第32話 推理


 田んぼと田んぼの間のあぜ道、ホワイトカーペットは旅館まで導く。二人は惨殺体を見た衝撃と恐怖のため、調査を引き上げた。もはや、彼らだけでは手に負えない領域である。

 長谷川は、口内に残存する胃液の酸味を、ぺっと吐き出した。奇妙な味わいは、当分、しつこくついて回りそうな予感がする。暖かなつばが、雪に縦穴を掘った。


「やはり、不可能だ。現場は犯人が出入りできない状態だった」


 長谷川は、イライラしたように、台詞を吐き捨てる。ずっと、あの場面は、小骨ように引っかかっている。その不合理は、口の中の胃酸みたいに、不快感を残していった。


「入口に扉はないから、犯人はいくらでも出入りできたんじゃないか」


 黒井は入り口を記憶から引っ張り出す。それは長方形の切れ目で、門と言って差し支えないが、冠木がない。 だから、コンクリートでできた円の切れ目、といった印象だ。とにかく、現場には、戸の開け閉めさえなしに、立ち入り可能だった。


「それが、そうはいかない。なぜなら降り積もった雪が、それを許さないからだ。あれに続く足跡は、三つのみだからな」


 もしも、犯人が侵入したならば、雪上に痕跡が残される。地面を歩かずに、あそこへ入るのは不可能に思えた。天井が開放されているとはいえ、建物の壁は滑らかで、到底、よじ登れるものではない。周辺の木々はこられ、飛び移ることも難しい。最寄りの樹木は、五メートルほど離れている。仮に幹からの跳躍が可能だったとして、結局、着地しなければならない。証拠はどうしたって発生するのだ。


「つまり、雪の密室か」

「そうだ。おそらく、最小の密室でもあるだろう」


 長谷川は言った。

 普通、密室殺人はブラックボックスがあるから成立する。殺人当時の状況が不明瞭なため、工作の余地が生まれる。だが、本件はどうだろう。足跡により、被害者らの動向は明らかになっている。雪の舞台、血だまりの中でさえ、死に至るまでの一歩一歩が克明に記録されている。


「そうだな。足跡がつかない方法があるんじゃないか。大型のドローンとかさ」

「そこまでする動機が分からない。死体を乗せれるドローンはさぞかし高価だろう。わざわざ、そんなことをするくらいならば、別の場所で殺せばいい。それに、この雪は去年と同じとはいえ、予報ではないことになっていた。だから、事前に準備していた、ということもない」


 彼女の言う通り、この謎に当たり、大がかりな、この状況のために制作した仕掛け、という線は薄い。


「足跡をなぞって歩いたとか」

「だとすれば、足跡の模様がつぶれたが、二重に見えたはずだ。どれだけ気を付けても、一つくらいはそうなってしまう」


 そして、そういう足裏は決してなかったのである。


「おんぶしたってのはどうだ。つまり、被害者は犯人に背負われていた。それか、被害者が被害者の背中に乗っていたのさ」

「まず、足跡の深さが同じくらいだった」


 同じくらいというのは、やや、右側、つまり、やがて血の足跡に代わる横筋の方が浅かったか。


「そして、血だまりというか、血混ざりの雪の上にも、人跡は二種類だった。背中にいたとして、どうしたって着地は必須だろう。まさか、背負われたまま切断されたわけでもない。そして、あの血の量からして、二人は現場で生きたまま解体された。ばらばらにして持ち込んだ、というのも薄いな」


 彼女は、自分の説明に吐きそうになる。おぞましい。悲鳴が彼女たちのいる村まで、響き渡らなかったのが不思議なくらいだ。もちろん、距離のためだが。


「ふと思ったんだが、動機の点からも、この事件は奇妙だ。一般的には、証拠を隠滅するために死体をバラバラにする。どうして、あそこに放置した」

「怨念じゃないか。顔もズタズタだったし、きっと精神的な理由だと思う」


 黒井は顔に着目する。あの切り刻み方は尋常じゃない。


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