフィールのほうなんだな。
出鼻をくじかれて、微妙なテンションでノワールを待っていると、部屋に入ってきたのは、サファイア姫だった。
「おわああああ!!!」
「イオラ、声が大きいよ、見つかったらどうするの?」
「え? あ、ノワールか、びっくりした……って、びっくりするに決まってるだろ! なんでサファイア姫に変身してるんだよ!」
「兵士が頻繁に廊下を行き来してるの。念のためにサフに化けて、自然な感じで部屋に入ったの」
「ああ、そういう理由が……でもさ、説明くらいしてくれよ、マジでビビったんだけど」
「説明しようとしたら、イオラが叫ぶんだもん。何言うか忘れちゃったんだ」
なんか子供みたいな言い訳されたぞ。俺も、まあ、悪かったよ……。
「わかったよ。で、このドアを開けてほしいんだ。できるか?」
「うん」
サファイア姫そっくりの外見なのに、いやに素直に返事する姿が、ちょっと気持ち悪かった。「できるかですって? ここは僕の管轄内なんですから当然でしょう」とか、そういうツンケンした小言がないせいかな。
ノワールの人差し指が、芋虫の足のようなイボイボだらけの鍵になって、取っ手の下にある鍵穴に差し込まれた。へえ、芋虫デザインの鍵なんて、ちょっとおもしろいかも。俺は絶対に使いたくないけど。
ノワールが扉を開けて、先に入っていった。あれ? 廊下で見張っててくれるんじゃなかったのかよ。……まあいいか、俺も入ろうっと。
お邪魔しま~す……うわ、四面全てに棚が。しかもボロボロの背表紙がぎっしり納まってる。書類の角っちょをしっかり揃えてる辺り、丁寧に管理してるんだなってのが伝わる。
「これ全部カルテなのか?」
「そうだよ」
「すんげえ量……それだけ解剖された人がいるってこと?」
「ここの左端の棚は、ぜんぶイオラの検査データだよ」
「ふええ!? 俺の胎ん中だけで、こんなに書く事ある!?」
あ、ほんとだ、こっちの棚の左側だけ、背表紙が新しい感じ。他のは古くてボロッとしてて、染みとかも付いてるのに。
「うん、たくさんあるよ。反応の度合いとか、気絶の回数とか。もっともっと細かいところも。読んでみる?」
「えーと……」
「読み終わったら、ちゃんと元の位置に戻しておいてね」
「……おう」
俺さぁ、この部屋に入るまでは、カルテをルナからのラブレターみたいに思ってて、浮かれきってたんだよな。今思えば、マジで頭おかしいよ、俺。ノワールにそそのかされたのもあるけど、いざ目の前に棚埋め尽くすほどの自分の検査結果を、しかも別の棚には赤の他人という名の犠牲者の詳細が記された書類の束がよ、どうして俺は忘れてたんだよ、ルナは――ルナリア王子は、マジでヤバイヤツなんだった。
俺の他にも、似たようなことしてきたんだ。きっとみんな城の額縁に飾られて、標本にされてるんだ。
自分がバカ過ぎて、自分でも戸惑っているのが、指先の痙攣に現れていた。引き返したい、逃げだしたい。
「なんにも読まないの? ここまで来たのに」
「え、あ、えっと、読むよ! せっかくここまで来たんだしな!」
とっさに嘘をついてしまった。ここでド正直に「やっぱやめるわ、一抜けたー」って、クラスの変わり者みたいに空気も読まずに不信感爆上がりするような発言を、自分の心のままに表現できたらなって、このときばかりは憧れた。ぜってえ真似したくねえけど。
「読めないところがあったら、代わりに読んであげる」
至れり尽くせりだな……朝飯の世話してくれてさ、廊下で見張っててくれたり、鍵開けてくれたりしてさ、もうここまでされたら「やっぱり読むの怖い」だなんて、とても言えない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます