僕だけ居残りになった話

遠野柳太郎

僕だけ居残りになった話

 約二十年前、パソコンのインターネット接続は毎回手動で繋ぐ必要があった。画面上に表示されるポップアップの「接続」ボタンをクリックすると「でぃーんどぅんどぅんどぅんびーびーびーばーばーばー」という歪んだ電話のコール音のようなものが流れ、それを数分聞かされてからようやくウェブページにアクセス可能になる。

 そんな手間をかけていそいそと通っていたのは某美少女アニメのファンコミュニティ掲示板である。僕の中学時代はまだ微妙にオタクがメジャーな存在にはなっていなかったので、学校で友達と話せるのはジャンプ系のアニメが限界だった。流石に深夜に放送されていたゴスロリ衣装の少女たちが戦いを繰り広げるアニメまで知っているヤツは僕の同級生にはいなかったし、堂々と喋れる雰囲気ではなかったのである。だから自分の顔を晒さずに好きな物を好きなように語れる掲示板は僕にとって夢のような場所だった。


 掲示板上で僕は「菫青石」と名乗っていた。当時は好きなアニメの世界観やキャラクターにちなんだHNを恥ずかしげもなく使える年齢だったのだ。通っていた掲示板の書き込み主がほぼ女性と思しき人達だったので、そこに馴染もうとする意味でも「菫青石」は意外と最適解だったのである。

 会話内容の縛りが少ない掲示板で、アニメや原作漫画の展開について話す人、そのアニメの世界観に居そうなキャラを考えてみたと発表している人、キャラクターになりきってお悩み相談を受けている人、ネタ台詞について賛否を討論している人、そしてアニメのモチーフとなっているゴスロリ文化の情報を交換し合っている人……とにかくごった煮状態だった。

 そんな中で僕は「孔雀石(仮名)」という人とよく会話をしていた。その人は高校生で、僕より年上らしいけれど一切ため口を使わない、礼儀正しい人だった。好きなキャラが一緒で盛り上がったり、まだ情報収集が上手くなかった僕にアニメショップのフェア情報を教えてくれたりと何かと親切にしてもらった。

 でも、孔雀石はゴス文化に強く惹かれていたようで「ああ、あの子達みたいに可愛く生まれ変わるために早く死にたいですね~」と「死」に関する投稿をする事があって、掲示板の主から何度も注意を受けていた。孔雀石にとってそれは呼吸を止めながら生きるくらいに難しかったらしく、少し経つと「死」がぶり返してしまっていた。そのやり取りにうんざりした掲示板の主がついに「次やったら出禁ですよ」とレスすると孔雀石は唐突に「今までお世話になりました。今後はこっちにいます」とURLを貼った。たまたま僕はオンラインだったので、そのリンクを踏んだ。

 すると背景が真っ黒の画面に飛んだ。そこも掲示板だった。難しい漢字が多かったから手こずったけれど読み進めて行くと分かったのはここが「自殺志願者」の掲示板であるということだった。物事が上手くいかなくて死にたいと思っている人の集会場を見てしまった瞬間、ああ孔雀石は僕に同じ匂いを感じていたのだ、と悟った。

 僕はアニメ愛好家達の掲示板からログアウトして(URLの投稿はすぐに削除されていた)、自殺志願者達の動向をROMり始めた。書き込む勇気はなかった。孔雀石はその掲示板でも孔雀石と名乗っていたので、彼女ないし彼の生存確認はできた。真っ暗な画面に白文字の文面が流れていく。毎日辞世の句のようなものを残していく人もいれば、悩みを語っている最中に一切の更新が止まる人もいる。その中で孔雀石は「死にたい」と何度も言うくせに、理由を全然話さなかった。それが一番知りたいのにな、と僕は思いながら、ブックマークしてしまったその自殺志願者達の掲示板を毎日のように眺めていた。

 多分、三月だったと思う。卒業とか、入社とかで若者のメンタルが特にぐちゃぐちゃになる季節。その夜、誰かが突然こう書き込んだ。

「五年後も生きててしんどいヤツいたら、リアルで会わん? 一緒に死のうず」

 そのメッセージに対してぽつぽつとレスが付きはじめた。「五年長いよ一年にしよ」「こんなとこで出会い厨するヤツはクソの蛆虫」「そんだけ生きててまだしんどかったら確かにゴールしてよくない?」「人生卒業旅行」「全米が泣くやつだ」「家族や友達は誰も泣いてくれないのにね」「だれうま」……からかうような、でも本当にみんなで心中できたら嬉しい、と思っているかのような奇妙な連帯感がレスからは感じられた。すると言い出しっぺのそいつがメールアドレスを貼ってきた。

