つまらないものなんかない世界で

憂杞

つまらないものなんかない世界で

 つまらないものばかりの日常を、私は過ごしている。例えば日曜日の昼時。なんてことない晴れ空の下の一軒家で、家族と食事を摂っている今の時間。週二回限りのこの習慣は特別でも何でもなく、スキップボタンが恋しい動画広告みたいな時間の一つでしかない。

『……こちらは郊外で起きている爆撃の映像です。二月末に開始された北方の国の軍事侵攻により、半年以上が経った今も現地では犠牲者が相次いでいます……』

 テレビから遠くの国々についてのニュースが流される中で、両親も兄も私もなにも喋らない。ややあって母が口火を切ったかと思えばご近所付き合いの愚痴で、父は対抗するように仕事の愚痴を並べて、それを聞きながら兄は気まずそうに喉を鳴らすだけだった。

 ――おい、箸止まってるぞ。

 いつもの口振りでカレに諭され、私は白米を一口頬張る。わかってるってば。いつからあんたは私の親代わりになったの。

 本物の親たちの口論は互いの愚痴にまで発展して、このまま十分は続きそうな勢いだった。私は逃げるようにテレビへ視線を逸らす。戦火で子供を亡くして泣いている異国の女性を観て、二人ともなにくだらないことでわめいてんだと苛立ちが募った。


 中身のない休日を過ごした翌日、私は高校をサボることにした。自転車で家を出てしばらく走ってからそっと通学路を逸れて、近くにある自然公園に立ち寄って東屋のベンチに腰掛けた。周囲でうっそうと茂る緑を揺らす風は、幸い今は鳴りを潜めている。辺りに人がいないことを確認してから、体調を崩しましたとスマホで学校に連絡する。今ごろ家事に追われているであろう母の了解はもちろん得ていない。

 ――またこの公園か。ここに逃げるの好きだな。

 カレに鼻で笑われる。うるさいなあ。良い場所がここしかないだけで好きではないってのに。私はもう一度周りに誰もいないことを確認する。それから制服のブラウスとスカートを脱いで、教科書を根こそぎ抜き取った学生鞄に詰め込んだ。あらかじめ下に着ていた黒無地のTシャツと短パンが露わになる。

 とにかく落ち着ける場所に一人でいたい。お行儀の良い団体行動を強いる高校になんか行きたくない。そこにいるクラスメイトらが気の許せる相手ならまだ良かったけれど、三年に上がってもみんなどうでもいい内輪話ばかりして、成績やら部活やらのどうでもいいことばかりですぐ争って、そこから距離を取るだけでも無駄に気を遣って心も時間も浪費させられる。先生は不満を打ち明ける私に何も応じないどころか、休み時間にわざわざ人のいない特別教室へ逃げる私を、生徒らと一緒になって白い目で見たり口出ししてきたりする。子供でも大人でも人間って変わらないんだなとつくづく思わされた。だから私も学校に行ってまで大人にならなくていいと思った。

 ――最後のはこじつけだよな。目的は何であっても行きたくないんだろ。

 うるさい。

 ――行こうが行くまいが、結局は時間を浪費するだけのくせに。

 うるさいってば。

 私ははやる気持ちでスマホの画面に指を置いた。ブラウザアプリを立ち上げて、昨年から利用しているWeb小説投稿サイトにアクセスする。

 私が一昨日更新した連載小説の反応ログを見る。最新話の閲覧数、ゼロ。いいね、ブックマーク、感想、ともにゼロ。

 その日から全く動いていない記録を見て、胸の内に不純物が溜まっていくのを感じた。

 ――こんなの気にするだけ時間の無駄だろうが。

 わかってる。そもそも反応があればすぐメールで通知が来るように設定してあるから、通信障害でもない限りわざわざサイトまで見に行く必要がない。なのに私は最新話を上げてから事あるごとに、寝る間さえも惜しんで、わかりきった記録を確かめに行くという自傷行為を繰り返している。

 ――いっそ非公開にしようとは考えないのか?

 いまさら非公開にすることなんてできない。いや、しようと思えばできるけれど、この連載は全六章予定のうち二章は書き終えて公開しているし、一章までは感想を書いてくれた読者だっている。その人か、その人じゃない誰かがいずれ読むかもしれない。だから……

 ――だったらなおさら非公開にした方がいいだろ。読む側もお前も心と時間を浪費しているってわからないか?

