ほろ苦い内見

kie♪

ほろ苦い内見

 10年ほどの話だが、私は当時付き合っていた恋人と同棲を考えていて住宅の内見をしたことがある。

 内見というのは不動産屋さんから紹介されて気になった物件を実際に見に行くものだけど、当時の私は敷金・礼金の仕組みはおろか間取り図すらろくに理解出来ないまま物件を借りようとしていたのだから今となっては恐ろしいことだ。きっとそういうきちんとしたことは恋人に任せたり後々勉強していけばどうにかなるとその頃は思っていたのだろう。幸い恋人の方がこういう事務的なことには向いていたし、年上だったからなのか私との将来を本気で夢見ていたのか率先して動いていた。取り敢えず私は間取り図ではどんな物件なのか分からないので実際に見てみようと不動産屋さんが運転する車の後部座席に乗り、幾つかの物件を見て回ることにした。何件か巡ったはずだがその中で1番好みだった物件のことだけは未だに覚えている。

 その物件はファミリー向けのマンションの一室で2人暮らしをするには十分すぎる広さを備えていた。すぐ近くに病院やスーパーがあり、市バスの停留所も目の前で利便性はそこそこ。ただ、主要駅からは少し遠くて個人的には通勤の面で少し難点があったが恋人はバスの定期券があれば週末はあちこち出掛けられるのではないかと少しウキウキとしていた。家賃もお互い折半をするなら何とかなるのではないかと思っていたが、当時の私はまだ大学生。公務員を志望していたが就職先もまだ確定していない状況だった。

 内見をするといよいよ同棲に向けての準備が具体化していくのだろうが、私はそのとき少しだけ将来に後ろ暗い思いを抱いてもいた。それは何よりも恋人の考え方だった。当時の恋人は仕事の時以外は基本的に私と一緒にいたいというタイプだった。休日は基本的に昼過ぎから夜まで共にダラダラと過ごし、仕事終わりにも度々会っていた。良いように言えばそれだけ愛してくれていたのだろうが、私には学生生活を送っているときと夜以外には自由な時間が殆ど無かった。一緒に暮らすようになればお互い働いているとき以外はずっと彼の傍にいなければならなくなるかもしれない。実際に付き合ってから暫くするとほんの少しだが息苦しさに似たものを感じつつあった。彼の横に私がいる意味は本当は無い。彼は私を選んだけどそれはたまたまであり、彼にとって都合の良い時に彼女としての役割を演じて傍にいてくれさえすれば別に私でなくても良いはずだ。私には徐々に彼が“自分には自分にとって都合の良い恋人がいる”という事実に酔いしれているように見えていたのだ。それでも私は必要としてくれている彼と一緒に過ごせばきっと幸せになるのではないかと思ってその思いに合わせていた。こうした根本的な価値観の違いも解決出来ると思っていた。きっと私も彼と同じで彼そのものではなく“恋人がいる自分という存在”が好きだったのだろう。

 取り敢えずすぐには契約をせず、私の大学卒業や就職がきちんと決まってから話を進めることになったが結局彼との同棲は夢で終わることになった。私が就職先として内定を貰った会社が広島勤務を提案してきたからだ。彼にも当然広島で働くかもしれないことを告げたのできっとその段階で同棲はいったん白紙になったはずだ。結局私は入社直前にどうもその会社が世間ではあまり良い評判ではないことを知ったので内定を辞退して京都に残り、医療事務員として仕事を始めることにした。ある程度仕事に慣れたら将来のことを考えていけば良いと思っていたが、予想以上のハードワークのせいで精神的に参ってしまい数ヶ月で医療事務の仕事を手放して適応障害に陥り、家に引き篭もるようになった。恋人はある程度は心配してくれていたが、私はとても将来のことを真剣に考えられる状況ではない。さすがにニートを養えるほど懐が深い恋人ではなかったので暫く彼の口から将来の話が出なくなった。

 更に数ヶ月が経って私も今の本業である某金融関係の職場に再就職が決まり、お給料も割と良いということなので恋人は同棲だけでなく結婚の話も一気に進めようとしていた。私としては仕事が落ち着いてからで良いと思っていたが、あまりにも結婚願望がある彼を待たせるのはそれはそれで悪いかとも考えていた。しかし私の親は彼との将来をずっと反対していた。何とか親を説得しようと思っていたが話は平行線のまま。ついに私もそんな現実に疲れてしまい、“実の親に彼との将来を望まれないのなら……”と考えて結局別れる形となった。結果としてはこれが正解だったんだと自信を持って言える。仮に一緒になっていても親と彼との仲はきっと本質的なところでは良くなかっただろうし、私が病気を患ったのでもし結婚していたら恋人には予想外の負担を掛けることになっていた。何より健康を自慢としていた恋人とは病気以降体調や精神的な部分に日々波がある私はきっと分かり合えなかっただろう。お互いが不幸になる時期がちょっと変わっただけだ。

 結果として苦い思い出になったけどこの内見をきっかけに自分の人生を大切に考えて行動することや見た目だけでは分からない相手の人となりを見ることが出来たので一歩でも大人に近づけた意味では行って良かったと思う。そして私は未だに実家の自分の部屋以上に良い物件に出会えていないため、1人で暮らさずにいるが近いうちにまた物件探しをしようと思う。この苦い思い出のきっかけとなったあの内見を忘れるために――。

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