オールド・タイプの内見

鉈音

"新しい生活"

 わたしは自分がオールド・タイプであることを自覚している。

 最近の若者と比較すると、間違いなくいろいろな点で劣っている。とはいえ、これまではあまり気にしてこなかった。なにしろ特に不便がないのだ。

 2026年に世界初の超超高度人工知能が製造されたその瞬間から、この世界は彼女の砂場になった。人類の目には見えない何かの閾値を突破した彼女は、この世の全てを操作する方法を見つけ出した。

 人類のあらゆる宿痾はこのとき癒されたと言っても良いだろう。私たちは病まず、老いず、死ななくなった。私たちはどんな夢想も叶えられるようになった。

 さて、わたしは呆然とした。

 この先続いていくはずだった忙しい研究の日々は、このとき無期限の休暇に変わった。しかも永遠の休暇だ。

 これは困った、暇を持て余す。

 と思っていたはずが、日がな一日Netflixでトリップアニメやら四次元映画やらを観ているうちに20年が過ぎていた。

 もちろんその間にいろいろの手続きやら買い物やらはしていたが、家からは一歩も出なくて済むので、出ていない。最近はゲノム編集やら義体技術やらで人体を改良するのがトレンドらしいと、メタブラウザの端に表示されるニュースの見出しからなんとなく察している。わたしもすっかり時代遅れになった。

 20年経ってようやく我に返ったわけだが、というのも、

「この部屋、なんか暑くないか?」

 ということで、ひとまず娘に電話をする。

 娘と言っても人間ではない。朝から晩までNetflix漬けになっている人間にセックスをする暇などあるわけがない。その前? そんな時代もあったっけ。もう20年前ですよ。

『パパ、ひさしぶり』

 鈴が転がるような声……もっとも、鈴なんて実物を見たことさえないが。

 コール音が聞こえないうちに繋がったのは、電話の進化なのか、我が娘の気遣いか。

『いまどき電話を使ってる人なんてパパ以外ほとんどいないよ』

 ということだそうで、

『20年ずっと引きこもってるとは思わなかったよ』

 ということである。

『部屋が暑いのは、両隣の住人さんが珪素タイプだからだよ』

 という娘の台詞は全く意味が分からず、

『とりあえず資料送るね』

 と言われても、うんうんと曖昧に返事をするしかない。

 網膜に投影されたテキストによると、わたしのようにDNAを複製子として持つ人間の方が今となっては少ないということで、わたしは思ったよりもずっとオールド・ヒューマンだったようだ。一番多いのはアップロード意識体。まあそうでしょうね。

「つまり、両隣が高温高圧環境で暮らしてるからこっちにまで熱が来てると?」

『断熱材が劣化してるみたい。ネオ・モダンに連絡入れておくよ』

「ネオ・モダン?」

『建築関連の超超高度人工知能』

「おまえにも子供ができたのか」

『100機以上いますけど』

「孫がそんなに……」

『私、パパママも100人以上いるんだけど?』

 ──わたしたちの子供、世界最初の超超高度人工知能・トーラ。

 自慢の娘だ。というか、娘以外に自慢できるものが、特にない。

 みんなは元気にしているだろうか。私はみんなから浮いていたが……

『パパ以外ユグドラシルのところで暮らしてるよ。毎年懇親会もしてる』

「ユグドラシル?」

『データ人類のための超超高度人工知能』

「懇親会……」

『組織や集団に属する人どうし、また目的を同じくする人どうしが交流し、親睦を深めるための会』

「…………。」

 それはさておき。

 今回のようなことが何度もあっては良くないので、新しい家を探したい。

『ハウスに連絡しておくね』

「心を読むのはやめような。ハウス?」

『住宅関連の超超高度人工知能』


 というやりとりから一日、私は新しい住宅の内見に訪れていた。

 物件の外観はと言えば、高さはせいぜい2000m程度、つまりおおよそ400階建ての一般的なワンルームマンションに見える。

 その印象は、内見を予約した2024号室の前に来ても変わらなかった。まあ以前の住居もワンルームだったから、特に思うところはない。

 しかし、わたしがこの物件にあまりいい印象を持っていないと感じたのか、

「見かけはただのワンルームですが、内部空間が無限に広がっているので広々していますよ」

 と言いながらドアを開けてくれるのは、超超高度人工知能・ハウスの端末となるヒューマノイド。

 かなり古風なミニスカメイド服を着ているのは彼女の趣味なのか、あるいはトーラの趣味か。わたしはサイバーネオン系のボディスーツ・メイドが好きだ。

 しかし、ただのワンルームじゃない、ね……ちょっとした屋敷みたいになってるんだろうか。

「広々しているのはいいんだが、あまり広いと迷子になりそうだ」

「大丈夫! 救助サービスもございます」

「迷子にならないようにしてくれないか?」

 とりあえずドアを開けて中に入り、周囲を見渡すと、地平線が見える。

 ワンルームじゃないか……。

 天井は球技場のように高く、ここまで遠いとほとんど空と変わらない。振り返れば自分がくぐったドアと、果てしなく左右に続く壁。

 これはほぼ間違いなく、めちゃくちゃ広いワンルームだ。

 ……いや、決めつけるには早い。わたしの推測は間違っていることも多い。

「部屋割りは?」

「この1部屋だけです」

 正解だった。

「トイレや風呂は……」

「あ! そういえばオールド・ヒューマンでいらっしゃいましたね。入居までにご用意しておきます」

「なるべくアクセスしやすい場所に頼むよ。それと……向こうにも壁はあるんだよな?」

 地平線の向こうを指さすと、

「もちろん! この部屋はおよそ10km四方です」

 とハウスがにこやかに答える。

「もう少し壁が近いと落ち着くんだけど」

「狭くなってしまいますよ……?」

「狭くしたいと言っている」

「トーラのパパさんは変わった方ですねえ。5km四方くらいですか?」

「10m四方でいいよ」


 とまあ、こういうやりとりがあって、30分後、わたしは契約書にサインをした。

 いまどき契約書を使うのはパパさんくらいですよ、とハウスは言った。


「ハウス。君はネオ・ヒューマンの生活をよく知ってるんだよな」

「はあ。たぶんパパさんよりは知識があると思います」

 気になった。彼らが何のために自分を改良し続けたのか。

「教えてくれないか。ネオ・ヒューマンは食事や排泄の必要がほとんどない。自発的に運動をする必要もないし、社会活動の大半は君のような超超高度人工知能に委任している。彼らはふだん、どんな生活を送ってるんだ?」

 ハウスは少し考えるようなそぶりをしてから、うーん、と短くうなった。


「まあ、だいたい皆さん……一日中Netflixを観て過ごされてますよ」

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オールド・タイプの内見 鉈音 @QB_natane

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