うさぎ小屋はどこにする

高野ザンク

内見ごっこ

 天井に吊るされた檻の中に、突然バニーガール姿の女の子が現れたので、誠一は腰を抜かしてしまった。

 相手の女の子も、同じぐらい驚いているようで、目を丸くしてこちらを見ている。


 彼女は誠一の姪であり、二十数年後の未来からタイムスリップしてきたのだが、それをまだ誠一は知らない。

 一方、彼女のほうは、腰を抜かしている男子高校生が、現在は人気マジシャンとして名を馳せている如月誠一の若き日の姿であることは理解していた。

 しかし何故、このような状況になってしまったのかはとんとわからない。



 とにかく、まずここから降りなければ。


 檻の中にいたままでは埒があかないと気づいた未知子は、入った時に使った隙間から身を捩って檻の上に登ると、柵に手をかけ、だらりとぶら下がる。舞台まで2メートルほどの高さ。そのままパッと手を離すと、着地寸前に屈伸して力を逃す。体操選手ならではの身軽さを発揮して、未知子は楽々と体育館の舞台に降り立った。横にはようやく腰をあげた誠一が、あいかわらず慌てた顔で彼女を見ていた。


「キ、キミはいったいどうやって……」

「わかんない。でも、あなた、誠一おじさ……じゃなくて如月くんだよね?」


 見も知らぬバニー姿の女の子が自分を知っているので、誠一はさらに驚いた様子で彼女の顔をまじまじと見た。未知子は自分がタイムスリップで過去へ来たのだなという確信を得たのだが、それを今誠一に言っても通用する気がしなかったので、黙っておくことにした。


「とにかく!なんか着るものない?この格好、結構恥ずかしいんだからね」

「え?好きでその衣装着てるんじゃないの?」

「違う!」

 アンタの趣味だ!と言ってやりたい気持ちをおさえて、未知子は長いため息をついた。


「いろいろあって、この格好をしているの。着替えじゃなくても羽織るものがあったらちょうだい!」


 勢いに気押され、誠一は自分のスポーツバッグからジャージを取り出して彼女に手渡した。


「キミはいつから、あの檻に?僕が大脱出の練習してるのをどこかで見てたのかな?それから名前は?何年何組なの?」


 ジャージを羽織る未知子を警戒しながら矢継ぎ早に誠一が訊ねるが、未知子はどう答えていいか判断に迷う。もし自分の予想通り、彼の高校生時代に来たのだとしたら、私はまだ生まれていない。なら偽名を使わなくても大丈夫か。とはいえ、苗字は言わないほうがいいのか。


「わ、わたしは未知子。と、時野未知子」


 我ながら安易だなと、とっさに出た偽名に笑ってしまった。その笑顔を好意的に解釈したのか、誠一から少しこわばりが消えたような気がした。


「私はここの学校の生徒じゃないの。わけあって、ここにお邪魔しにきたわけ。でもあなたのことは知ってる。理由はまだうまく説明できないけどね」


 あと、ズボンもくれる?とつけたしながら、一気に捲し立てる。誠一は改めてバッグをあさって、ジャージのズボンを手渡した。

 ふっと男子の匂いがする。でも親戚だからか嫌な気持ちはない(もちろん履くのはちょっと抵抗がある)。未知子はバニータイツを隠すように、さっさとズボンを履いた。


「家出少女とかってやつ?」


 警戒心を緩めたのか、誠一が軽い口調で訊ねた。


「そんで、僕んちのことを知ってたから相談にきたのかな?」


 叔父さんの家?