 一瞬、呼吸が止まった。

 私が、私の文章が、大切な読者の心と時間を浪費している。カレが――私の脳内に棲みつく空想上の彼が――私にはっきりと告げる。

 ――つまらないんだよ、お前の話は。お前がつまらないと見下す奴らの百億倍くらいはな。

 つまらない。私はつまらない。つまらない……

 カレが言う私へのつまらないは、スマホの画面に映る数字で明確に裏付けられていた。

「……わかってるよ」

 私はカレにしか聞こえない声で呟いた。私だって、つまらない奴のつまらない話なんか相手にしたくない。つまらない奴は聞き苦しい雑音を生むだけの機械で、他者を不快にして回るだけの毒でしかない。つまらない奴は私にとってそういう存在で、誰にとってもそういう存在で、私は、私以外の全員にとってただのつまらない奴で、ただ不快になるだけの存在としてしか認められていない。ただそれだけの、単純な道理なんだ。

 ――そんなわかりきったことばかり思うからお前はつまらないんだ。

 わかってる。本当は以前からずっとわかってた。本当は、私だけがつまらない奴で、私だけがつまらないように物を見ているだけだって、自分で小説を書くうちに分からせられていた。私にはつまらない世界観のつまらない話しか書けない。せっかく戦争も貧困もない自由な国の比較的裕福な家庭にいて、一日三食も欠かさず食べて、たくさんの娯楽というインプット源に囲まれて過ごしているというのに、私はその時間の全てを貴重だと思うことすらできない。私が勝手に自分を傷物に仕立て上げて、勝手に世界はつまらないだなんて嘆いてばかりいる。

 私、どうしてこんなにつまらない奴になったんだろう。

 ――俺たち、どうしてこんなにつまらなくなったんだろうな。

 ああ、そうだ。私一人だけじゃない。カレのことも、つまらない弱音ばかり吐くつまらない奴に変えてしまった。

 カレと二人きりで喋るようになったのは……いつだったか覚えてないけれど、きっかけには心当たりがある。カレは私が高校生になりたての頃に初めて出会って、初めて虜になったファンタジー小説の主人公にそっくりだったから、たぶん彼をベースに人物像を思い描いたんだと思う。あの小説は、私でも夢中になれるものがあることを教えてくれて、勇者という称号が似合うあの主人公は、勇気を持って誰かを救うことの美しさと尊さを教えてくれた。

 そんな彼を私は脳内で私物化して、私の中のどす黒い色を滲ませて、私にそっくりなつまらない奴に変えてしまった。

 ――描くべき対象を何もかも貶めるあたり、作家として終わっているのかもな。

 ――小説を好きになったからって、自分で書こうなんて思わなければよかったのに。

 ――お前の話はつまらない。つまらなさを隠すだけの才能もない。これ以上書き続けたって、他人も自分も無意味に傷付けるだけだ。

「やめてっ!」

 私はベンチに座ったまま頭を抱えて叫んだ。醜悪になった彼から早く解放されたかったし、私の醜悪さに染まった彼を早く解放してやりたかった。けれどどんなに念じてもそれだけはいつもできなかった。彼はもうカレとして、私の一部になり果てている。他人とはいくらでも物理的距離を取れるけれど、自分自身とはどう足掻いたって一生付き合っていかなければいけないんだ。このまま、私がいつまでも彼にすがり続けるうちは。

 ねえ、私の中の私。

 やっぱり私は小説なんてやめるべきなのかな。

 ――お前がそう思うならな。

 侮蔑を込めた肯定をカレは返してきた。カレはあくまで私だけのために存在して、難癖こそ付けても基本的には私の意思を尊重する。そんなカレが促すのなら、やっぱり、こうした方が私たちのためかもしれない。

 スマホのスリープモードを解除して、連載小説の編集画面に飛ぶ。この作品を削除、と赤文字で表示されたボタンをじっと見つめる。呼吸が浅くなるのを感じながら、私はおもむろに親指を動かして、そのボタンを押そうとした


「ねえ、おねーちゃん」


 不意に、正面からいたいけな声が聞こえた。

 座ったまま膝のあたりを見下ろすと、その声の主がいた。肩甲骨あたりまでつややかな黒髪を伸ばして、桃色の涼しげな花柄ワンピースを着た五、六歳くらいの女の子が、私の正面にちょこんと立ってにっこり笑っている。

「ねえ、おねーちゃん。なにかおはなししてー」

 抑揚に乏しい女の子のおねだりに、私は言うまでもなく困惑した。……そもそもこの子は誰? 一人? 両親は? 幼稚園は? なぜ急に? なぜ私に? 問い質したいことは山ほどあるけれど、待ち遠しそうにぱっちり開く女の子の両目は、そんな疑問は些事とばかりに陽の光を跳ね返している。

