第11話 大きな代償

 栗原さんの突然の引越しから1か月程たった月曜日の朝。旦那を見送り洗濯物を干している時に、中学校からの着信あり。息子に何かあったのかと心配になり、慌てて電話にでた。


「はい田村です。あら松島先生、何かありましたか?」


 てっきり担任の先生からの電話かと思えば、卓球部顧問の松島先生からの電話だった。


「あの〜田村さん。栗原さんから何か連絡ありましたか?」


「え?連絡なんてアレから何もないですよ」


「やはりそうでしたか。実は空くんがまたこちらの中学校に戻ってくると連絡を受けまして。もちろんそれは構わないんですが、あまりにも急で私達も混乱しておりまして……」


 明日引っ越すと東京に行った栗原さんから新住所の連絡がなく、中学校としては学校の転校手続きに困っていたらしい。中学3年生は進路を決める大切な時期。普通の受験だって大変なのに、慣れない土地で高校を見つけるのだって不安だらけだろうとみんなも心配をしていたのだ。


「幸い新住所がわからずに、こちらの中学校に空くんの籍は置いたままだったので良かったですけどね」


「そうでしたか。学校側も大変ですね。でも、空くん卓球部に戻ってきてくれるといいですね」


 そう伝えると電話を切った。あの日の漠然とした不安が現実のものとなってしまった。


 次に栗原さんを見かけたのは部活のお迎えの時だった。送迎で集まる保護者の中に彼女の姿を見つけ、私は目を疑った。たったの1か月でこんなにも人は変わり果ててしまうものだろうか。


 薄化粧のせいもあるのかもしれないが、頬はこけクマも目立つ。華奢な体はより細く、まるで10歳くらい老け込んでしまったようだった。かわいいピンクの軽自動車もグレーの箱バンに変わっていた。


 あまりの変貌ぶりに周りの保護者達も声をかけれずにいる様子。たまらず私は栗原さんに声をかけようとしたが、恥ずかしそうに目をそらし足早に走り去ってしまった。


 体育館の中を覗くと、久々に会う空くんは浮かない表情でお母さんを待っていた。


「空くん大丈夫?久々の練習で疲れてない?」


 そう言って空くんの肩を軽く叩いた。


「俺、みんなと一緒に中体連に出たい。でも使い慣れたラケットも専用シューズも何もないんです」


 涙をこらえる空くん。コーチはそんな彼の気持ちを汲んで言葉をかけた。


「ラケットはさっき渡した俺のを使え。すぐには手に馴染まないけどないよりマシだろ。シューズは体育館シューズでも構わないから。せっかくこれまでみんなで練習してきたんだ、悔いのないようにやればいい」


 ずっと大切に使ってきたラケットとシューズがないなんて。私は隠れるように隅っこで佇んでいた栗原さんに尋ねた。


「あの~栗原さん。空くんのラケットとシューズはこっちにないんですか?」


 すると彼女は慌てるように答える。


「ええ。引っ越す時に向こうに持っていったんですけど……荷物を全て失ってしまいまして。本当に申し訳ありません」


「全て失った?向こうから送り返してもらうこともできないんですか?」


「それが……どこにもないんです」


 なんだか腑に落ちないまま会話は終了。荷物を失うって、どういう状況なんだろう。すると空くんがこっちに向かって大きな声で叫んだ。


「だから言ったんだ。俺はパパなんかいらないって」


 彼はそう吐き捨てると、家の方角へひとりで走り去ってしまった。


「待って、空」


 それを追うように栗原さんも帰ってしまった。一体ふたりの身に何が起きたというのだろうか。会話を聞く限り、やはりパパ絡みのトラブルがあったことに間違いはない様子だった。


 それからさらに1か月程が過ぎ、息子達にとって中学生最後の中体連の当日を迎えた。個人戦で3年生はほとんどが4回戦敗退。これまでの練習で培った己の実力を試合にぶつけ、清々しい涙を流した。しかしその中で空くんだけが予選敗退。試合の後ラケットを床に叩きつけ、体育館に座り込んだまま泣き続けた。コーチが声をかけ、うなだれる空くんを抱えるように移動する。


「空ったら、何やってるのよ」


 栗原さんはそんな息子の姿を見ながら、応援席で呟いた。その声を聞いた周りの保護者の空気が凍りつく。副会長の岩崎さんが我慢できずに声をかけた。


「あなたには空くんの悔しさがわからないの?隣で何を見てきたの!あの背中を見て、あなたは何も感じないの?」


 慣れないラケットとシューズで、集中して練習もままならない状態。そんな中で最後の試合を迎えた空くんにみんなが同情していた。


 栗原さんは私達の顔を見るなり、持っていたタオルを握りしめうつむいた。彼女は声を殺し涙を流しているようだった。しかし震える彼女の背中を見て慰めの言葉をかける保護者は誰ひとりいなかった。


 少し離れた応援席に移動し、岩崎さんが重たい口を開く。


「ちょっと言いすぎちゃったかな私。実は他の保護者さんから過去の不倫騒動の話を聞いて。それに今回のことだったからさすがに腹が立っちゃって。振り回される空くんのことを思うとたまらなくて」


 岩崎さんの職業は小学校の先生。とても正義感の強い人だ。子供の気持ちを考えていない栗原さんの母親としての言動に我慢ならなかったのだろう。


 個人戦の後に行われた団体戦は一回戦敗退。みんな再び涙を流したが、声をかけあいお互いの健闘をたたえあっていた。


「よっしゃあ。夜は焼き肉食べまくろぅぜ」


「空、また一緒に卓球ができて嬉しかったよ。ありがとな」


「俺もまたみんなと卓球ができて、本当に楽しかった。ありがとう」


 みんなはさっきまでの涙を忘れて笑いあっていた。青春とはあっという間に過ぎ去るもの。でもその一瞬から学ぶべきものは、とても尊いものだと私は思う。


 息子の涙を見た彼女は、何を思い泣いたのだろうか。岩崎さんの言葉は栗原さんの心に響いたのだろうか。


 中体連の後、子供達は高校受験に向けて各々の道へ歩みだした。長男はまだ卓球を続けたいといい、卓球部のある私立高校を受験することを決めた。空くんは栗原さんの実家で生活を始め、受験に集中する環境が整ったようだ。


 東京へ行くと引っ越してこちらに戻ってくる間の1か月間、栗原さんの身に何が起きたのか誰も知る由もなかった。


 そんな私のもとに一通のメールが届いた。


────────────────────


第11話を読んでいただきありがとうございます。


そろそろ話も終盤です。

誰からのメールなのか、皆さんもお気づきですね。


明日も15時更新予定です。






 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る