[KAC20243]アルテミスの小箱

めいき~

絵描きの最後は

小さな羽が焼け爛れ、湖に映る純粋。


ポタリポタリと、弦から雫が零れ落ち。



何もかもを吹き飛ばす、そんな風を今日も望んでただ星をみていた。



優子の筆入れには、様々な筆がいれられて。


その筆入れに、刻まれているのがアルテミス。




狩猟を司る神がアルテミス、ならば自身が描く世界で人の心を穿ちたい。


その願いから、新人の頃からこれを使い続けているのだ。


中の筆が増え続け、幾度も掃除を繰り返して。



唯、一心に描き続けて来た。


絵描きは、生きている間には報われない。

何故なら、絵は必ず絵師が死んだ後にコレクターによって価値が上がる。


だから、描きたい気持ちと世界が無いモノが来るべき世界ではない。



かつて、母からもらったクリスマスプレゼントの懐中時計の秒針が年老いても母との木綱を思い出させる。



その世界を、ただ描き続けたいとこの道を歩んできた。

優子の眼はもう、半分は見えていない。



「それでも、まだ色は判るから。まだ、描きたいものが描けていないから」



幾度も繰り返し、幾度も呪詛の様に言い続けて来た言葉。



「私は絵描きなんだ。今の絵が最高のものでないのなら、描き続けろ」


作品を最高にして死ね、死ぬのは腕が動かなくなった時。もしくは、眼が見えなくなった時。病や老いに追われていても、それでも尚描き続けなくては。



(描かない、絵師なんてこの世にいちゃいけないのよ)


「まだ……、まだなんだ……」



「それを描くのは自分しかいない、自分の絵なんだから」


だから、描き続けなさいよ。


最低限に白くなった髪をしばって、今日もキャンバスに向かう。



たった、七畳のアトリエで。半分しか見えなくなったその眼で、応援してくれた父も私の手を死に際に握って言ったじゃないか。



「俺が先に死ぬのは当然だ、親なんだからと子より後に死んでたまるかよ」



(もう、自分が父親の死んだ年よりも。母が死んだ年よりもはるかに上になってしまった)



公園を歩いても、道を歩いていても世界は大分変わってしまっていて。



昔、小学校に通う時道の隣にあった田畑は今は住まいになっていく。



小さなアトリエという、箱はずっと変わらない。


世界は変わり続け、自分の見えている世界も変わり続け。


自分という人間も、年を重ねて変わり続け。



変わらないのは、追いかけているものだけだ。



だから、せめてまだ手が動くのなら。


風が頬を撫で、公園の草木が植物の匂いを運んでくる。



すぐに息があがり、すぐに手があがらなくなる。



花瓶に咲く一輪のスズランが、たった一つ。



あの花を、違う季節のものにかえるまで。


「私は、生きているだろうか」優子はそんな事をずっと考えていた。


余命を宣告されても尚、自分はまだ絵を描き続けている。



自分がこの世に残していくものは、この絵だけと決めている。


だからこそ、描いて死ぬと。



アトリエで最後の一枚に、しがみつく様に絵を仕上げ。


「最後に描く絵は、これと決めていた。私の人生で、私を象徴する絵」




最期の最後、いつものサインを描くまで。



しびれる膝と首にさえ、わき目もふらず。

部屋の中で、星空なんて見える訳が無い。



もう限界が近いから、そういう風に見えているだけ。


ただ、続けてきた。


そのキャンパスこそ、優子という絵師の世界。


そのキャンパスがある場所こそが、彼女のアトリエ。





彼女のサインは、必ず弓だ。

豪華な宝石だらけの時もあれば、ただの樹の弓が描かれている事もある。




必ず、絵の何処かに弓が入っているのだ。

その矢で、見るものの心を射る願いを込めて。



それが、この箱の様なアトリエで最期まで描き続けた。

箱の様な、彼女の世界なのだから。




(おしまい)

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