「ほら、うち、不動産屋じゃん」


 叔父さんの家業って不動産屋だったのか。未知子は誠一の実家についてなにひとつ知らないことに気づいた。




 ジャラジャラとした鍵の束から「304」と書かれた鍵をつかむと、誠一はドアノブにそれを差し込む。カチャリと心地よい音をたてて、ロックが解除された。彼の開けたドアの中に、うながされて未知子は部屋に入る。


 玄関をあけると右手に小さなキッチンがあり、その奥に6畳ほどの洋室がある。いわゆる1Kの間取りだ。


「お客様、どうぞ靴をぬいでお上がりください」

 いつのまにか誠一はピンクのスリッパを手にしていて、彼女の足元にうやうやしく揃える。未知子は誠一から借りていた「上履き」を脱いで、スリッパに履き替えて洋室に入った。

 小さな備え付けのクローゼットがあるだけで殺風景な洋室。もっとも、まだ住人がいないのだから当たり前だろう。


「まだ築10年経ってないし、今まで住んでた人も2人だけ。けっこう良い物件だと思うよ」


 卒業して東京へ行くとなったら、こういう部屋にひとりで住むことになるのだろうか。わずか2年後にはその可能性もあるのに、未知子にはどうもピンとこなかった。どちらかといえば、私は進学するにしても地元を選んで、実家にズルズルといるタイプのような気がする。


「あと、小型だけど冷蔵庫がついているのがおすすめポイントですよ」


 おどけているのか、家業だからか、誠一はさっきから営業がかった口調でそう言う。


「気に入りました。ぜひこの部屋でお願いします」


 未知子も合わせて、客のような口調でそう答えた。そうしたらなんだか二人とも気が抜けて、お互いを見合って吹き出してしまった。



 夕方になって未知子が部屋の隅で丸くなっていると、玄関のドアが開いて、誠一が入ってきた。家にあった寝袋と、夕飯がわりに弁当を持ってきてくれたのだ。一緒に食べよう、と言って、自分の分のお茶と弁当を取り出すと、未知子よりも先にご飯にくらいつく。


「どうして、親切にしてくれるの?」

 缶のお茶を一口飲んで未知子が訊ねる。


「だって、困ってるんでしょ?」

 唐揚げを頬張りながら誠一が言う。


「僕を頼ってきたんだから、できることはしてあげようかなと思ってね」

 それが男ってもんでしょ、と聞き取れないようなぐらい曖昧なセリフを付け加えて彼は頬を赤らめた。それを未知子はちょっと可愛いと思ったりもした。


「時野さんがどこの誰かはわからない。でも悪い人じゃなさそうだし、なんか他人には思えなくてね」


 まあ、親戚なんだけど。という言葉をお茶と一緒に流し込む。


「ありがとう」


 未知子は今日起きたことを改めて振り返り、心を込めてそう言った。


「私が誰か、そしてどうしておじさ……じゃない、如月くんの前に現れたのか。多分言っても信じてもらえないと思うし、私自身まだ混乱してるから、うまく説明できないんだ」


 ありのまま言ってしまうと、未来の私が壊れてしまうような気もした。いわゆるタイムパラドックスというやつだ。


「だけど、ここに来たのはなにか理由があるんだと思う」


 ゴクッと唾を飲み込む。


「それがわかった時。全部話す」


 未知子は誠一の目をまっすぐ見つめて言ったが、誠一は照れてすぐに目を逸らした。自分の叔父がこんなに可愛いと思えるなんて不思議だなと未知子は思った。もっとも、大人になった叔父についても人気マジシャンということぐらいしか知らないのだけれど。


 誠一は、自分のTシャツの他、スーパーで買ったという女性用肌着を数枚持ってきてくれた。高校生が女性の下着を買うには勇気がいるので、頑張った、などとちょっと自慢げに語ったりもした(可愛いやつだな)。


「じゃあ、また明日来るから、戸締りはちゃんとしてね」


 玄関越しに誠一を見送る。なんだか恋愛ドラマ味があって、少しドキドキはした。そんな空気を打ち消すように、締まりかけたドア越しに誠一が言った。


「お客様。ご成約ありがとうございます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うさぎ小屋はどこにする 高野ザンク @zanqtakano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