新居

南沼

午後、夕刻間際

 内見の時に不動産屋の営業が時間をえらく気にしていた理由が分かったのは、引っ越した当日の夕方だった。

 西日が射し込んで壁紙を茜色に染める部屋でおれはカーテン買い忘れてたななんて考えながら壁を背に座り込んで煙草を吸っていて、向かいの家の屋根に太陽が隠れてから少しして空が少しずつ暗くなってきた頃合い、目の前に女の姿が現れた。

 女はおれの方を向いて立ち尽くしているような恰好だったが、長い髪はぼさぼさでつぎはぎの浴衣みたいなのを着て、顔の肉は捲れあがって殆どなくなっていた。どうりで駅から近い割に家賃が安いもんだと半ば得心したおれを尻目、女は陽が沈みきる頃には姿を消した。

 女は毎日決まった時間になると姿を現したが、別段悪さをするわけでもなくただそこにじっと立ってるだけだし、パンチの効いたビジュアルにもやがて慣れたからそのまま放っておいた。

 件の不動産屋の営業は一風変わった奴で、曰くつきの物件を掴ませたおれを哀れに思ったか知らないが、ある日突然「ども。その後どうです?」なんて言葉と共に私服で様子を伺いに来た。手土産はビッグサイズのポテチだった。そういうやつは嫌いじゃない。営業は山西と名乗り、おれたちはそれからちょくちょく飲みに出るぐらいの仲になった。元々友達のいないおれだから、いっぺんにともだちが2人できたぐらいの感覚で、妙に浮かれた気分になったもんだ。

 ひと月ぐらい経つと、ぐちゃぐちゃの顔でただ立ち尽くす女の姿にもなにがしかのニュアンスを感じられるようになって、どうやら窓の外にある空き地を気にしているらしいと何とはなしに勘づいた。

 空き地は本当にただの空き地で雑草が生え放題なだけの浮いた土地みたいだったけれども、ふと思い立ってくまなく歩いてみると角のあたりに大振りの石が転がっていた。随分ぼろけて苔むしていて、気合いを入れて見ると碑文のように見えなくもない彫り込みがあるそれを、横にある台座に見えなくもない岩に立てて置いてやった。自分でも、なんでそんなことをしたのかは分からない。ただ、その日を境に女が部屋に姿を現すことはなくなった。


「あ~、あれね」

 安い居酒屋で、顔を真っ赤にした山西がへらへらと笑う。

「何年か前、あそこに車ぶつけちゃったんすよ。ほら、草に隠れちゃって石があるなんて分かんないから」

 ヒッヒッと引き攣れたように笑う山西のどこにムカついたのか自分でも分からなかったが、会計を済ませてから裏路地まで連れ出して何発か小突いたら山西も二度とおれの前に顔を出さなくなった。

 そうしておれはまたひとりぼっちになって、結局カーテンを買い忘れたままの部屋で陽が沈むのをぼんやりと眺めながら今日も煙草を燻らせている。


 後悔? おれが?

 随分とつまんないこと訊くんだな、あんた。

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新居 南沼 @Numa_ebi

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