「えっ、と……お、お話って……どんな?」

 私は困惑を隠しもしない辿々しい口調で訊ねる。幸い、相手が子供だからか普段よりはまだ会話がしやすい方だ。女の子が質問に答える。

「あたしね、おかーさんがよむえほんがすきなの。でもさいきんはあたしがおおきくなってよんでくれなくなったから、おねーさんによんでもらいたいなって」

「え……」私、絵本とか持ってないのに? どうして私なら読んでくれると思ったの? 私は図書室にあるような児童文学にも興味を持てなくて、あらすじを覚えている童話なんて桃太郎くらいしかないのに。

「ねえ、なにかおはなししてー」

 女の子はあろうことか、今にも泣き出しそうな顔でぐずり始めた。まずい。下手に突っぱねて大声で泣かれでもしたら、私の居場所がバレる上にこの子まで近所迷惑と呼ばれかねない。近くに親らしき大人が見当たらないから、今の彼女の保護者は私ということになる。どうしよう。ああ、もう、ならいっそのこと。

「あ、い、いいよ? ……あの、何のお話を聞きたい?」

 私は女の子に、いわゆるお題を求めた。話せる物語がないなら、いっそ自分で創ってしまえばいい。作家の私なら、それができるはずだから。

 問いかけを聞いて目を丸くした女の子は、しばらく考えてから嬉々として答えた。

「うーんとね、よそのくにのおはなしがききたい!」

「……よ、よその国?」

 どきっとした。物心ついてからたった数年の子たちは、昨今の世界情勢なんて聞かないようにしているのだろうか。それはある意味で幸せなことではあるのだろうけれど……昨日にも一昨日にも、先月にも先々月にも先々々月にも繰り返された、戦争のニュースが延々と脳内によみがえる。

 私はミキサーのごとく頭をフル回転させた。自分の想像にある残酷さをそのままぶつけてはいけない。幼く繊細な心を傷付けない柔らかな、それでいて的確に伝えたいことが伝わる言葉で。浮かび上がってきたいくつもの言葉の羅列を、冒頭から順番に少しずつ少しずつつないで文章にしていく。頭の中で物語が芽を出して、枝を伸ばして、葉を広げるようにして、大きく形を成していく。やがて、深呼吸をしてから口を開く。

「……わかった。じゃあ……お話、するね」

「ほんと? やったー!」

 私は、子供をあやす母親のまどろむような声で、ゆっくりと思い描いた文章を読みはじめた。


北のくにとしょうねん


 北のくにへ行ってみたいと、ある日しょうねんは母にいいました。

 しかし母は、北のくににはわるい王さまがいて危けんなのよ、といって反たいします。

 いつもはやさしい母なのにこの日はきびしくしかられて、しょうねんはへそをまげてしまいます。そして、母にも父にもないしょで、一人でふねにのって北のくにへ行ってしまいました。

 そこでしょうねんはおどろきました。北のくには危けんであるどころか、たべものがおいしくみどりもゆたかな、たのしいくにだったのですから。

 ひととおりあそんでまん足したところで、ふとぎもんにおもって、しょうねんはみち行く人にたずねました。このくにが危けんといわれているのはなぜですか、と。

 するとその人はかなしそうなかおで、このくにの王がもうすぐせんそうをはじめようとしているからだよ、といいました。

 せんそうってなに? というしょうねんのぎもんに、その人はこたえました。じぶんたちのくにのほしいものを、ほかのくにからうばうために争うことだよ。この争いというのがね、すごくこわいことなんだ。じぶんたちのくにがかつために、あいてのくにの人たちをみんなころしてしまうからね。子どもたちがかよう学こうも、公えんも、家ぞくがくらすたいせつな家もみんなもやしてしまう。そこにいるなにもわるいことをしていない人たちはみんなしんでしまうか、みんな不幸になってしまうんだ。

 そんな、としょうねんはかなしみました。この北のくにはじゅうぶんいいくになのに、ほかのくにを不幸にしてまでなにをほしがるのだろうとおもったのです。

 いまから王さまにあいに行ってくる! としょうねんはさけんで、はなしをしてくれた人がとめるのをきかずに、北のくにのまん中にあるおしろへ走っていきました。

 おしろの中にはいると、なん人かのけらいにかこまれて、りっぱないすにすわった王さまがしょうねんを見おろしました。そのすがたはいまにもひざまずきそうなほどのいげんにみちています。しかし、よく見るとぼくの父におかおがにているなとしょうねんはおもいました。

 王さま、どうかせんそうをしないでください。しょうねんがはっきりいうと、まわりのけらいがいっせいにしょうねんへやりを向けます。よそものがなんてぶれいなことを! けらいの一人がさけびました。

