2DK、祠つき

里場むすび

祠のある和室


 入ってはいけない部屋があれば入る。

 壊してはいけない祠があれば壊す。

 見てはいけないモノは見る。


 ——禁忌を犯すのは人間の本能的な行動だよ。


 常よりそう言っていた先輩は和室の北側に設置された小さな祠のようなものを釘バットでバキバキに壊していた。


「おっ、お、お客様!? そちらの部屋には入らないようお願いしたはず————————ッッッッッ!!?!?」


 先輩が姿を消したことに気付いたのだろう、不動産屋の担当者が駆け付けてくる。だが、その頃にはもう全てが手遅れ。祠は壊れ、中に安置されていたナニカがその姿を晒していた。


 それを見た担当者は失禁し卒倒。口から泡を噴いて、またたく間に顔を紫色に変えた。


「あれ? もしかして死んじゃった? その人」


「……いや、まだ生きてるっぽいです。救急車を呼べば助かるかと」


「なら救急車呼んどいて。私はアレ、処分するから。——ああ、念のため言っとくけどこっち向いちゃ駄目だよ。その人の状態でわかっただろうけど、見たらヤバい系だから。君にも悪影響があるかも」


「わかってますってば」


 どうしてこんなことになってしまったのだろう——。


 119を打ち込みながら、僕はため息をついた。


 ◇


 先輩が見知らぬ女性を連れて僕の家にやってきたのは午前1時を過ぎた頃だった。

 会社帰りだったのだろう。スーツ姿でくたびれた顔をした女性だった。

 先輩もその女性も、顔は少し赤く、お酒のにおいがする。


 僕の文句を無視して、先輩はソファの上に女性を誘導し座らせた。先輩にはカリスマのような、不思議な魅力がある。その魅力を以てして、彼女は自分の思うままにを運んできたのだろう。


 先輩が出した水を一口飲むと、女性は言った。


「毎晩、夢を見るんです。……あの家で、あの祠にかしずいて……それで、その…………」


 ぎゅっ、と女性は二の腕を押さえて言い淀む。先輩は続きを察したのだろう、「なるほど」と安心させるような声色で言った。


「その夢には、何が出てくるの? 人間? それとも動物? それとも……」

「わ、わかりません……っ。他のことははっきり思い出せるのに、なぜか……何に襲われてるのかが、まったく思いだせないんです」


「夢に変化は、あるかな? たとえば一日経つごとに体感時間が長引くとか」

「まさに、それで……。私、夢の中にいる時間が長引いていってる気がするんです。その影響かわかりませんが、朝、起きる時間が遅くなってしまって。会社に遅刻することも増えて……せっかく入れた会社なのに、このままじゃ…………うう」


 酒が入っていたというのもあるのだろう。女性は泣き出してしまった。


「……じゃあ、その夢を見るようになった原因に心当たりは?」

「うっうっ……たぶん、祠へのお供えを……サボったから、だと思います……」


 それから、女性はぽつぽつと語りだした。


 ◇


 当時大学生だった私は、その……推し活にハマッてまして。

 推しって言葉はご存知、ですよね。いえ、会社の偉い人とかに話すと差別用語の方の「おし」だと誤解されたのだちょっとしたトラウマになってて……。


 えっと、それで……推し活ってその、お金がかかるんです。チェキ代とかライブ代とかで……。

 だからまあ、バイト頑張って稼いだりもしてたんですけど、それだけじゃちょっと足りなくて。

 上京するとき、親がお金出してくれるってことで、学生向けの中だとそれなりに良い方の物件に住んでたんですよね。で、そこからもうちょっと安いところに越せば推し活費用を捻出できるかな……と物件を探していたら、見つけたんです。


 格安の物件を。


 部屋は前のところより狭いし、築年数もそれなりに経ってるところではあったんですが、立地は悪くないし推しがよくライブやってる会場へ行くにはその物件の方が近かったんです。

