ボロアパートを内見していたら、一戸建て賃貸を勧められた件

江戸川台ルーペ

なんじゃこりゃあ・・・

 「こちらの住宅はいかがでしょうか」

 ロボットのような冷静で低い女性の声に、カワラは戸惑った。

「ちょっと待ってください。僕が探しているのはアパートの賃貸です。一軒家に住むほど、経済的な余力はないんです」

「ええ、知っています」

 不動産会社のタカヒメは答えた。

「しかしカワラさんは数十軒以上内見したにも関わらず、お決めになる素振りもない」

「それについては謝ります。なかなか理想のアパートがない。タカヒメさんにはたくさん見せていただいて、感謝しています。長い時間を掛けてしまって申し訳ない」

「私は仕事ですから構わないのですが、差し出がましいようですが、カワラさんは理想のアパートに囚われ過ぎではないでしょうか」

「何だかしっくり来ないんです。どこも」

 カワラが申し訳なさそうに俯いた。

「映画で観たようなアパートがよろしいんですよね」

 二日間、カワラに指名され、朝から晩までみっちりと多くの物件に案内したタカヒメは、カワラの要望を熟知していた。

「木造住宅で、階段を登って二階が居住スペース。六畳ほどの部屋が三部屋とキッチンがあれば、トイレは共同で構わない。風呂はいらない」

「そうです。風呂は銭湯に通うので」

 照れながらカワラが頷いた。

「一つの部屋で植物を育てる予定。可能なら畳部屋で、外に古い自動販売機が必要。駐車場は住宅の目の前を希望」

「毎朝、自販機でコーヒーを買ってから車に乗って出勤したいんです」

 言い訳するようにカワラが言った。

「失礼ですが、ご職業は」

 タカヒメが核心に迫った。まだそれだけは手付かずの話題だったのだ。

「今は無職……です。家族もいない。でも、これからトイレ掃除を専門とする会社を探して勤めたいと思っています」

 タカヒメは長い息を気付かれないように吐いた。

「大変申し訳ないのですが、恐らくご希望の物件は見つかりません。あまりにもイメージが明確過ぎるのです。そもそも二階だけに居住スペースがある物件も珍しいですし、この東京でボロ木造アパートの数にも限りがあります。そしてボロアパートには大体駐車場などありません。あってせいぜい住宅から歩いて数分の場所です」

 カワラは俯いてじっと聞いていた。

「住宅の前に自動販売機がある可能性もかなり低いです。しかもその自動販売機はダイドー、とカワラさんは希望されていますが」

 カワラはタカヒメから顔を背けて地面を向いた。

「正直なところ、かなり限定されます。100万分の1で理想のボロアパートが見つかったとしても、自動販売機がサントリーだったらペケ」

 タカヒメが細い人差し指を交差して、黒いスーツでは隠し切れない豊満なバストの前でバッテンを作って見せた。

「っていう事ですよね?」

「ダイドーが良いんだ。自販機なのに一本買うたびにくじが引ける」

 ぶっきらぼうにカワラが答えた。

「コーヒーもダイドーが一番美味い」

「それに関しては異論はありませんが」

 タカヒメが腰に手を当て、重たそうな大きなショルダーバッグを掛けなおした。

「まずは、妥協という言葉も必要かと存じます」

「妥協を視野に入れるにしても、何故一軒家なんですか」

 何となく叱られている子供になったような気がして、カワラは震える声でタカヒメに聞いた。

「視野を広げるんです」

 タカヒメが初めて笑顔を見せて答えた。不動産屋らしい、素敵な笑顔だった。

「シけたアパートばっかり見ていては気持ちも暗くなるばかりですから。アパートに囚われず、新しい世界からご案内いたします。もちろん、家賃的なところだけはしっかり抑えておきます。ご希望は三万円から五万円でしたね」

「そう。多分、三万円くらいだと思います。会社の補助で二万円くらい出ているかも知れないから、五万円までにしおきます」

「映画で見たアパートの家賃を、三万円から五万円、とカワラさんが予想した」

「そうです。区から嘱託された会社は何かしら手当がつく可能性が高いと思って」

 タカヒメが静かに、大きく息をした。以前別件の客で、思わずため息をついたことがバレて、粘着質な客がネチネチとありとあらゆる事に文句をつけ始めた事がトラウマになっているのだ。おかげで拘束時間が長くなってしまった。この東京で、3Kで五万円以内、駐車場とダイドーの自動販売機がすぐそこにある物件などあり得ない。しかし、蛇の道は蛇。

