御棺

小狸

短編

 *


 母方の曾祖母の訃報が届いた。


 私が七歳の時の話である。


 新幹線に乗って、曾祖母と祖母の住むみやに着いた。


 私は、どこか高揚していた。


 母は宮城の出身ではあるが、普段はさいたまに住んでいる。


 私の学校も埼玉である。


 宮城に帰省することができるのは、長期休み――私が小学校に入ってからは、一年に一度、夏休みだけと決まっていた。


 だから、突如決まった帰省に対して、私は心の奥底で興奮していたように思う。


 母方の祖母に会えることが、嬉しかったのだ。


 祖母は私に優しかった。


 皆が、私より優秀で端麗な妹を優先して可愛がる中、祖母は私も妹も平等に愛してくれた。


 曾祖母と私とは、てのひらで数えられる位しか面会したことがない。


 大きな庭があり、鯉の住んでいる家に、曾祖母は住んでいた。


 耄碌もうろくこそしていても、認知症はなかったのだろう――会うたび、私の名前を覚えていた。


 それが、妙に頭に残っていた。


 葬式会場は、私が思っていたより広かった。


 大勢の人が、曾祖母の死を悼んでいた。


 私には、まだその感情が理解出来なかった。


 しかし、何となく雰囲気を察して、大人しくしていたように思う。


 ここは、騒いだり、走ったり、笑ったりする場所ではない、と。

 

 どこかで理解していたのだろう。


 静謐とも、悲愴とも違う。


 弔うということ。


 独特の匂いと雰囲気が、そこにはあった。


 その意味を知るのは、私がもう少し大人になってからの話である。


 やがて喪主らしき方と、坊主らしき方が来、葬儀が始まった。


 供花の時間となった。


 中央中心に、左右対称に奉られるように存在する祖母の棺に、白い花を供えるのである。


 妹は、まだ幼かったので、母と一緒に供えるようだった。


 私は、一人で、花を受け取った。


 そして列に並び、私達の番が来た。


 私達は、一歩前に進んだ。


 棺は、思ったよりも小さな箱であった。


 曾祖母の遺体は目を瞑り、手を合わせて、花々に囲まれていた。


 その身体は、箱の中に綺麗に収まっていた。


 まるで生きているようであった。


 生きている。


 いや、それはおかしいと異を唱える方の心持ちは十二分に察する。


 前述の通り、曾祖母は亡くなっている。


 死因は老衰である。


 それに、死に化粧がなされているから、生きているように見えることは、当然なのである。


 私は、それを。


 


 そうして、思わず。


 手に持った花を供えた後、母が棺に頭を下げている中で。


 私は。


 生きているような曾祖母に、手を伸ばそうと――した。


 その行動の意味は、大人になった今でも分からない。

 

 揺すり起こせば、目を開くとでも、思ったのだろう。


 箱の中に、手を入れようとした。


 その時のことである。


「駄目よ」


 と。


 曾祖母が言った。


 ように、聞こえた。


 しわがれてはいたものの、良く響くこえであった。


 続けた。


貴女あなたは、まだ此処ここなさい」


 母と妹は、まだ頭を下げていた。


 その空間で、私と曾祖母だけが、箱を通して、繋がっていたのである。


 私は。


 曾祖母の言葉の意味も、曾祖母の口が開いたのかも、どうして周囲の人々が異変に気が付かないのかも、分からなかった。


 それでも、ただ。


 何かを言わなければならないと思った。


 箱に伸ばさんとしたおのが手を、ぎゅっと握った。


「はい」


 とだけ、答えた。


 曾祖母は、笑った――ような気がした。


 私は、箱から離れた。


 そして、列にならって、自席に戻った。


 気が付いたら、背中にびっしょりと汗をかいていた。


 この話は、まだ誰にも話したことがない。


 幼い頃の子が良く見る幻想幻覚の類だとか、後から思いついた都合の良い心霊物語だとか、そういう解釈が与えられるのが、いやだったからである。


 ゆえに、ずっと私の中に秘めて、生涯を終えるつもりだった。


 しかし、今回の「箱」という主題に基づく小説の募集に際して、私はこの記憶を思い出して、筆を取ろうと思った。


 そうすることで、何かが変わるとは思えない。


 あれから私は、大人になった。

 

 色々な事があった。


 色々な人に会った。


 色々な考えを知った。


 色々なものが変わった。


 色々な何かを、失った。


 それでも、曾祖母の優しさだけは。


 永久に、あの箱の中で不変なのだと。


 私は信じたい。


 あの時、曾祖母は。

 

 まだ来るな、と言いたかったのだ。




(「御棺」――了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

御棺 小狸 @segen_gen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