腕時計の男

見鳥望/greed green

 ラブホテルの怪談と言うのは昔から耳にする事が多かったが、時を経て自分自身がラブホテルで働きだすと、実際に不可思議な現象に何度か遭遇した。場所柄もあってか、幽霊だけではない洒落にならない現場を見たこともあった。


 ラブホテルは集団で存在している事が多い。一件立てばその周りに群がるように密集する。自分の周りもそうだった。朝のゴミ出しなんかしていると軽い挨拶から始まり、同年代も多くいた事で自然と周りのホテルスタッフとも仲良くなっていった。


 日々起きるちょっとした事件簿みたいな話をお互いにする機会も多かった。そんな中で、”開かずの間”の話題になった。

 とある事情があって使われなくなった部屋。そういった部屋って大抵一つはありませんか?ってな具合で。


 確かに自分のホテルにもあった。完全にオカルトだったが、実際貸し出すにはあまりに気味が悪いが続発したせいで、その部屋は開かずの間となった。

 すると他のホテルのスタッフもウチにもウチにもと話し出した。そのどれもが奇妙で恐ろしいものだったが、その内の一人が話した開かずの間にまつわる話が特に印象的だった。


「ウチにもありますよ。”開かずの間”」







「107号室になります」


 夜の10時頃。俺は受付に来た客へ部屋に入るカードキーを差し出していた。

 すっと向こうからスーツを着た男性と思しき腕が伸びてくる。カードキーを受け取りさっと横に消えていく。ラブホテルではよくある相手の顔が見えないタイプのフロントなので、情報は限られていた。しかし、ただそれだけの情報でも少し珍しいなと思った。

 

 当然ラブホテルなので客は基本男女のカップルである事がほとんどだ。だが、男は一人だった。全くないというわけではないが機会で言えばやはりかなり少ない類だ。それだけに印象に残った。

 だが別に男一人だからという理由で追い返すわけでもない。そのまま客を見送り俺は仕事を続けた。



 そこから早朝まで時間は進む。そろそろ退室の時間だが107号室の男性はまだ部屋にいるようだった。

 

 仕方ない。フロントの電話で107号室に呼びかける。コール音が続く。しかし、男性が出る気配は一向にない。

 

 ーーめんどくせぇな。


 舌打ちをかまして俺は立ち上がる。まだ寝ていて起きこないだというパターンももちろんあるが、どっちにしろそのまま放置するわけにはいかない。仕方なく俺は直接107号室まで向かう。


 コン、コン。


「お客様ー。お時間になりますー」


 反応を待つ。しかし返事はない。

 

 コン、コン。


「お客様ー」


 さっきよりも大きく呼びかける。しかし反応はない。

 少し嫌な予感がした。最悪のケース。話に聞く事はあったが、とうとう自分に御鉢が回ってきたのか。

 

 ーーいやまさかな。


 思いながら俺はフロントに一度マスターキーを取りに戻り、再び107号室の前に戻ってきた。試しにもう一度ノックしてみるが、やはり返事はなかった。

 

 カチャっとドアを開く。しかしすっと扉を開いた瞬間、


「うわぁー!」

 

 悲鳴を上げざるを得なかった。そのまさかが目の前で起こってしまった。

 

 ーーけ、警察……。


 つい数時間前まで生きていた人間。その時は腕しか見なかったが、その男が今、目の前でぶらりぶらりと首を吊って揺れていた。







「あぁ、そりゃ部屋一個ダメになるわな」


 他のスタッフが口にする。恐ろしい話だが、確かによく聞く話でもあった。

 

「いや、その後も部屋は普通に貸し出してたんだけど」

「……は?」


 皆が口を揃えた。


「え、自殺が出た部屋を、その後も普通に貸してたの?」

「そうそう」


 彼は慣れたような調子で言った。なんて所で働いているんだと彼を少し不憫に思った。

 しかしそんな事を思いながら考える。人が死んでも当たり前に使われていたような部屋が、開かずの間となってしまった原因。よほどの事情がなければそんな事にはならないだろう。一体何があって、その部屋は開かずの間となったのか。


