母の家出

NADA

住宅の内見

昨夜から母親の姿を見ていない


昨日の夜は友だちと会って、夕飯は外食だった

10時頃帰宅して、お風呂に入り自室で過ごしてそのまま寝たので母とは顔を合わせなかった

今日は土曜で仕事は休みなので、昼頃までゆっくり寝ていた


お昼前に、ようやく起き上がった佳代子は寝癖のついた髪とパジャマ代わりの部屋着のまま1階のリビングルームへと下りてきた

リタイア後の暇を持て余す隠居生活を送る父親が、テレビを見ながらコーヒーを飲んでいる


「お母さんは?」


「知らん」


父親に尋ねると、テレビの画面を見たまま答えが返ってくる

それ以上聞いても無駄なことはわかっているので、佳代子はキッチンへ行き冷蔵庫を物色する


空っぽの冷蔵庫

佳代子の母親は、元々料理が得意ではない

2歳上の姉は、家を出て一人暮らしをしている

佳代子も普段仕事で外食中心の生活で、父親は自分の身の回りのことは自分でできる


つまり、母はもう毎日食事を用意しなくてもいい状況であり、主婦の役目を父親の定年と共に卒業することを勝手に宣言していた

そうしたところで、実質誰もそれ程困っていないのだからいいのだけれど


佳代子は棚に置いてある食パンをトーストしてバターを塗ると、コーヒーを入れて遅い朝食にした

ぼんやりとテレビを眺めていると、父親が立ち上がり買い物へ行ってくる、と出かけていった


佳代子は自分の部屋に戻るとベッドに寝転がり、ダラダラと携帯を見だした

いつの間にかうとうとと寝ていたようで、気づくと日が傾きかけている


トイレへ行き、1階の様子を伺う

父が何やら料理をしている

母は、まだいないようだ

部屋に戻ると、携帯が鳴る

母からだ


「もしもし?」


「佳代子?夕飯買って帰るけど食べる?」


「食べる、今どこ?」


父親の料理も上手ではない


「アパートの部屋を借りたの」


「は?」


「今は家族が保証人じゃなくても借りられるのよ」


話が見えない


「誰が住むの?どういうこと?」


「お母さんの別荘、ふふ」


意味深な笑い方をすると、詳しくは帰ってから話すわね、と電話は切れた

頭の中が?マークでいっぱいになった佳代子は考えるのはやめて、また寝転がった


しばらくすると玄関の扉の開く音がして、母が帰宅した

佳代子がキッチンへ行くと、父が夕飯を食べ終えた形跡があり父はお風呂に入っているようだ

買ってきたお好み焼きを一緒に食べながら、母が話し始めた


「ひとりになれる場所が欲しくて」


父が定年してから、何かと細かい父の口うるささに母は辟易していたらしい

離婚したいのは山々だが、老後の不安を考えるとそこまでの決断をする勇気はない

同じ屋根の下に暮らしていては、どうしても気が休まらない


そこで、思いついたのが部屋を借りるという選択だった

貯蓄額が一定以上あり、保証代行会社を利用して割高の家賃を数ヶ月分前払いするならという条件で審査に通ったらしい


完全に事後報告だ

母はいつも自分ひとりで決めて突飛な行動をして、後から家族は驚かされる

昨夜は、初めてアパートに布団だけ敷いて寝たという


「住宅の内見もしないで決めちゃったから、カーテンもなくて…」


悪びれずに言う母親に、佳代子は呆れて言葉も出ない


「とにかく、雨風がしのげればどこでもよかったの」


母は実の母親が早くに亡くなり、男親だけの片親育ちで愛着障害がある

60歳近くになるのに、家出少女のような様相

家族に必要として欲しいのか、心配されたいのか、いい大人が子どもみたいにねている


なんちゃって別居というより、『母の家出』が本当のところに思える

我が儘なお金の無駄遣いでしかない

けれども、もう全額払ってきたという

後の祭りだ


「お父さんは?なんて言ってた?」


「何も…お母さんの貯金使っただけだから…」


佳代子はため息をついた


父にしたって、安全な居場所がわかっているところに母が出かけているだけなのだから問題はない

人騒がせな母が居なくて落ち着いて過ごせるくらいなものだ

姉は我関せずだろうし

母が居なくて困る家族はいない

佳代子自身も、何も困ることはない


家族から愛されたがる母が不憫ではあるが、いつもほったらかされていた子どもとしては、同情する気にもなれない


お金には不自由しない人生を送ってきたけれど、愛情が足りなくて幾つになっても自己肯定感が低くて、人との距離感が上手く掴めない母


佳代子にはどうすることもできない

そのままの母を受け入れるだけだ

ありのままの母を認めること、きっとそれも愛だから

母だって本当に家族と離れて独りになったら寂しいのはわかっているのだろう

ずっと家族としてやってきたのだから

父も私も、死ぬまで母を見守っていく

いつか、母も気づいてくれる日が来る

あれは、愛だったと


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母の家出 NADA @monokaki

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