 しかもそれで、家賃は当時住んでいたところよりずっと低い。


 即決でした。


 お父さんとは喧嘩になってしまいましたが……最終的にはなんとか、納得してもらえて。

 気になったのは、内見の時に見せられた祠のことです。

 その物件は、一部屋だけある和室の中に祠が設けられていたんです。


 ええ、石造りの台座に、小さな、木でできた祠がのっかってて。


 めずらしいですよね。普通、祠って屋外にあるものじゃないですか。屋内で神様を祀るなら神棚でしょう。普通。


 で、不動産屋さんの人にこう言われたんです。


「週に一回。日が昇っている間に祠に水をお供えしてください。水は水道水でも構いません。そして、この和室には、普段は立ち入らないように。特に夜は、何があっても入ってはいけません。……いえ、この扉を開けて、中を見るのも避けた方がよいでしょう」


 まるで霊媒師かなにかみたいでしょう?

 ただ、その不動産屋さんが本気で言ってるみたいだったのと、その和室でこれまでに何人か亡くなってる——事故物件だって聞いて、それで、まあ、言われたことはちゃんと守ることにしたんです。


 手間といえば手間でしたけど、要求されてることはそんなに大変ではありませんでしたし。


 しばらくは、問題なく暮らせてました。


 でも、大学の卒業を目前に控えたある日——友人と旅行に行きまして。それでうっかり、出かける前にするつもりだった水のお供えを忘れてしまったんです。


 以来、あの夢を見るようになりました。


 大学卒業したらすぐ引っ越して、そこが今の住居なんですが……それでもまだ、夢は続いています。


 今日も見ました。


 このままだと、私……いつか目を覚まさないんじゃないかって、怖いんです。


 ◇


 ——というのが先週の出来事。それから色々あって先輩は僕を引き連れて、女性が暮らしていたという曰く付きの部屋にやってきた。


 アパートの一階。真ん中の102号室にその和室はある。


 不動産屋の担当者の話すところによると、元々ここは空き地だったらしい。真ん中に祠が一個、ぽつんとある以外は何もない——そんな場所だった。

 そこを現在の土地管理者が買い取り、アパートを建てたという。


 アパートを建てるにあたって、祠は本来別のところへ移される予定だった。

 だが、そうはならなかった。

 祠を移そうとした当時の関係者らに凶事が立て続けに起こったらしい。しかし、土地の管理者はアパートの建設を止めることはせず、建設を続行。

 結果として祠はそのままに、その周囲に建物が建てられた。

 そして、102号室の和室の中に祠は収められた。


 ——今、先輩はギターケースの中に隠した釘バットでその祠を破壊している。

 中に収められた「何か」をも破壊するつもりなのだろう。

 果たして物理的にどうにかできるのか——そんな疑問はあるが先輩のことだ。何か考えがあるのかもしれない。


 水を撒く音。

 聖水だろうか、清浄な気が立ち上るのを肌で感じる。


 僕は離れていた方が良いだろう。

 死にかけの担当者の身体を動かしつつ、その場から距離をとる。


 ——というか、内見中にモノを壊したら罪に問われるのでは……。

 いいや。僕には関係のない話だ。

 ひとまず、今は先輩が部屋から出てくるのを待と——。


「ふーっ。これで呪いの件は解決かな」


 先輩は釘バットを引きずって部屋から出てきた。

 釘バットには黒ずんでねちょりとした粘液がくっついている。

 それが何かを聞く気には、なれなかった。


「思ったより手応えなかったなあ。霊障専門ってとこかな」


「先輩。……結局、あれってなんだったんですか」


「さあ。そんなの知らないよ。私は祠の中身なんて見てないし、そういうことを考えるのは私の仕事じゃない。気になるなら自分で調べてみたら?」


「いやですよ。精神的に負担かかるんで」


 救急車のサイレンが聞こえてきた。先輩は「む」と口をとがらせて、


「そろそろ来るっぽいね。君も、ちゃっちゃとを済ませたら? 前の住人はもういないからさ」


 先輩の言う通りだ。

 釘バットをギターケースに仕舞う先輩を横目に、壁を通り抜けて祠のあった和室へ入る。わざわざ扉を使うよりこうした方がはやい。


 聖水をばら舞いたからだろう。和室の中にはまだ、清浄な空気が滞留していた。

 だが、風通しの悪さは僕のような悪霊にとってはプラス要素だ。こういうじめじめとして放置しておけば黴の生えそうな場所をこそ、僕らは好む。

 ……だが、ここの前の住人にとってはきっと、そうではなかったのだろう。


 室内に霧散した気——聖水により、大きく希釈されもはや意志を持つことも物理的であれ精神的であれ何らかの現象を引き起こすことも不可能だろう——が、僕の霊体に混じり、溶け込み、過去を伝えてくる。


