第8話金星襲撃

宇宙艦のフロントは合成ガラス張りになっている。ガラス越しにはるか遠くの恒星やそれらが集合した銀河系があたり一面にまき散らかされたように広がっている。紺碧のキャンバスに無数の白点がちりばめられていた。ボリスは、無窮の宇宙空間を眺めているとそれらに吸い込まれてしまいそうになる。しかしそのような錯覚はむしろ心地よいものとして彼に迎え入れられた。

「金星宙域に入りました、群司令」

 航海長が彼に告げる。彼は星々の大海に耽溺するのを中断して、目下の課題に対峙する。

「よし、そろそろいいだろう。やつを連れてきておけ」

 金星艦隊を戦闘不能にしておく。それは水星の叛乱を成功に導く上で欠くべからざる条件である。距離的に近い金星艦隊に鎮圧に動かれては、時間的猶予があまり少ない。また金星から産出されるクロム鉄鉱などの特殊な鉱物は宇宙艦の建造に必須であり、地球の生産力を低下させ、長期戦になることを防ぐという狙いもある。しかし彼の手元には一群三〇隻の艦艇しかなく、金星艦隊四群一二〇隻を艦隊戦で破ろうなどという考えは戦略ではなく博打に類するものである。そこで奇襲によって数の不利を補う必要があった。この奇襲を行う上で情報の隠匿は、最も困難でなおかつ重要な課題である。そこでボリスとニキタはヴァシレフスキーに命じて、軍通信局を真っ先に制圧した。しかし意外なところから情報の漏洩は起こった。陸戦部隊師団長のパーヴェル・カンディンスキーが拘束される直前に地球の総司令本部へと「水星にて叛乱勃発。至急救援乞う」という短い打電を個人的に行ったのだ。カンディンスキーは水星人を軍務から外すよう何度も警告していた。それは結果として慧眼だったのだが、個人的な嫌悪感によるところが大きかったらしい。彼は常々「朱色のサルに軍服を着せたところで人間にはならない」と同僚に漏らしていた。とにかく金星駐留軍に出動ないし警戒の命令が出されていることを考慮しなければならない。そこでそれを逆用することにした。そのためには一人の虜囚の協力が必要不可欠だった。まもなくヴィクトル・ヴォルコフは手錠をかけたまま連れてこられた。仮にも高級将校であったにもかかわらず、その足は恐怖に震えていた。

「わたしをどうするつもりだ」

 ヴィクトルは何度もどもりながらその短い言葉をようやく言い切った。司令官としての威厳は剥がれ落ち、その身の安泰のみを望む醜い姿がむき出しになっていた。

「ヴォルコフ中将閣下、ひとつ協力していただきたい。その見返りとして、もし我々が成功すれば閣下には水星革命軍にしかるべきポストを用意します。どうせ地球に帰ったとて水星失陥によって閑職に回されるのは確実です」

「お前たちが失敗したらどうなるのだ?」

 ボリスは「知ったことか」と突き放したい衝動を抑えて、どうすればこの男を思い通りに操れるか考えた。彼は心理操作の類は得意ではないが、ヴィクトルの望む言葉をあたえて背中を押してやるぐらいはできた。

「その時は閣下が無関係であり、協力していただいたことも脅されていたと地球側に伝えます。いずれにせよ閣下に不利益はありません」

「本当だな」

「はい、間違いなく」

 ボリスはこの時欺瞞ではなく、本心からそういった。彼はヴィクトルに憐れみを持っていた。地球本国では生まれと士官学校の成績さえよければある程度自動的に出世できる。しかしそれは能力に釣り合わない職責をあたえられるということでもある。過分な職責は本人にとってもその部下にとっても不幸である。ヴィクトルも器量の小さい男ではあったが、悪人ではなかった。今回のような事件がなければ、将軍として悪名も名声も残さなかっただろう。しかし祖先の水星への暴虐が彼の安逸な人生を台無しにした。ヴィクトルはその両肩に重すぎる罪科を背負わされた被害者でもある。

「わかった、協力しよう。なにをすればいい」

「感謝します、閣下。では金星に対して立体映像通信を行うのでこの内容を知らせてください」

 立体映像通信には距離による制約がある。具体的にはその通信目標を中心とした半径三千万㎞の球の内側でのみ明瞭なやり取りが可能である。また金星宙域に進入するまで待ったのには、相手に詐術を看破する時間をあたえないためでもあった。

「こちら金星駐留軍司令官ヴェデルニコフ中将である。どうされたか」

 相手はすぐに応答した。しばしの映像の揺らぎの後、鮮明な座像が現れる。口ひげをさわりながら足を組み、その尊大さを隠そうともしていない。

「水星駐留軍司令官ヴォルコフ中将である。現在、水星駐留軍内部で叛乱が起きた。私は命の危険があったため、一部の地球人士官を連れて退避した。したがって金星への着陸の許可をねがう」

