第28話 幽霊


 黒井は、飲み物を飲み干した。自販機で購入したそれは、宿に戻るまでには、冷え切ってしまっていた。


 しかしながら、幽霊である。


 真っ白な少女。この現実は、そういう不合理を許しただろうか。じゃあ、仮に超常現象を受け入れるとして、なら、なんでもありだ。幽霊がいれば、超能力だって身に尽くし、妖怪は跋扈し、超科学は似非科学ではない。もちろん神も仏もあり、だから聖域だって存在しうるといえる。

 とすると、、、、、これから起こることは推理のしようがない、と考えてもらっても構わない。早い話、どんな事件にも、身も蓋もない仕掛けが起こりうる。密室があれど瞬間移動が真相で、そもそも事件自体が集団幻覚かもしれない。幽霊が殺したなら、壁なんて貫通だ。

 それはともかく、少女を含む長谷川ら三人は玄関で、女将と向かい合っていた。少女をどうするか決めるまでは家に上げられない、不文律らしかった。


「誰の子なのでしょうか。私は長いこと片田村にいますが、このような子供は存じません。このような、かわいい子がいたなら村中に広がると思うのですが。もしかしたら、雪の子なのかもしれませんね。今日は、大雪ですから」


 というのが、この旅館の彼女の意見だった。

 雪の子とは、民話めいた神秘さがある。ひと昔前なら、怪異扱いで、殺生されたかもしれない。もしくは、神としてあがめられたか。


「俺は、幽霊だと思っています。この子とは、長谷川は、昼間、山で遭遇していたみたいで。山は、霊界に続くともいわれますから」

「かもしれませんね。二上山は霊山だとも聞きました」


 黒井の説は、女将に受け入れられたようだ。死者の念が、我々の前で顕現しているのだろう、と。

 さて、その頃、長谷川と少女は、ややもめていた。


「覚えていないのか。なんという鳥頭。おい、私は親切にも、昼、助けてやっただろう」


 長谷川は、押しつけがましい台詞をもって非難し、子供の方を揺さぶる。不釣り合いな大きなの、子供の頭がかくんと揺れた。


「………………… ぅう」


 と、赤く目をはらした少女は、小さくうめいた。事件に巻き込まれた心の傷か、人見知りする性質なのか、あれから、ずっと質問に答えていない。


「泣くな。まずは私の質問に答えろ」


 長谷川の詰問に、ワンピースの幼女は首を横に振る。彼女はよくみろ、と涙をぬぐう手を押さえつけてまで、己の顔を確認させたが、それでも知らないとのことだった。


「おいおい。ちょっと、強引じゃないか」


 黒井は苦言を呈する。見てられなくなってきた。というのも、放っておくと暴力に発展しそうな気迫がある。現時点でさえ、色素の薄い手首は、強くつかまれたために、赤く手形がついているではないか。


「長谷川さん、雪の子が困っていますよ」


 彼以外の、もう一人の大人にもたしなめられてしまう。それで、突き放すように、子供の腕を離した。

 彼女の高圧的な態度は、子供の心をますます閉ざす結果となった。その後、質問を全く受け付けなくなったのである。怯えるようにして黒井の脚に隠れる。


「それでさ、君のお姉さんが殺される、って、どういうことだ」


 彼は、足元を見た。


「山の中。まだ、生きてるかもしれない」


 あっち、という風に指す。北、聖域がある方角だ。


「『聖域』。まあ、そんな気はしてたな。それで、それは山のどの辺かな」

「……………… 丸い輪っかのところ。石の」


 長谷川と顔を見合わせる。二上山の丸い構造物、トーチカのことに違いない。あそこで、今まさに、幼い命が消えそうになっている。


「私のお姉さんが、……… 殺されるかもしれない。私のために。戦いに行くって。双子の」

「わかった。俺が助けに行く」


 黒井の決心は早かった。迷いはなく即答だった。


「おい、黒井。やめろ。夜の森は危険だ。お前まで死ぬことになる」


 彼女は、使命感で冷静を失う、などない。冷徹に、小さな命と、彼の命を天秤にかけた。


「助かるかもしれない。それに、俺たちが助けなきゃ、誰が助ける。今も、この寒い中、助けが来ないことに絶望しているんだぜ。それが、どれだけ辛いのか想像できないのか」

「どうせ、この寒さなら死んでいる。警察に任せるべきだ。仮に死んでも、黒井、お前のせいじゃない。もし責任のありかが気になるなら、私が指示したと証言しても否定しない。法的な問題が発覚しても、私が罪を被ろう」

「そうじゃない。そうじゃないんだよ、長谷川。あと、警察は雪でこれないだろ」


 この大雪では、救助車両は除雪が完了するまで、動けない筈だ。


「それに、俺は過去に妹を救えなかった。身内を亡くす痛みがわかる。警察は真剣に動いてくれなかった。周りの人間も、身内でさえも。誰も俺達を救えなかった。そして、手が届かない場所へ連れてかれたんだ」


 黒井は、長谷川がなにか意見しようとするたび、蓋をするように、話をかぶせた。


「この子の苦しみを知ってるんだ。ここで、俺たちが動いてやらなかったら、人間不信になる。それがやがて、うつ病や自殺、犯罪者へとつながるんだ。永遠に幸せになれなくなる。責任重大だろ」

「なんにせよ、お前のせいじゃない」


 黒井は意に介さない。もはや、そこが問題ではないのだ。



「懐中電灯はありますか」


 といわれ、女将は、和室の収納からライトを取ってきた。黄色の製品で、遠くまで照らせそうな、ごつごつとした大きめの照明。彼女は、渡す前に、カチカチと押しにくそうなゴム質のボタンを入れたり消したりして、電池が生きているか検査する。


「待て。私も行く。方向音痴なんだろ。それに、たった一人で山を歩くなど自殺行為だ。なにかあった時、一人なら助けを呼べないしな。昼間の場所だろう」


 このことを見越されていたのか、懐中電灯は二つあった。


「私は、この子とお留守番しています。同行したところで、お役には立てないでしょう」


 彼女は残念そうに云った。


「その子を見ているだけでも、十分すぎるくらいですよ」


 彼は主張する。その子供は、寒さで衰弱している。休ませておかないと免疫が弱って、感染症に罹り、死に至るかもしれない。普段なら些細な病気が大事になる。


 さて、二人は一旦、部屋に戻り、防寒具に身を包んだ。本当は明日の服だが、こっちの方が清潔だし温かいと、黒井は厚手の生地である長袖を選ぶ。靴下は二枚履きだ。そして、コートを羽織った。

 旅館の主からは、チョコとカイロが支給された。


「あと、こんなのもありますが」


 トラばさみのようなものを差し出す。


「いいんですか。お金だけでも返します」

「いいんです。どうせ使いませんから」


 それは、アイススパイクだった。靴の上から装着可能な代物。彼はありがたく受け取った。


「革靴にアイススパイクを付けることになるなんてな」


 どうして、こんな靴を履いてきたのだろう、後悔先経たずだ。長谷川は、装着に難儀する彼に一言。


「雪が積もっているとはいえ、アスファルトに金属は滑る。入山前に履けばよい。それまではしまっておけ」

「そうだな」


 女将は、玄関で二人を見送った。外へ出ていく二人の姿は、南極探検隊を彷彿とさせる。長谷川が後ろ手で戸を引くと、鋭い外気が遮断された。誰もいない玄関の手前で佇む二人。私も頑張らねば、雪の子の手を引き、彼女は、暖かな和室へ向かった。

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