 しかしそんなけらいたちを王さまはなだめて、話をしはじめました。うみのむこうから来たしょうねんよ、きみにはわからないだろうが、王さまというものは大へんなのだ。このくにがどんなによくても、よりよいくにを、さらによいくにをめざさねば、人びとはふまんをもってしまう。わしはそんなよいくににいちはやくするために、ほかのくにからよいものをうばうことにしたのだ。もう、じみちにやることにはつかれたのだよ。どこでだれがしのうがなにもおもえぬくらいにな。

 しょうねんは王さまをかわいそうにおもいました。じつは、けらいたちもこの話をきくのははじめてで、ひっそりとおなじように王さまをあわれんでいました。

 王さま、よかったらぼくといっしょにあそびましょう!

 しょうねんはおもいついたようにそういうと、王さまとけらいたちをおしろのそとへつれだしました。王さまはこまりはてましたが、けらいたちはそういうことかとなっとくして、行こう、行こう、とさそいにのってくれました。

 それからしょうねんと王さまとけらいたちは



「……ミサ! こんなところにいたの?」

 急に女の子の後ろから大人の声が聞こえて、ふと我に返った。カジュアルな大人の女性の服装をした若い声の主が、振り返って「あ、おかーさんだ!」と叫んだ女の子のもとへ駆けてくる。母親が来たのだと、私は二人の顔を見比べて理解した。ずいぶん探し回っていたらしく、母親は安堵のため息を深々と漏らした後、すぐに私に向き直って頭を下げる。

「すみません、うちの娘がご迷惑をおかけして」

「あ、い、いいいいえ、わ、わたしは…………」

 目上の人相手にコミュ障の私は呂律が回らなくなる。いや、こうも私が動揺しているのは、きっとコミュ障だけが原因というわけではない。

「本当にすみません。さ、行くよミサ」あわてふためく私に母親は苦笑いを浮かべると、女の子の手を引いてこの場から離れようとする。

「まって!」

 その時、雷を落とすかのような大声を上げて、女の子は手を振りほどいた。

「まだおはなし、さいごまできいてないからまって!」

 私は思わず「えっ」と声を漏らした。それを責めるかのように、無垢な視線がこちらに突き刺さる。女の子がまくし立ててくる。

「ねえおねーちゃん、しょーねんはこのあとどうするの? 王さまとけらいたちといっしょになにをするの? 王さまはせんそーをしてしまうの? ねえ、このあとどうなるの?」

 私はたぶん、口を半開きにしたまま固まっていて、目だけは女の子と母親の顔とを反復横跳びの速さで往復していた。せんそー、と女の子が口にした瞬間、母親の表情が少しだけ引きつるのが見えてしまった。

「ねえ、おねーちゃん!」

 何も喋れない。うまく息ができない。だって、母親も戸惑ったような顔で私を見ているから。戦争も社会の汚さも私より知っていそうな大人が、私の馬鹿みたいな作り話を聞こうとしているから。

 だって何だよこの聞き手を馬鹿にしたような話は? 子供が保護者なしで船に乗るなんて現実ではあり得ないし、遊び歩く金を持っているわけがないし、観光に来ただけの子供を実際の国王が相手にするわけがないじゃん。子供がどうにかできる相手ならそいつは王になんかなってないし、そもそも実際の王がどうして戦争をするかなんて知らないくせに知った風な口を利くなよ。現実に即してなさすぎる、聞く価値のないホラ話だ。現実でもこの話ほど上手くいくなら戦争なんてとっくに……

 ――おい。

 …………なに?

 ――最後まで話せ。読者が待ってるだろ。

「おねーちゃん? どうしたの?」

 女の子に呼ばれて初めて、自分の頬がびしょびしょに濡れていることに気付いた。

 二人に見られないようにあわてて顔を伏せる。伏せたまま、もう一度口を開く。

「ご……ごめん、ごめんね……それから、それから……」

 思えば私はいつもネットの画面越しに、サボり魔や親不孝者といった素顔を見せずに執筆をしていた。ただ私だけの意思で自由に扱える言葉で、自分の汚い部分を隠したまま、いかに綺麗事を他人に美しく見せるかを追い求めていた。

 それが、今も許されるなら。私が思い描いた尊さを、私の思い通りに明かせるのなら。

「それから……しょうねんと王さまとけらいたちが、どうしたかっていうとね……」

 私は物語の続きを語る。物語が私の続きを語る。

 心に引いた境界線を越えて、私だけの言葉があふれ出す。



 それからしょうねんと王さまとけらいたちは、いっしょになって一日じゅうあそびました。ゆうえんちへ行ってジェットコースターにのったり、おかしをたべたり、公えんでたくさんのみどりにふれたり、北のくにの人たち全いんもさそってディナーをたべたりしました。