「で、しばらくは通常通りに部屋貸してたんだけど、そこからちょっと、変な事が起き始めて……」







「また来たの? ”腕時計の男”」


 他のスタッフに聞かれそうだと答えると、「何なんだよほんとに」とイラついた様子でそのスタッフは後頭部を掻きむしった。

 

 俺だけじゃなく、ここで働く全てのスタッフにとってそいつは忌まわしい存在だった。ヤバイ客なら警察に任せてしまえばいい。だがそういう訳にもいかなかった。何故なら腕時計の男は完全に誰がどう見てもオカルトだったからだ。


 あの男性が亡くなり部屋の清掃整備を終えた後、平然と部屋を提供し始めて間もなくそれは始まった。

 初めて”彼”と遭遇した瞬間から既に気味が悪かった。フロントに伸びる腕。カードキーを渡した時、デジャブでも見ているのかと思った。

 彼は一人だった。あの男と同じように。そんなわけはないと思ったが、彼は同じように時間になっても部屋から出てこなかった。

 

 仕方なくフロントから電話をかける。反応なし。直接部屋に向かう。ノック。呼び掛け。反応なし。

 

 何もかもがあの時と同じだった。

 嘘だろと思いながら、マスターキーで扉を開ける。おそるおそる中を覗く。

 

 結果として部屋には誰もいなかった。いなかった所ではない。ベッドも、風呂も、トイレも、何一つ使われた形跡がなかった。


 ーー気のせいだったのか……?


 そんな馬鹿な。間違いなく俺は”彼”にカードキーを渡した。絶対に見間違いじゃない。だが目の前の全く痕跡のない部屋も紛れもない事実だった。


 訳が分からない俺は扉を開けてすぐの壁に目を向ける。俺はそこでますます混乱に陥る。

 このホテルの部屋はビジネスホテルでもよくあるような、壁にある差し込み口にカードキーを差すことで電気やテレビ等が使えるようになるシステムだ。

 

 部屋を使う為に必須のシステム。

 カードキーはしっかりと差し込まれていた。

 つまり、俺はちゃんとこの部屋を貸し出している。

 しかし、部屋の主は忽然と消えてしまっていた。


 毎週木曜夜10時に現れる謎の男。スタッフ全員がこの怪現象に遭遇しながらも誰一人として直接顔を見ておらず、唯一ある情報が腕時計をしている事。その事から、スタッフの中で彼は”腕時計の男”と呼ばれるようになった。

 

 これが一つ目の怪異。しかしこの怪異にはもう一つのパターンが存在した。

 それは既に木曜夜10時に部屋が使われていた場合。この場合、腕時計の男は現れない。

 じゃあ安心じゃないかと思うだろう。しかしそうはならないのだ。


 フロントに電話がかかってくる。「107号室」の表示を見てげんなりする。もちろん無視する訳にもいかないので受話器を取る。


『この部屋どうなってんだよ! すぐに替えろ!』


 予想通りのクレームに「申し訳ございません」と答えながら、いい加減にしてくれと項垂れる。内容は聞かなくても分かっている。


“扉を何度も何度も蹴られる”

“風呂場の扉が勝手に開く”


 大体こんな感じだ。そして気味悪がった客達は部屋を替えろと怒鳴り散らす。これが二つ目の怪異。


「あの部屋、もう貸すのやめようか」


 とうとうオーナーがそう口にした事で、107号室は提供されない開かずの間となった。







「っていう話なんですけどね」


 Aさんはそう言って話し終えた。

 Aさんも怪談が好きな方で、僕に色々とお話を聞かせてくれた一人だ。この話は彼が新宿のラブホテルで勤務している時に、近場のラブホテルのスタッフから聞かせてもらったそうだ。

 ラブホテルに纏わる怪談というのは今までもいくつか耳にしてきたが、やっぱりあるもんなんだなと思いながら僕は話を聞いていた。


「やっぱり、最初に亡くなられた方がその後もずっと、って事なんですかね?」


 別に幽霊を完全に信じているわけじゃない。ただ聞かせてもらった怪談を深堀りすると、見えてこない事実が炙りだされ、更なる恐怖が顔を出すことは少なくない。とりあえずは聞いたままにベタな解釈を口にしてみる。