「それは構わんが、ヴォルコフ中将貴官はたかが水星人の癇癪に恐れをなして尻尾を巻いて逃げ出したというのかね」

「二個陸戦連隊が叛乱を起こしたのだ。規模の大きく、しかも周到なものだ」

「ふん、それはご苦労なことだ。まあまともな司令官だったら未然に防げなかったことを恥じるでしょうな」

 ヴィクトルは唇をかんだ。ヴェデルニコフの言い分は正論であったが、敗残者をいたぶるのを楽しんでいるふしがあった。

「とにかく、着陸の許可だけは徹底していただきたい」

「わかった。貴官の失敗のせいでこちらは出動命令が出て忙しく出迎えはできないが、お許しを」

 最後までいやがらせに余念がないヴェデルニコフであった。ヴィクトルは通信を切り終えると舌打ちをした。そしてボリスに気が立った視線を向けた。

「これで満足か。私は部屋に戻ってもかまわないだろう」

「はい、閣下お疲れ様です」

 このまま艦橋にいてもらっても困るので、そうしてもらうことにした。ボリスはふたりのやり取りは脇において、次なる目標金星のことを思い出していた。彼は水星に赴任する前、金星で軍務についていた。その時も艦隊所属だった。金星駐留軍の所有する艦艇の数からその格納場所まですべて頭に入っている。また基本的にどの惑星の宇宙艦隊も船賊との闘いを念頭においている。地球上にはボリスらの本国と同等の規模の宇宙軍を持つ国など存在しない。過去に宇宙開発に乗り出そうとした国々には敵対の意思ありとして、先制攻撃を加えて阻害してきた。これによって他国は秘密裡に小規模の拙劣な装備の船賊を組織して、資源をかすめ取るぐらいしかできなかった。よって基地でも同戦力の艦隊からの攻撃を予測していない。対空システムや格納のカモフラージュも地球上の航空基地のそれと比べたら貧弱極まりない。

「金星大気圏に突入します」

「よし目標は金星軍宇宙港および隣接する宇宙艦格納施設だ」

 ボリスはこれから行うことにためらいがある。かつての同僚たちの上に核融合弾の雨をふらせるのだ。すべてはウラジミールの宿願を遂げさせるために。ボリスは水星独立の価値は理解していた。多くの水星人を数百年に及ぶ苦難から救い上げ、不平等を是正できる。しかしウラジミールらのようにそれに熱狂はしなかった。ニキタのようにその手で旧体制を破壊することを切望もしなかった。ボリスは所詮地球人であった。彼にとって水星の独立が貴重であった所以は、ただそれがウラジミールの願いであるという点にあった。彼にとってウラジミールとは革命の象徴でも信奉の対象でもなく、度し難いほどのお人よしで世間知らずの理想論者であった。ひとの本質は善である、話し合ってわかりあえないことはない、そんな幼年学校の生徒でも疑ってかかるようなお題目を本気で信じ、現実がそうでないと知れば現実の方を正しにかかるのがウラジミール・アシモフである。しかしそんな彼がたまらなくまぶしかった。ボリスは彼とともに夢を共有したかった。地球人と水星人が支配欲と憎悪を忘れて暮らしていく、そんな理想郷が容易に訪れるはずもない。しかし一瞬でもいい、夢がかなったと喜ぶ友人が見たい。ともに手を取り合って喜びたい。そうすれば彼のように世界が美しいものであると本気で思いこめるかもしれない。

「投下開始せよ、第一標的は対空光学砲台だ」

 ボリスはその手を同胞の血で汚す。友人と自分に夢を見せるために。対空光学砲台は、貧弱な防空システムの主軸であった。着陸予定の滑走路から大きくそれた艦群に対して金星軍宇宙港の管制塔からは再三停止命令が出ていたが、無言のまま爆炎と衝撃波で応答する。ボリスの率いる艦群はわずか十五分で砲台を破壊した。突然の爆撃に応射する機会すらあたえられず光学砲台は、その残骸と化した。

「艦群、方形陣を維持しつつ、格納施設上への爆撃を開始せよ」

 そうオープン回線で全体に宣告したのち、各艦に細かい命令を下した。ボリスは自らの手足のごとく艦艇の群れを動かす。どうすればより多くの艦艇を破壊できるか、より多くの人命を損なうことができるかそれのみを考えた。核融合弾の弾頭が地上面に触れるたびに炎とエネルギーの波濤が生命体と非生命体とを見境なく薙ぎ払い、そして等しく灰燼へと帰した。爆風によって飛ばされた残骸が艦艇を傷つけ、新たな残骸を生み出す。この酸鼻な連鎖反応はいたるところで起こった。格納施設では火災が起こり、その広がりによってボリスの想定以上の被害をあたえる。機略をめぐらせ、破壊をより効率的にするため火災がおこった場所を避けて爆撃を行った。核融合弾を使いつくしたボリスらは地上の阿鼻叫喚を後目に早々に離脱し、水星を目指す。

水星側の艦艇は一隻も損なわれなかった。対して金星側の被害は目算八割にのぼる。この事態は地球本国に水星で起きた叛乱が偶発的な暴動などではなく、周到な軍事クーデターの様相を呈しているということをはっきりと認識させるだろう。相手に対する憎悪と恐怖心こそが戦争を拡大再生産する。地球本国は水星に与えられた損害を屈辱とし、水星を彼ら中心の秩序を脅かす脅威と捉えるに違いない。彼らはこの惨状をそれ以上の血を流すことで覆い隠そうとするに違いないとボリスは確信していた。

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