第33話 みんなで 笑いながら

― まさに心身ともに熱い夏が過ぎコンクール地区大会前日 -


珠洲先生は明日のコンクール地区大会前日、先生のコネをうまく使って市の文化会館大ホール一日いっぱい使ってのリハーサルとなった。


珠洲先生は式台に立つと私たちを見回して、一人ひとりの心に訴えかけるように、落ち着いた声で


「明日は、地区大会です。みなさんは、本当によくやっていると思います。おそらく他校も私たちと負けないくらいの演奏をしてくると思います。しかし、私たちは他の学校と全く違っています。私が何度も繰り返しているから判っていると思いますが、音楽は自分たちが楽しんでこそなのです。他の学校とほ、その時点で全然違った演奏が私たちにはできるのです。そこのところを自覚して、自信を持って演奏を楽しみましょう。それでは、一回通しで吹いてみましょう。行きますよ、ワン、ツゥ~


~~~♪♬


恵子さん、さっきの通しで、何か気になる所、吹きづらいとか、何か違和感みたいなところはありませんでしたか?」


副部長は、しばらく、楽譜を見つめた後、何かに気づいたのか、はっきりとした口調で


「大体はうまく演奏できていると思います。ただ、全体的に余裕と言うか、ゆとりがない響きがある様な気がします。」


珠洲先生は、大きく頷いた後、譜面台をタクトでコンコンと叩くと


「そうです。その通りです。みなさんは…」


と、珠洲先生は空席のファーストクラリネットをタクトで指すと


「是が非でも、全国大会に行かなくてはならないと、気負っているのです。それでは、自分たちが楽しい演奏ができず、結果お客さんにも楽しませず、審査員も楽しくないという。最悪の結果になってしまうのです。そうですね。どうしましょう…」


と、珠洲先生は腕組みをしてしばらく考えた後、何かを思いついたのか


「面白いことを考えました。ちょっと待っててください。」


と言って、舞台から降りてホールから出て行った。しばらくするとホームビデオカメラと三脚を持って現れた。そして、珠洲先生は三脚を客席に設置すると、ビデオカメラを持ちながらステージに上がってきた。


「それでは、これから園田さんに向けてのビデオメッセージを録画しようと思います。ここは、部長の彩から一言もらおう。」


と言って、まるで子供のいたずらの様な顔をした珠洲先生は、部長に対してグイっとアップで撮影を始めた。


急に、撮影対象をふられた部長は、軽く混乱しながらも、にっこりと笑って


「玲ちゃん、お姉ちゃんは寂しいよ。早く元気になってなでなでさせてちょうだい。そのために、今一生懸命玲ちゃんの席は恵子が暖めているから、安心して頂戴、復帰したら暖かくて座り心地がかなりいいのは保証するわ。もし、悪かったら恵子のせいよ。」


と言ったのをさらに珠洲先生は煽るように、てくてくと歩きながら


「おおっと、彩選手。園田さんの席が冷たいと恵子選手の職務怠慢だと言っていますが、実際のところ恵子選手。暖まってますか?」


と今度は、副部長をアップで撮影し始めた。困惑気味の副部長は、いきなり部長に挑発を受けた返しとして、にんまりと笑うと


「彩、あなた、私にそんなこと言っていいの?私知っているのよ、音楽室で誰もいないときに、園田さんのクラリネットのリードをぺろぺろ舐めているのを…」


副部長が、言い終わらないうちに、部長は副部長のところへ猛ダッシュで走ってくると副部長の口を抑えながら


「はは、何を言っているのかしら、おほほほ。やあねぇ、まるで小学生が好きな子のリーコーダー舐める様な、そんなことあるわけないじゃない。」


と、部長は口元が笑みを浮かべていたが目は全然笑っていなかった。


その時部員一同、あまりにもやばい変態がいると思って爆笑の渦ができた。それを見届けた珠洲先生は、客席に行って三脚にビデオカメラを設置すると


「さぁ、これから園田さんだけに向けて課題曲と自由曲を吹きましょう。楽しくね。にしても、彩はやばいやつだと思っていたが、ガチだとはお兄さん知らなかったよ。」


と言うと、再びステージにはクスクスと笑い声が漏れていた。その時、部長の顔は茹でたように真っ赤になって、副部長はしてやったりと不敵に笑っていた。雰囲気がかなりゆったりとなったのは、その場にいた全員が感じたことだった。


珠洲先生は、笑いを堪えながら、タクトを掲げると


「行くよ~、せぇのぉ、ワン、ツゥ~


~~~~~♪♪♬


最後のフィナーレが終わった後全員確かに何かが違った手ごたえが感じていた。その時の園田さんに向けての演奏は純粋にコンクールためでなく、ただ、みんなが楽しく、思い思いに演奏したのだった。それが、全員に理解してもらえたのが確信できたのか、珠洲先生は、真剣な表情で


「みんな、今の演奏は最高だったよ。きっとみんなも何か違った手ごたえがあったでしょ。それが、楽しい演奏の証なんだよ。それは、このホール全体に伝わるものなんだ。それを覚えて明日を頑張ろう。」


と言って、珠洲先生は式台から降りて、ビデオカメラに向かうと、


「園田さん、みんなが待っているよ。早く元気になって


ー みんなで 笑いながら -


演奏しようね。」


と言って、先生はビデオカメラの録画停止ボタンを押した。

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