「いやーどうなんでしょう」


 自分が体験したわけじゃないんでね、と言いながらAさんが次に口にしたのは、


「その発端となった男性の方って、別に腕時計してなかったらしいんですよね」


 そうなるとまた奇妙な事になるなと思った。別にそれだけで答えが出る話ではもちろんないが、大体の怪談話では生前と死後とでその姿に共通点がある事が多い。なので彼の言葉をそのまま飲み込んでしまうならば、自殺した男性と腕時計の男は別人という可能性が出てくる。

 じゃあ何故生前と同じ時間にホテルを訪れ彼が死んだ部屋を取り、彼と同じように部屋で過ごすのか。

 意味が分からない。ここは同一人物と考えた方が解釈としては通るなと勝手に頭の中で処理を進めた。


「でも、そもそも一人でわざわざホテルに来て死ぬなんて怖いですね」

「まあ、ない話じゃないですよ。割と他でも聞いたりはしますし」

「そうなんですね」


 それはそれで恐ろしいなと思いながらAさんと話していたが、


「死因は溺死らしいんですけどね」


 さらりと、ごく自然に彼はそう口にした。

 一瞬、思考が止まった。

 

 ーーあれ……? いや、おかしくないか……?


 ぎぎっと止まった頭の歯車がゆっくりとまた動き出す。

 違う。そうじゃない。彼の死因は溺死ではない。


「首吊りで死んだんじゃなかったでしたっけ?」


 彼は部屋の中で首吊りで発見された。つまりはそれが死因のはずだ。Aさんは言い間違えたんだ。僕はそう思った。しかし、彼は断言した。


「あーいやいや、違うんですよ。首吊りで”発見された”んですけど、死因は溺死だったんです」


 第一発見者であるこの話をAさんに語ったスタッフは、警察からはっきりと死因についても聞いたそうなので、間違いないとの事だった。


 首を吊ってるのに、死因は溺死。

 

 ーー……どうやって?


 二つの事実が頭の中で直結しない。どうやったらそんな事が可能なのか。

 どっちが先だ。 首吊り? 溺死?

 いや、溺死してから首吊りなわけがない。これは自殺なのだ。その点は警察も断言した。一人でそんな死に方は不可能だ。

 ならば逆か。首を吊ってから溺死。でも、それもどうやって。


「風呂場で首を吊ったとか……?」


 全く馬鹿な回答だと思いながら苦し紛れに口にしてみたが、あっさりとそれも否定された。


「いや、首を吊っていたのは扉を入ってすぐのベッドのある部屋です。梁にロープだか縄だかをかけて」


 風呂場だとしても首を吊った状態で発見されてるのだから溺死には繋がらない。難解なミステリー小説にでも投げ込まれたかのような事実に頭が混乱する中、Aさんがとどめを刺すように言った。


「そもそもなんですけど、部屋を使った形跡がまるでなかったらしいんですよ」

「……え?」

「風呂も、トイレも、水回りに一切手を付けてない。というかベッドすら使っていない。本当に首を吊る為だけに部屋を取った、そんな感じらしいんですよね」


 ここまで聞いて改めて思った。

 やはり彼らは同一人物じゃないか。

 

 ”何もかもがあの時と同じだった”

 ”嘘だろと思いながら、マスターキーで扉を開ける。おそるおそる中を覗く”

 ”結果として、部屋には誰もいなかった。いなかった所ではない。ベッドも、風呂も、トイレも、何一つ使われた形跡がなかった”


 全ての行動があまりにも生前の彼と同じ過ぎる。腕時計の有無に何か意味があるのかは分からないが、同一人物と考えないと不自然だろう。

 

 何度もビルから飛び降りる霊の話がある。それは生前の行動を繰り返した結果だという。

 死んでなお生前と同じ行動を繰り返す。彼もまた、あの部屋で死に続けているのかもしれない。オカルトとしても十分に怖い話だ。


 だが、もはやそこへの恐怖は薄らいでいた。

 発端となった自殺。そもそも、彼はどうやって死んだのか。

 あの部屋で何が起きたのか。


 結局その答えが分かるわけもなく、Aさんの話は終わった。 

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