「この家、何と家賃2万5千円」

「えっ」

 カワラが息をのんだ。そしてしげしげと住宅を見上げた。周囲にポツポツと建つ住宅に比べればやや老朽化著しいが、黄色くクリーム色がかった二階建ての、妙に四角い建物だった。

「ちょっと中を見てみようかな……」

 タカヒメがにっこりと頷いた。



 タカヒメがカギの束から一つ差し込むと、門を開けて注意深く敷地に入った。

「猫の額ほどではありますが、庭もあります。裏手は駐車場です」

「激安」

 カワラが呟いた。

 玄関を開けると、やや天井は低いが、普通の住宅の間取りだった。玄関の正面に上り階段があり、なんとその脇に下りの階段もある。

「地下もあるの!?」

「二階は二部屋、一階は2DK、トイレ風呂付きです。風呂は昔ながらの、手で回すやつですが、問題なく使えます」

「タカヒメさん、地下があるの?」

 タカヒメが少し困った顔をして、答えた。

「あります。それがこの物件が安い原因なんです。ついて来てください。土足で構いませんので」

 タカヒメが先だって、二人は階段を下りて行った。辿り着いた先は洞窟だった。階段を下りていくと、最初は木製の階段が無骨なコンクリートに変わっていき、やがて壁が土に変わり、天井も土くれに変化していった。電気は常時点灯しているようだが、ある程度進むとそれもなくなり、二人の先には真っ暗闇がぽっかりと口をあけていた。


「この物件には、ごらんの通りダンジョンがあります」

 タカヒメの声が土に吸収されるのか、やや籠って、近くで聞こえた気がした。

「そしてご想像の通り、借りた人は行方不明になってしまいます。大体、このダンジョンに入る、という書置きを残したまま」

「怖い」

 カワラが素直な感想を述べた。

「しかし案ずることはありません。逆に言えば、このダンジョンに潜らなければ、カワラさんは安全なのです」

 タカヒメが振り返り、カワラを正面から見上げた。

「しょうもない安アパートに暮らすより、こちらの方がずっとドキドキとワクワクに満ち溢れると思いませんか? 絶対こっちの方が楽しいし、何しろお得です。これが私の提案です」

「とは言え、やっぱり不気味だよなぁ」

 カワラは腰が引けた。

「都とか、区とか、調べたりしないの?」

「調べました」

 タカヒメが乾いた声で即答した。

「恐らく戦時中のトーチカ、防空壕、あるいは地下鉄を掘削する際に利用した通路であろう、との事でした」

 タカヒメの目がやや泳いでいるのを、カワラは見逃さなかった。

「証明できるの? なんか怪しい」

「こちらが地図です」

 重たそうなショルダーバッグから紙の束を取り出すと、二人は少し明るい場所まで戻ってその地図を見た。方眼紙で細かくマッピングされている。

「意外と単純な形をしている」

 カワラが地図を持って、暗闇の先を睨みながら感想を述べた。昔やったゲームよりもずっと簡素だ。

「なぜ埋め立てなかったのですか?」

「区の担当者が変わってしまって」

「ありそうな話だ」

「害がなければ、広い物置と思えば悪くはないとも思いますし」

「すごい広い物置だし、害はあるっぽいけど……何人くらい行方不明になってるの?」

 タカヒメが少し溜めて、やがてバツが悪そうに答えた。

「十五人くらい……」

「警察、動くよね?」

 カワラが真っ当な事を言った。

「身寄りのな人を選んでいるので」

「それ、犯罪者の言い方ですよ」

 そうして、カワラはハッとした。

 俺も結婚していないし、両親とも死別しているし、兄弟もいない。


後ろで、とても大きくて長い溜息が聞こえた。

「落ち着け」

 振り返ることもなく、カワラが言った。

「とても小さな音ですが、聞こえますか? 川のせせらぎ」

 タカヒメは目を閉じ、左手を当てて耳を澄ませていた。

 右手には、大きめの包丁が握られていた。書類の間に挟んで隠していたのだ。

「その川の流れはすごく速いんです」

 包丁はカワラの背中にスーッと差し込まれてゆき、流れ出た血は地面に滴った。



 <おわり>











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ボロアパートを内見していたら、一戸建て賃貸を勧められた件 江戸川台ルーペ @cosmo0912

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