 やがて、日がくれてお月さまがのぼったよるに、王さまはしょうねんとけらいにいいました。わがくにはこんなにすばらしいのに、わしは王でありながらきづかなかった。このくにはほんとうにたくさんのいとなみと、しぜんと、やさしいこく民にめぐまれている。そんなこく民のみなも争いをのぞまないなら、よし、せんそうなんかやめにしよう。今日も、あしたも、これからもどのくにも、みながしあわせにくらせる世かいをめざそうではないか。

 王さまのたからかなせんげんに、しょうねんもけらいも北のくにの人びともかん声をあげてよろこびました。

 しょうねんはじぶんのくににかえると、よそのくにぐにをすくった英ゆうとしてたたえられました。それからしょうねんの家ぞくはみのまわりの人たちのしゅくふくをうけて、いつまでも、いつまでもしあわせにくらしましたとさ。

 おしまい。



「……ありがとう、おねーちゃん! たのしかった!」

 途中で何度も詰まりながら話し終えると、女の子は微笑ましいくらい上機嫌な声でそう言ってくれた。

 けれど、それ以下やそれ以上の言葉が他に返ることはなかった。それに……楽しかった? 戦争の話が? 覚えたてかのように無邪気に放たれた言葉が魚の小骨みたく引っかかって、私はどうしても素直に喜ぶことができなかった。

 直後に、母親は改めて「ほら行くよ」と女の子の手を引いて、私への挨拶も忘れてそそくさと背を向けて行ってしまった。少し離れてから母親が女の子に何かを話しているようだったけれど、遠くてやり取りが聞こえないまま二人は道路の奥へと消えていく。

 やっぱりつまらなかったんだろうな、私の話。

 実際、吐き出してみたらなんてことないお伽噺だった。小学生でも書けそうなくらい短絡的な文章だし。そもそもどうして私は小学生未満に、誰も聞きたがらない戦争の話なんかしたのだろう? 子供相手でも現実主義を捨てきれないなんて、やっぱり私はつまらない奴なんだ。

 私の書き下ろし新作とたった二人の貴重な読者は、残暑の蜃気楼みたいに揺らめいて、きっと形に残せないまま忘れていくのだろうと思った。



 ――けど、悪くはなかったんじゃないか。

 うなだれて視線を下げた先に、再びスリープモードになったスマホがあった。解除してすぐに、作品を削除する赤文字が目に飛び込む。私はおもむろに親指を動かして、そっとブラウザアプリを閉じた。

 ――即興でそれだけ吐き出せるなら、作家としては悪くないのかもな。まあ、もっと色々と勉強した方がいいとは思ったが。

 ついさっき私をつまらないと断じたカレが、いともたやすく私を褒める。かつて愛した小説で出逢った彼は、困っている人なら見ず知らずの相手でも優しくする少年だった。

 私の汚れを吸ったカレの優しさは少し気味悪いけれど……そんなカレでも寄り添ってもらえると悲しみが薄れていく。私はあの先生の創作に支えられて生きているんだなとつくづく思う。

 私にも、誰かを支えられるような創作ができないかな。

 ――お前がそれをしたいならな。

 私はフッと笑って、またブラウザアプリを立ち上げる。連載小説に書くいいセリフが浮かんだから、次話の下書きにメモ程度に書きとめておく。

 この連載小説の主人公は、カレによく似た人物像をしている。

 ――知ってるよ。俺はお前だから。

 カレにそっくりな彼を書くのははっきり言って苦行だ。カレに似た――つまり私に似た醜悪さを、どうしても詳らかに描写する羽目になるから。

 それでも私はカレのことを吐き出したかった。このまま私の境界の内側に、私だけの存在として閉じ込めてもいいけれど。

 かつて私を救った光を受け継いだカレだけの輝きを、私だけが知っているから。

 誰かが聞いてくれるような言葉で、つまらなくなんかない言葉で、私はカレの存在を叫びたい。美しく尊い姿のカレを、誰かのための新しい光としたい。

 それができれば私も上を向いて、つまらなさばかりに目を向けなくてよくなるはずだから。

 ――お前自身ももう少し強くなれ。また中途半端に折れないように。

「わかってる」

 私は自分だけに聞こえる声でささやいた。

 スマホの時計はもう正午過ぎを示している。私は母が作ってくれた弁当を座ったまま脚の上に広げながら、いったん家に帰るかこの場で連載の続きを書くかをカレと話し合うことにした。

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