 どうやら、ここの前の住人は元はちゃんとした神だったらしい。由縁はわからないが、地域住民にちゃんと祀られる存在であったようだ。


 それが変わったのは、比較的最近のこと。


 ——といっても、古くから在るものにとっての最近だ。

 断片的に見えた景色から察するに、大正か昭和といったところだろう。


 急速な時代の変化の波に信仰はさらわれて、その神は忘れ去られた。


 誰も、来なくなった。


 たまに拝みに来る者もいたが、由縁を知って拝み敬う者はない。

 誰もがその神を「とりあえず拝んでおくもの」として認識する。


 …………視えた過去は、それだけだ。それから、何がどうなって現在に至るのか。何故、霊障を与える存在となり果てたのか。


 そんなことは分からない。

 ただ、元はちゃんとしたお天道様の下にあったソレにとって、この環境は好ましいものではなかったのではあるまいか——そんな想像を巡らせることはできる。


 そもそも、あの女性の語った話のどこまでが本当なのかさえ。


 この部屋は悪霊にとっては中々に好ましい環境だ。祠を邪魔くさく感じる者もいるだろうが、祠の中のモノは弱っている。

 である先輩が単独でどうにかできてしまうほどに。


 ……今は日中。ゆえに存在感は薄れているが。


 まだ、


 それも複数。

 先輩の祠破壊の巻き添えを喰らって消えた者もいたようだが、部屋の隅や押入の中、天井付近に何かの存在を感じることができる。


 絶望、失意、そして強い恨みの念。


 それらの霊にまともは思考能力はもはや残っていない。だから、彼らは無差別に呪いを振り撒き、無差別に自分を分かってほしいと訴えかける。


 受信した思念の中には、あの女性が出てくるものもあった。


 ……けれど、僕は深入りしない。

 自分のものじゃない憎悪に呑まれるなんて、御免だ。


 いつの間にか閉じられていた扉を通り抜けて、和室を出る。

 先輩を探して玄関の外に出てみると、彼女は疲れた顔をしてそこにいた。


「やっ。どうだった、内見は?」

「……先輩。前の住人がまだ残ってたんですけど」

「あれま。大丈夫?」


 先輩は僕の頬に触れて問う。

 生者のあたたかさが、冷たい霊体に染み入るようだった。

 ああ、欲しくなってしまう。

 その温かな身体が。

 たくさんの感情を内包する芳醇な心が。


「……だから悪霊ぼくは先輩が好きなんだなぁ」


「生きてるうちに言うものだぞ。そういうセリフは」


「で、先輩? どうするつもりなんですか?」


「ん? どう、とは?」


「あの祠。勝手にバッキバッキに壊したんだから土地管理者に訴えられるかもしれませんよ」


 指摘すると先輩は「あっやべ」と零して顔を青くした。


「う~~~~~~~ん………………………………まあ、なんとかする、よ」


 それから、先輩は気絶した内見担当者の代わりにやってきた不動産会社の社員さんに鍵を返して、ついでに祠を壊したことを謝罪したらしい。


 幽霊である僕には関係ない話なのでその辺に首を突っ込むことはしない。

 生者の問題は生者に解決してもらう。それが人に取り憑いてる悪霊としての矜持だ。

 少し悪いなとも思うけれどやっぱり、そのラインを超えてしまったら、僕は僕ではいられなくなってしまう気がするから。

 あの、部屋の隅で無差別に呪うだけの存在に成り果ててしまう気がするから。


 ——ともあれ。こうして悪霊ぼくの内見は終了した。

 引越しをするかどうか。それは——先輩が壊した祠の件が解決してから決めることになるだろう。


(了)

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2DK、祠つき 里場むすび @musmusbi

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