満杯

夢月七海

「床下収納の子供」


 読者の諸君は、「床下収納の子供」という怪談をご存知だろうか?

 おそらく、殆どの読者が初めて聞くと思われる。よって以下に、この怪談が語られた匿名掲示版の一部始終を載せる。




 これは初めて書くのですが、私が子供の頃の話です。

 当時、父親が家を買うことになり、私たち家族は色んな不動産を巡って、あちこちの住宅へ内見を行っていました。


 我が家の経済状況はあまり良くなくて、新築の家なんて夢のまた夢でした。ですので、中古の住宅を見ていたのですが、それでも家族全員が気に入る家は見つかりません。

 そんなある日、私たちはある不動産屋の案内で、郊外の一軒家を内見していました。何の変哲もない家で、細かい内装は覚えていないのですが、両親は妙にこの家を気に入っていて、不動産屋に普段よりも多く質問をしていました。


 それを聞いていてもちんぷんかんぷんだったので、私はその場を離れて、家の中を一人で探索し始めました。目についた扉を開けて回っていると、キッチンの床にも取っ手がついているのを見つけました。

 かつて住んでいたアパートには無かったので、興味を持った私はその取っ手を掴んでみました。何度か試行錯誤した後に、その取っ手が上へと開きました。あの頃の私は知らなかったのですが、それは床下収納だったのです。


 ワクワクしながら、床下収納を覗き込んだ私は、その場で硬直してしまいました。

 まず、目に入ったのは黒い丸、でした。抱えられるほど、大きくて黒く艶のある、丸。そのすぐ奥に、白い二つの丸。黒い丸よりも、ずっと小さい。三つの丸は、逆三角形の位置で、並んでいました。


 頭と膝小僧だ、と理解するまでに、時間が掛かりました。体育座りの体勢で、一人の人間が、この床下収納に収まっていたのです。よく見ると、側面に接触するように細い腕らしきものも入っています。

 どうして、ここに人間が、と疑問に思う間もなく、その人間が、首を巡らせました。顔の部分を、私の方に向ける、と思うと、目が合いました。


 相手は子供でした。曇りのない真っ黒で美しい瞳が、私を見つめ返します。よく見ないと気付かないほど、口が小さく開いています。何か言いかけている、そう思った瞬間、私は床下収納の扉を閉めていました。

 すぐに、その場から逃げるように離れました。後ろを振り返らなかったのですが、あの瞬間の子供の顔が、何度も脳裏に蘇ります。やっと見つけた両親と不動産屋さんのいる部屋に入り、そこにずっといました。


 何か不都合があったのか、両親はこの家を選びませんでした。誰にも自分が見たものを話してはいなかったので、私は密かにほっと胸を撫で下ろしました。

 現在では、あの家がどこにあったのかも覚えていないので、床下収納にどうして子供がいたのかを、調べることはできません。あの家がどうなったのかも。


 今も、あそこにあの子はいるのでしょうか?




 ……というのが、「床下収納の子供」と私が名付けた、体験談である。

 そして、この体験談と同じ内容が、ネット上に多数寄せられている。


 しかし、「同じ体験を複数人がした」という怪談は、特に珍しいものではない。前の章でも話したように、同時代的に場所など関係なく、同じ怪談が突然語られるという現象は何度も起こってきた。

 ただ、この「床下収納の子供」にだけ備えた特色がある。その一つが、パターン化していないという点である。


 怪談というものは、語られていく内に、複数のパターンに分かれていく。「トイレのハナコさん」のように、何番目のトイレなのか、なんと呼びかければ応えてくれるのかは、地域や時代によって異なっていくのが定説だ。

 しかし、この「床下収納の子供」の怪談は、異なるパターンがない。それどころか、人称や敬語かどうかの違い以外、語り口と比喩も含めた表現方法も、すべて一致している。


 私は、とあるブログでこの体験談を載せていた人物に、「貴方と同じ体験をした人がいますよ」と、そのブログよりも新しく公開されたSNSの体験談のURLを紹介した。殆ど同じの文章を見れば、「あっちはパクリです」と言ってくるのかと期待したのだ。

 だが、そのブログの執筆者は、「僕以外にも、同じ体験をした人がいるのですね!」と驚いた返信をしただけであった。同じ実証を何人かに行ってみたのだが、なぜだか、パクリだと言い出す人物は一人もいなかった。


 「床下収納の子供」のもう一つの特色は、先程の体験談をすべてコピ&ペ―ストで、検索をかけてみればすぐに分かる。九割一致する検索結果が、丁度百件出てくるのだ。

 インターネットの世界は、移り変わりが激しい。昨日読めた文章が、今日は消えているという事も多々ある。


 それなのに、この「床下収納の子供」の体験談は、この日一つの文章が消えると、その日のうちに、誰かが同じ体験談を載せる。必ず「これは初めて書くのですが、」という前置きをつけて。

 私は、この体験談をしてくれた人物に細かく質問をして、彼らが本当に「床下収納の子供」に遭遇したのだと確信した。どこかからの引用にしては、しっかりしたリアリティがあるからだ。


 よって、私は次の仮説を立てている。どこかで、「床下収納の子供」の体験談を書いたネット上の文章が、何らかの形で失われる。すると、過去に、「床下収納の子供」と出会ったことのある人物が、不意にそのことを思い出して、ネット上に書き込む。そんなサイクルを、ずっと繰り返しているのだろうか。

 つまりは、現在も、住宅の内見中に、床下収納を開けてしまい、そこに収まっていた子供と目が合ってしまった、という子供が、生まれているという事だ。


 今も、あそこで子供が出会っているのでしょうか?



















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満杯 夢月七海 @yumetuki-773

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