「俺の連絡先。五年後死にたいヤツ連絡して。旅のしおり作っとく」

 やっぱり出会い厨の類か、霊感商法や詐欺系の人間が適当な事を言っただけだったのか、と僕は成り行きを見守った。すると、驚く事に掲示板の常連たちが呼応すように次々と自分のメールアドレスを貼りだした。「楽しみにしてる」「連絡待ってるからね」「先に逝ったらいかんぜ」「マジで実行したら我ら伝説の者では?」……深夜テンションと呼ぶべき「祭り」の状態だった。直接メールアドレスを打ち込むのは掲示板の規則で出来ないために「@」を他の記号に変えたり、単語を区切って打ち込んでいたりはするが、今では想像がつかないレベルの自発的な個人情報が漏洩していった。「死にたい」と感じている人々への連絡先。その中に、僕は孔雀石のメールアドレスを見つけた。


「ありがとう。約束です。」


 彼女、ないし彼も祭りに参加していた。僕はそのページを丸ごとコピペして、掲示板の人々の連絡先をメモ帳ファイルに保存した。眠気に負けて、僕は掲示板からログアウトした。


 それから、塾の宿題が大量に出されたり、自宅の学習机の椅子が急に壊れて親と買いに行ったりとパソコンに触れられずに数日が過ぎた。この空白の時間に何が起きたのかはよく分からない。僕が自殺志願者達の掲示板を再訪した時には404(not found)エラーが表示されるようになっていた。「何で」と「やっぱり」が同居するやるせない気分になって、僕は墓碑銘を刻むように掲示板の住人達の情報が書かれたメモ帳を頼りにガラケーの電話帳に彼らのHNとメールアドレスを記録した。


 以上の出来事を、僕はこのガラケーをスマホへ機種変更する五年後まで忘却していた。携帯電話会社のショップで店員にデータを移し替えて貰った時に「電話帳のデータなどがきちんと移行されているか、ご確認ください」と言われて電話帳を見返した時に、この記憶がざあっと蘇った。

 五年後だ、と僕は思った。急に落ち着かなくなって店員に勧められるままに必要なさそうなオプションに申し込んでしまうというミスを犯して自宅へ戻り、電話帳の「孔雀石」の文字をしばらく眺めた。あの祭りの時、僕はメールアドレスを残さなかった。五年後の集団自殺を呼びかけていた男から僕に人生卒業旅行の旅のしおりが届く事はない。孔雀石のメールアドレスを送信先に選ぶ。


「五年後ですが、お元気ですか。」


 美少女アニメの掲示板で知り合った菫青石です。最後に孔雀石さんが貼ってたURL見に行ったんです、世の中の色んな死にたい人が集まってる掲示板。みんな悩んでましたね。僕も悩んでいたけれど書き込む勇気がありませんでした。死にたい気持ちを認めたら、今すぐ実行してしまいそうだったから。ずっと疑問でした。孔雀石さんはどうしてあんなにも簡単に「死にたい」と文字にできたんですか。僕はこの四文字を書こうとするだけで、打鍵しようとするだけで手が震えます。孔雀石さんはどういう気持ちだったんですか。あなたはどうして死にたいと言っていたんですか。その想いは、今、解消されましたか。

 ――ここまで文章にして、僕は全部消した。ただ件名に「五年後ですが、お元気ですか。」と書かれたメールを送信した。それから数十秒でメールの着信があった。〈User unknown〉。試しに他の自殺志願者達のメールアドレスにも送ってみたけれどやはり〈User unknown〉だったり、届いてはいるけれど返信はしてもらえなかった。発起人の彼ですら、連絡は取れなかった。

 あの世への旅のしおりを求めている人は、もういなくなったのだ。先に逝ってしまったのか、未来へ進んでいったのかはわからないけれど。僕だけが404エラーの誰も見られなくなってしまった掲示板の中に居残りしているのかもしれない。それを「孤独」と表現するとまた新たな黒歴史を作ってしまう気がするから、ただ「居残りになってしまった」と僕は言い張り続けている。〈了〉

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