第7話序曲

ニキタとヴィクトルの密談から一週間が経過した。司令本部は異様な静寂に包まれていた。呼吸するのも憚られるような張り詰めた空気が充満していた。それらを切り裂くようにいくつもの軍靴の足音が廊下にこだまする。そしてその音の一団はひとつの扉の前で収束した。集団のうち先頭のものが扉を蹴り開ける。そこにいた肥満体の男は大きくびくついた。乱入者たちのうちひとりが宣告する。

「ヴォルコフ中将、御身を拘束させていただく」

「エフレーモフ大佐どういうつもりだ」

 それを無視して、ボリスはレーザー銃を抜いて、まっすぐヴィクトルに向ける。そしてともに乱入した部下たちに指示を出し、かつての上官をイスに縛り上げる。レーザーガンに怯えたヴィクトルはされるがままであった。ボリスは憐憫の情をもって、その様を見下ろす。先刻までは水星駐留軍のトップとして強権をふるっていた男もいまやその命の行方すら掌握することの能わないあわれな虜囚に成り果てたのだ。彼は身の丈にそぐわない夢をみて、破滅を迎え入れた。これは自分たちの末路でもあるかもしれないとボリスは考えた。だが同時に無邪気な友人の笑顔を思い出す。この叛乱の行く末がいかようなものであるにしろそれだけは守らなければならない。数多くの部下を巻き込んでおいてむしがよすぎるかもしれない。むろん自分を信頼してくれる彼らの命も貴重なものである。しかし理想を語る友人の希望に満ちた表情にどうしようもなく魅せられてしまった。希望を現実のものにしてあげたい、その衝動は前途有望な青年軍人を叛逆者へと仕立て上げた。

「大佐殿、政府施設・軍各所の制圧が完了したとアントーノフ大佐・ヴァシレフスキー大佐両名から連絡がありました」

 しばらくしてそう言いながらニキタが執務室にやってきた。それをみたヴィクトルは愕然とした。

「おのれ、裏切ったな」

ニキタは視線を向けたが、その表情は変化に乏しい。

「卑怯者、殺してやる」

 その半狂乱の絶叫はニキタの眼中にも入らなかったらしく、無視して報告を続けた。軽くあしらわれたこともまたヴィクトルのプライドを深く傷つけたようでわめき続ける。

「おのれ、朱色の家畜どもめ、人間以下のくせに人の真似事をするな」

 それは冷静にみれば、負け犬の遠吠えでしかなかった。しかし内容ゆえにその場にいる水星人たちの怒りを買った。怒声があがる。ボリスは目配せをしようとニキタを見た。部下たちの激発をどちらが防ぐかの確認だった。しかしニキタの口元は引きつっていた。普段は感情の見えないその鉄仮面の裏側に怒りの奔流が渦巻いている。彼は腰のレーザーガンに手をかけた。殺させては困る。ボリスは瞬時にそう判断し、ヴィクトルを張り倒した。そしてそのまま気を失った彼にまたがって、繰り返し殴打する、死なない程度に手加減をして。部下とニキタの溜飲を下げつつ、ヴィクトルを救うための方策だった。ニキタはその様を見て冷静さをとりもどしたらしく「大佐殿、そのくらいで」と止めに入った。ボリスも演技を終えて、立ち上がる。ニキタは先ほどの怒りを心の奥底にしまい込んで、金属製とも揶揄される無表情に戻っていた。ボリスはこんな男にも我を忘れることがあるのだなと改めて驚く。水星人の地球人に対する恨みはそれほどまでに深いらしい。いやこの男は特別かもしれない。暴虐な父親の精神の根底にあった水星人への侮蔑と同じものをヴィクトルの最後のわめきから感じ取ったのであろう。ボリスはそれまで疑いの目を向けていたニキタを全面的にではないにしろ信用し始めた。彼の怒りは根深い。それは彼が陰険な策謀を弄して相手を陥れることに愉悦を覚える未熟な輩ではないということを示すことでもある。あくまで策謀は手段であり、その目的は水星と自身の受けてきた屈辱をすすぐことにある。また怒りの発露それ自体が好ましくもあった。人間は自らが不当な扱いを受けているときにそれを看過してはならない。自らを尊重できないものに他者を大切にすることなどできるはずがないとボリスは確信していた。

「アヴェーン少佐、俺は貴官を誤解していたようだ。申し訳なかった」

 ニキタの顔は一瞬当惑の色をみせた。ボリスがなにを企図してそんなことを言っているのかわからなかったらしい。

「いえ、大佐殿、お気になさらないでください」

 それは形式上のあいさつに他ならなかったが、ボリスはさしあたりそれで満足した。ニキタにわかってもらう必要はなかったが、彼を僚友として認めたということを伝えたかった。

「俺は金星艦隊の撃滅に向かう。貴官はウラジミールとともに他の士官を説得してくれ」

 そういうとボリスは後の処理は部下にまかせて執務室を後にする。叛乱はその序曲を奏で終わったにすぎないのだ。次なる使命が彼にはあった。


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